出生後の感染と推定されたHIV母子感染例

(IASR Vol. 33 p. 70-71: 2012年3月号)

はじめに
抗ウイルス療法が進歩した近年では、ヒト免疫不全ウイルス(human immunedeficiency virus: HIV)陽性の母から児への母子感染の予防法はほぼ確立し、少なくとも先進国では母子感染症例の報告は激減している。今回、出生後の母子感染と思われる1症例の経験とともに、HIV妊婦に対する医療従事者の認識の乏しい事例を報告する。

症例:21歳、女性、ブラジル人。
家族歴・結婚歴:離婚歴があり、前夫との間に3歳男児あり。この男児の妊娠時の記録では、HIV抗体陰性であった。前夫と離婚後、性的関係を有する恋人がいた。現在の夫とは約1年前に再婚した。

受診契機:HIV陽性妊婦の分娩管理。

現病歴:2011年3月(当院受診約7カ月前)、妊娠が疑われたため某県のマタニティクリニック(A院)を受診、妊娠が確認されるとともにHIV陽性が判明したが、特に指導はなかった(説明はあったのかもしれないが、言語の障壁もあり、患者には伝わっておらず、また紹介状などはなかった模様)。以後、A院を含めて医療機関には通院していなかったが、当院受診2日前、不正出血のためA院を受診した。HIV陽性妊婦であったため、同地域の総合病院へ紹介となったが、HIV診療経験がないということで当院産婦人科へ紹介、転院となった。なお、女性は、この時初めてHIV感染が知らされたという。HIVの管理に関して、産婦人科より血液感染症内科へ紹介となった。

入院時所見:妊娠37週、抗HIV抗体陽性、HIV-RNA 50,000copy/ml、CD4リンパ球 339/mm3、子宮出血あり。

経過:産婦人科的には帝王切開が必要と判断された。第1病日、転院直後に抗ウイルス療法(anti-retroviral therapy: ART)としてZDV/3TC/LPVr(ジドブジン、ラミブジン、リトナビル少量を含むロピナビル)を投与、2回服用後の第3病日に帝王切開となった。帝王切開時は、妊婦にZDV点滴静注を行い、無事女児を出産した。出産後は女児に対してZDVシロップ内服を開始した1) 。幸い、順調に経過、生後3カ月の時点でもHIV-RNA(PCR法)陰性である。無事出産を終えた女性に対しては、ARTをZDV/3TC/LPVrよりTVD/DRV/RTV(エムトリシタビンとテノホビルの合剤、ダルナビル、リトナビル少量) に変更、3カ月の時点で、HIV-RNA 260copy/ml、CD4リンパ球 586/mm3である。薬剤耐性検査でも問題となる耐性は検出されていない。

家族に対する検査:本人、家族の希望にて、女性の周辺に対するHIV検査が行われた。現在の夫は、HIV抗体陽性で、HIV-RNA 7,000copy/ml、CD4リンパ球1,052/mm3であった。また、現在でも交際のある前夫の検査も施行でき、HIV抗体陰性が確認された。一方、母乳で育てられた長男は、HIV抗体陽性で、HIV-RNA 20,000copy/ml、CD4リンパ球1,100/mm3であった。また、現在の夫と再婚する直前まで交際のあった恋人もHIV陰性が確認された。現在、夫と長男は、定期的に血液検査を行い、治療導入の時期を検討中である。

考 察
女性の感染源は、前回の妊娠時ならびに前夫、恋人がHIV陰性であることより、現在の夫と考えるのが妥当であろう。長男は、出生後の2歳時までの、母親が感染した後に新たに感染したものと推定され、感染源としては母親または義父(現在の夫)となろうが、母親も男性交際歴が多いことなどを考慮すると必ずしも義父から感染したとは断定はできず、接触の程度からすれば母親からの母乳感染などが最も疑われる。いずれにせよ、現在女性は順調に治療が進んでおり、新たに女児への感染が回避できることを願う。また、長男に関しては、しかるべき時期にART を導入することを検討中である2) 。

一方、本症例のもう1つの問題点は、この女性が女児を妊娠した時点でHIV抗体が陽性であるにもかかわらず、十分な措置がとられなかったことである。幸い今のところ女児への感染は確認されていないが、女性に対しては分娩前には2日間のみしかARTを行う時間的余裕はなく、女児にHIVが感染しても何ら不思議はなかったと思われる。現在、多くの産婦人科では、妊娠判明時にHIVのみならず、B型肝炎ウイルス(HBV)、成人T細胞白血病ウイルス(HTLV-1)などの抗体検査も行われているが、せっかくの検査結果に対して認識が乏しいのは残念である。昨今、HTLV-1陽性妊婦に対する指導が不十分ということで、行政指導が行われるようになったが、事前に感染が判明していれば、児に対する感染予防対策が実施でき、不幸な母子感染を回避できる可能性がある。妊婦の感染症検査とその後の対応に関して、行政、医師会などを介して、再度徹底指導が望まれる。

 参考文献
1) HIV感染症「治療の手引き」<第15版>HIV感染症治療研究会, p.30-33, 2011
2) Luzuriaga K, et al ., N Engl J Med 350: 2471-2480, 2004

岐阜大学医学部附属病院血液感染症内科 鶴見 寿

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