国立感染症研究所
(2017年10月2日現在)
1976年にスーダン、コンゴ民主共和国(旧ザイール)でエボラ出血熱〔エボラウイルス病(EVD)と呼称される〕の流行が初めて確認されて以来、現在に至るまでサハラ以南の主にアフリカ中央部において20回以上の流行事例が報告されている1)。西アフリカでは古くは、1994年にコートジボワールでタイフォレストエボラウイルスによるEVD症例が1例確認されている1, 2)。2006~2008年にシエラレオネで行われた血清疫学調査では、ラッサ熱が疑われた患者から採取された血清の8.6%がエボラウイルスに対するIgM抗体が陽性であった3)。これらの報告は西アフリカには、以下に記述する2014〜2016年の流行以前にEVDが発生していた可能性を示唆している。
2014〜2016年に、西アフリカのギニア、リベリア、シエラレオネにおいて初めて大規模なEVD流行が発生した。流行は近隣のマリ、セネガルやナイジェリアにも波及し、2014年8月8日に世界保健機関(以下「WHO」という)は「国際的に懸念される公衆の保健上の緊急事態(以下「PHEIC」という)」を宣言した。本流行において総患者数は疑い患者を含めて28,616人、死亡者数は11,130人と過去最大規模となった4)。
本流行の原因は、ザイールエボラウイルスMakona variantである5)。2013年12月にギニアで発生した初発例は動物(詳細は不明)から感染し、その後の症例はヒト-ヒト経路で感染したと推測されている6,7)。2014~2016年の流行が過去最大規模に至った理由として、幾つかの要因が指摘されている1)。1) WHOの最初の報告は2014年3月23日であり、この時点でギニアの初発例を起点として複数の感染伝播経路が発生していた。2)サーベイランスシステムとその他の公衆衛生基盤の脆弱性により、症例探知とアウトブレイク対応が困難であった。3)都市部へのアウトブレイク拡大により、患者隔離をはじめとする感染管理、診断、治療の対応能力を超えて、急速に症例数が増加した。4)EVDへの対応に不慣れな地域で、頻繁な人の往来に伴いウイルス感染が拡散したことが挙げられている。
本流行では、ギニア、リベリア、シエラレオネにおいて終息宣言後に新たなEVDの再燃例(flare-up)が確認された8-10)。その要因として回復患者との性行為を介したエボラウイルス感染の可能性が指摘されている8,9,11)。回復患者の精液中からは発症後500日以上にわたりエボラウイルス遺伝子が検出されたという報告がある12, 13)。最終的に2016年3月29日にPHEICが解除され、同年6月9日にリベリアで終息が宣言された14)。その後は、西アフリカではEVD症例は探知されていない。
また、2017年5月11日には新規のEVD症例がコンゴ民主共和国よりWHOに報告された。確認された8例(確定例5例、可能性例3例、うち死亡4例)は、全て同国北東部のBas Uele州からの報告であり、同州を越えての広がりは確認されず、2017年7月2日にWHOはコンゴ民主共和国におけるEVDアウトブレイクの終息を宣言した15)。その後、コンゴ民主共和国による90日間の強化サーベイランスが行われていたが、2017年9月30日をもって対応を終了した。
国内においては、西アフリカにおける過去に例をみない大規模な流行終息後の対応として、EVD流行の再燃の危険性について渡航者へ注意喚起し、渡航歴・接触歴の自己申告を促す啓発活動を継続してきた(厚生労働省:http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708.html、FORTH:http://www.forth.go.jp/news/2014/09021454.html)。現時点では、西アフリカ及びアフリカ中央部におけるEVD流行は発生しておらず、平成28年付け「西アフリカ諸国におけるエボラ出血熱の流行に関するリスクアセスメント」に記載がある特別な検疫対応までは求められる状況にない。しかし今後も両地域におけるEVDの流行状況に注意を払い、適宜、国内へ輸入されるリスクについて判断していくことが重要である。