ハンタウイルス肺症候群とは

 ハンタウイルスによる感染症が日本で注目されたのは1970 年代半ばから各地の医学系動物実験施設においてラット取扱い者の間に不明熱の患者が相次いで発生した時で、当時は病因が不明であった(1984 年まで発生が続き、合計127 例、うち1例死亡)。それに先立ち1960 年代、大阪梅田の居住環境の悪い地区において、不明熱の発生が報告されていた(119 例うち2 例死亡)。さらに先の大戦前に、中国とソ連邦の国境を流れるアムール川の流域で流行があり、また旧日本軍が中国東北部に進駐した際に不明熱に遭遇し、「流行性出血熱」として報告された。その後、朝鮮戦争のときに国連軍のあいだに約3,200 例の不明熱が報告され、大いに注目された。韓国高麗大学の李らが、1976 年に流行地のアカネズミ(Apodemus)から病因ウイルス を初めて分離し、アカネズミを捕獲した場所の川の名をとって、ハンタン(Hantaan)ウイルスと命名した。上にあげた疾病はハンタンウイルスの仲間に 起因するもので、腎症候を伴う出血熱をおこすので腎症候性出血熱(HFRS, Hemorrhagic fever with renal syndrome)と統一して呼ぶこととなった。我が国では、1982 年に感染研と北大獣医学部により札幌医科大学のラットから原因ウイルスが国内で初めて分離された。その後の研究の進展に伴い、ブニヤウイルス科の5 番目の新しい属としてハンタ(hanta)ウイルス属と命名されたのである。米国においてはガイデユセックらによりハタネズミ(Microtus) のあいだにウイルスが保有されていることが示されたが、動物学者などに抗体保有は認められたもののヒトに対する病原性は不明であったため、あまり問題視さ れていなかった。ところが1993 年、米国南西部で肺水腫を伴う急性の呼吸困難による死亡がナバホインディアンのあいだで複数報告された。腎症候を伴わず、急性の呼吸器症状を示し約50% が死亡するという疾病が出現したが、これがはじめて問題化したハンタウイルス肺症候群 (HPS) の発生であった。その後、1995年から、南米からもHPS 発生の報告が続々とでている。

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ハンタウイルス肺症候群【更新情報】

Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan