国立感染症研究所

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MERSコロナウイルスの基礎研究

(IASR Vol. 36 p. 136: 2015年12月号)

中東呼吸器症候群コロナウイルス(MERS-CoV)は、典型的なコロナウイルスの形態を持つ()。他のコロナウイルスと同様、脂質二重膜のエンベロープに包まれた直径100nmの楕円体で、エンベロープ表面に王冠に似た突起、スパイクがある。プラス鎖の1本鎖RNAをゲノムに持ち、その大きさは30kbとRNAウイルスの中では最大サイズである。コロナウイルスは遺伝学的特徴からα、β、γ、δのグループに分けられるが、MERS-CoVは2002年に中国で発生した重症急性呼吸器症候群コロナウイルス(SARS-CoV)と同じβコロナウイルスに属している1)。そもそもコロナウイルスは、我々の身の回りに棲息するあらゆる動物に蔓延しており、それぞれの動物に特有の種類が存在している。多くの場合、それぞれの動物では軽症である。ヒトのコロナウイルスは4種類(229E、NL63、OC43、HKU1)が知られているが、いずれも全世界的に蔓延している普通の風邪の病原体である。MERS-CoVもラクダの集団では風邪症状を引き起こすだけの病原体であるが、ヒトに感染すると高齢者や基礎疾患を持つ人で重症肺炎を引き起こす。SARS-CoVも同様で、中国のキクガシラコウモリに蔓延していると考えられるが、ヒトに感染すると重症肺炎を引き起こす。人類は最近の13年で少なくとも二度の動物由来コロナウイルスによる重症肺炎のアウトブレイクを経験したわけであり、潜在的な脅威は自然界に少なからず存在することが想像できる。今のところヒトの集団でのMERS-CoV感染は限定的であるため、このウイルスが完全にヒトに馴化しているとは言えないが、今後長期にわたってヒトに感染することで、よりヒトに感染しやすいウイルスに変化する可能性は否定できない。

MERS-CoVが細胞に感染するときの受容体は、dipeptidyl peptidase-4(DPP-4)である2)。ウイルスとの結合部位がよく解析されており、ラクダのDPP4とアミノ酸配列が似ている動物種はMERS-CoVに感染する可能性がある。これまでに培養細胞で確認された感染可能な動物は、ヒト、サル、ウマ、ラクダ、ウサギ、ブタ、コウモリであり、他のコロナウイルスに例をみない宿主範囲の広さである。コロナウイルスは通常、種の壁を超えて感染することはほとんど無いが、MERS-CoVは多くの種類の動物に感染する潜在性をもっている3)

MERS-CoVのスパイク(S)蛋白はレセプター結合後、宿主細胞のプロテアーゼに解裂を受けて活性化し、ウイルス膜を細胞膜と融合させてウイルス遺伝子を細胞内に送り込む。その後、細胞内で脂質二重膜に包まれた構造、double membrane vesicles(DMVs)を形成し、この中でウイルスの遺伝子を複製する。ウイルス遺伝子は全長のウイルスRNAに加え、複製起点の異なる様々な長さの7本のサブジェノミックRNAを合成し、それぞれのRNAから、ウイルス粒子を構成する蛋白、spike(S)、envelope(E)、membrane(M)、nucleocapsid(N)を合成する。またこれらのRNAから、ウイルス複製に必要と考えられる複数の非構造蛋白が合成される。ウイルス粒子はゴルジ体で形成され、細胞外に放出される4)

今のところMERS-CoVに対する治療薬やワクチンはない。抗ウイルス薬を考える場合、上記のウイルスの複製過程を阻害する薬が候補となる。培養細胞において、cyclosporin、mycophenolic acid、chloroquine、chlorpromazine、loperamide、lopinavir、camostatは10μmol/L以下の濃度でウイルスの増殖を抑えることができるが、これらをMERS治療のために患者に投与できるようにするためには、さらなる研究や改良が必要である5-10)。また、HIVの治療薬として知られるペプチド薬enfuvirtideと同様の仕組みで、MERS-Covに特異的なペプチドがウイルスの細胞侵入を抑えることも確認されている11)。血清療法については、短期間で準備できそうな方法ではあるが、回復患者からの血清を十分量集めることができないため、実現は難しい。

一方、培養細胞において、Ⅰ型インターフェロン(IFN-α と IFN-β)はMERS-Covの増殖を抑えることが報告されている。アカゲザルへの感染実験では、ウイルス感染8時間以内にリバビリンとIFN-α2bを投与すれば、肺で炎症とウイルス増殖を減少させることが報告されている12)。しかし、実際の重症患者への投与では効果が確認されず、症状が進行した段階での投与に延命効果は認められなかった13)。また、一部の重症患者にはコルチコステロイドが投与されたが、延命効果はみられなかった。2003年のSARS流行の時には、患者へのステロイドの投与が行われたが、骨壊死等の副作用がみられたため、ステロイドの使用は慎重に行うべきと言われている。一方、ウイルスを中和するヒト型モノクローナル抗体がウイルスを中和することが示されており、近い将来の利用が期待される14)

ワクチンの開発については多数の報告があり、様々な形態のワクチンが有効であることが示されている15-17)。これらのワクチンの使用法については、①ラクダに接種してヒトへの感染リスクを下げることと、②MERSに感染リスクの高い人、つまり基礎疾患を持つ人に接種すること、の2通りが考えられている。

このウイルスに対する薬やワクチンの無い現状において、感染拡大を防ぐためには感染者を早期に発見し、適切に隔離することが必要である。医療関係者と検査担当者の情報共有と迅速な対応は当然のことであるが、加えて中東からの帰国者にも協力をお願いしている。MERSに感染したかもしれないと思っても、すぐに病院へは行かず、まずは保健所や検疫所に電話で相談し、指示に従って適切に行動していただくことで、病院内での感染拡大を防ぐことができる。医療関係者のみならず一般の人と感染症の情報を共有し、うまくコミュニケートすることで、MERSのみならずあらゆる感染症のリスクを抑え込むことができるはずである。

参考文献
  1. Zaki AM, et al., N Engl J Med 367: 0121017140031005, 2012
  2. Raj VS, et al., Nature 495: 251-254, 2013
  3. Bosch BJ, et al., Cell Res 23: 1069-1070, 2013
  4. Zumla A, et al., Lancet 386: 995-1007, 2015
  5. De Wilde AH, et al., Antimicrob Agents Chemother 58: 4875-4884, 2014
  6. Dyall J, et al., Antimicrob Agents Chemother 58: 4885-4893, 2014
  7. Chan JFW, et al., J Infect 67: 606-616, 2013
  8. Shirato K, et al., J Virol 87: 12552-12561, 2013
  9. De Wilde AH, et al., J Gen Virol 94: 1749-1760, 2013
  10. Durai P, et al., Exp Mol Med 47: e181, 2015
  11. Lu L, et al., Nat Commun 5: 3067, 2014
  12. Falzarano D, et al., Nat Med 19: 1313-1317, 2013
  13. Al-Tawfiq JA, et al., Int J Infect Dis 20: 42-46, 2014
  14. Li Y, et al., Cell Res, doi:10.1038/cr.2015.113, 2015
  15. Muthumani K, et al., Sci Transl Med 7: 301ra132, 2015
  16. Wang L, et al., Nat Commun 6: 7712, 2015
  17. Song F, et al., J Virol 87: 11950-11954, 2013


国立感染症研究所ウイルス第三部第四室 松山州徳

 

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