国立感染症研究所

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数理モデルを用いたMERS輸入後の二次感染発生リスクの推定

(IASR Vol. 36 p. 244-245: 2015年12月号)

2015年5~7月の大韓民国(韓国)における中東呼吸器症候群(MERS)の集団感染は、次の2点において日本のMERS流行対応の必要性を強く認識すべきものであった。1点目として、これまで欧州諸国を中心に輸入感染者の診断が報告されたが、中東での曝露に抜本的対策が講じられない状況が続いており、日本を含むアジア諸国においても十分に高い輸入リスクと向き合うことが必要となった。2点目として、MERS伝播は異質性が高く、輸入感染者の接触が十分に追跡されないまま経過すると、韓国相当の規模の集団発生が起こるリスクが十分にあることが挙げられる。本稿では、上記2番目に関連して、輸入感染者が二次感染者を生み出すリスクおよびさらなる感染世代を生み出すリスクについて確率過程モデルを利用して推定した原著研究1)の方法と結果に関して概説する。二次感染リスクに加え、同モデルを利用することによって輸入感染者の侵入1回あたりに期待されるクラスタサイズ(集団発生時の感染者総数)について検討した。

観察データ
研究時点に相当する2015年6月時点までに認められた全世界での36回の輸入イベントに関する2種類の観察データを利用した。一方が輸入1回毎の総感染者数データ(図A)であり、他方が(類似の情報ではあるが)輸入1回ごとの総感染世代数データである。これら観察データを確率モデルで取り扱うため、一つひとつの輸入イベントはランダムな事象であると想定した。

数理モデル
MERSの二次感染イベントは、原因病原体が同じコロナウイルスである重症急性呼吸器症候群(SARS)と2つの点で疫学的に共通している。1つは、どちらの感染症も重症化した時に二次感染が発生しやすい(例:肺炎の状態が進行したとき)。同特徴のため、二次感染が医療機関で発生しやすい。2つ目は、どちらも1人の感染者あたりが生み出す二次感染者数にバラつきが大きいことである。ほとんどの感染者は二次感染者を生み出さないか、二次感染が起こっても二次感染者数は数人程度で済む。しかし、一部の感染者だけが他と比較して非常に数多くの二次感染者を生み出すスーパースプレッダーとなる。

以下、二次感染者数のバラつきを捉えつつ数理モデル化を実施した。1人の感染者あたりが生み出す二次感染者数の平均値をR0(基本再生産数)と記述する。二次感染のバラつきが大きい場合、少なくとも平均値R0の次に重要な基本統計量である分散を加味することが必要であることを示唆する。たとえば、1人の感染者あたりが生み出す二次感染者数xをバラつきが大きい負の二項分布で十分に捉えられるものと想定すると、バラつきを与える変動パラメータkを利用して、以下のように二次感染現象をモデル化することができる2)

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(1)kが0に近ければ近いほど分散が大きく、裾の長い分布となる。kが1のとき、(1)式は幾何分布と同じであり、kが無限大のとき式(1)はポアソン分布である。

この式では図Aの観察データに基づくパラメータR0kの推定を実施することができない。(1)式に基づく分岐過程を用いて確率母関数を記述し、その微分を解くことで1人の輸入感染者が侵入した際に期待される総感染者数(図Aに相当する確率分布)が次のように導かれる。

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同様に、期待される感染世代数の確率分布も解析的に導かれ、最尤推定法を用いることでパラメータ推定を実施した。

結 果
全36の輸入イベントのみを対象に推定を実施すると、R0およびkは0.75 〔95% 信頼区間(CI): 0.54-1.09〕と0.14(95% CI: 0.06-0.32)と推定された。全36イベントのうち13回は中東地域でみられたので、それを除く全23回のイベントのみを対象に推定を実施したところ、0.81(95% CI: 0.49-1.46)と0.07(95% CI: 0.02-0.21)と推定され,全36回を分析した際と比較して有意に異なる結果はみられなかった。

図Bに二次感染リスクの分布を示す。これらは全36回のイベントに基づく推定値を利用して計算した。二次感染は22.7%(95% CI: 19.3-25.1)の確率で発生すると考えられた。同パラメータを利用して分岐過程モデルで伝播の再現を実施すると、三次感染、四次感染、五次感染者が発生する確率は10.5%、6.1%、3.9%と推定された。多くの輸入イベントは、二次感染無し、あるいはごく少数のクラスタに留まると考えられるが、総感染者数8人以上となる確率は10.9%(95% CI: 7.6-13.6)と推定された。

考 察
MERSの感染性は必ずしも高くなく、本研究で推定されたR0も十分に1より小さかった。しかし、同感染症の流行は、二次感染者数のバラつきが大きいことによって特徴づけられ、変動パラメータkの値が小さいことも明らかとなった。つまり、MERSは不確実性が高い感染症であり、感染性が低いという事実は変わらない一方、韓国で認められた程度の大きなクラスタが発生するリスクは常にあることを念頭に置いてリスクアセスメントや流行対策の構築を進めることが望ましいと示唆された。

参考文献
  1. Nishiura H, et al., Euro Surveill. 2015; 20(27): pii= 21181
  2. Nishiura H, et al., J Theor Biol 294: 48-55, 2012

東京大学大学院医学系研究科 西浦 博

 

 

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