国立感染症研究所

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抗HIV薬治療下のHIV潜伏感染症:非致死的病態について2―HIVとHAND

(IASR Vol. 35 p. 212-214: 2014年9月号)

はじめに
昨年のHIV/AIDS特集において、『抗HIV薬治療下のHIV潜伏感染症:非致死的病態について―HIVと骨粗鬆症』の報告を行った(IASR 34: 261-262, 2013)。繰り返しになるが、薬剤治療の進歩によりAIDSによる致死的状況を回避できるようになったものの、一度開始した治療は中断することはできない。つまり、今のところどれだけ治療を続けてもウイルスは感染してからずっと体内に居座り続ける。長期間慢性炎症状態が持続することで体内では様々な問題が引き起こされていく。すぐに命に関わるという状況ではないものの、HIVによる慢性炎症は心血管系疾患発症のリスク因子となり得るし、骨代謝異常、高血圧、脂質異常、癌の発生リスクの上昇、そして、HAND(HIV-Associated Neurocognitive Dysfunction)と呼ばれる認知機能低下も、脳内での残存ウイルスによる慢性持続感染に起因するものと考えられている。HANDは重症度により、1)顕著な機能障害を伴う認知障害(HIV-Associated Dementia;HAD)、2)軽度神経認知障害(Mild Neurocognitive Disorder;MND)、3)無症候性神経心理学的障害(Asymptomatic Neurocognitive Impairment;ANI)の大きく3つに分類される。昨年は、HIVの慢性感染が引き起こす種々の問題の中で、骨代謝異常についていくつかのトピックを紹介したが、今回は現在大きな問題となってきている長期感染者における神経認知機能障害(HAND)について紹介したい。

HIV感染症とAIDS脳症
1996年からスタートした多剤併用療法 (combination antiretroviral therapy;cART)は、それまで死に至る病だったHIV感染症を慢性感染症の一つへと劇的に変えた。これにより、それまで進行すると必ずといっていいほどみられた高度の神経認知障害(AIDS脳症;ARC)も目に見えて減少した。cART以前は、いかにして血液脳関門(BBB)を越えて脳脊髄液内の薬剤濃度を上げるかが、新規薬剤開発の方向性のメインの一つだった。ところが、cART以降(つまりプロテアーゼ阻害剤が開発されて以降)は血中のウイルス量を下げればARCはめったに起きないので、特にBBBを通りやすくなくても、ウイルスに効果があるものであれば良いということにいつの間にかなっていった。cARTが始まる前の暗黒時代を知る先生方なら理解していただけると思うが、cART以降の治療は嘘のように血中のウイルス量が下がり、CD4が回復し、みるみる患者は元気になっていった。それだけで、なんだか治癒したような気にさえなったのである。あとは薬の副作用や飲みにくさ(数が多すぎることや大きい等)をなんとかすれば、HIV感染症は克服できるかもしれないと、多くの関係者がかなり本気で期待したのである。

HIV感染症とHAND
ところが、近年治療中の、しかもウイルスが抑えられているにもかかわらず、軽度~中程度の認知障害が増えてきているという報告が相次いだ1, 2)。臨床的には、薬を飲み忘れたり、性格が変わったり(怒りっぽくなったり)、転びやすくなったりする外来患者が最近多くなったということで、次第に皆気付いてきた。2010年のSimioniらの報告1)では、問診で認知障害の自覚があると答えた人の実に84%が実際の検査でHANDと診断された。トータルでみても、69%にHANDの診断が下されたのだ(図1)。本当にそんなに高い頻度なのかどうかを、より大規模なコホート(n=1,316)で調べた結果、cART中にもかかわらずANIが33%、MNDが12%認められ、さすがにHADは2%と低かったものの、総計47%のcART中の感染症例に何らかの認知障害が認められたのである2)図2)。69%はいくら何でも高すぎるだろうと思っていたが、大規模コホートでみても50%近くという数字に少なからず驚かされた。また、血中のウイルス量が感度以下になっているのに、認知障害が進行している感染者の髄液を検査したところ、髄液内のウイルスに薬剤耐性変異を持っているものが認められたとする報告もあり3)、進行するHAND症例においては髄液中のウイルスのシークエンスも調べることが必要となってきた。

これらのことは、今後治療をスタートするときに、なるべく脳でウイルスリザーバを増やさないという観点から、ファーストラインの治療の組み合わせと時期を決める必要があるということを示唆している。慢性炎症を抑えることと同時に脳に行かせない対策が、治療を決定する上で大きな因子となる可能性が高いのである。

ただし、HANDの診断基準や治療方法に関しては、いまだ確立されておらず、手探りの状態が今も続いている。本邦での診断治療におけるガイドラインの整備が急務といえるであろう4)

おわりに
残念ながら、いったんHIV感染が成立すると、今のところHIVを完全に体内から排除することは至難の業だといわざるを得ない。今年の国際AIDS学会でも、ミシシッピベビーが27カ月目にしてウイルスのリバウンドが確認されたとの発表があったし5)、早期治療によるウイルスの排除に関しては悲観的な報告がほとんどである6)。しかし、一方で、早めに治療を開始すれば、HIVの体内での広がりを抑えることができることも同じ報告の中で述べられている。つまり、感染早期に治療を開始するということは、将棋の対戦相手に飛車、角、金、銀落ちで始めさせるようなもので、少なくとも出だしでの優位性は担保できることを意味する。相手(HIV)が長考している間に、王(脳)を守るための陣形を整えつつ、早めに相手に投了させる手(治療法)を考える必要に、今まさに迫られているのである。

 

参考文献
  1. Simioni S, et al., AIDS 24: 1243-1250, 2010
  2. Heaton RK, et al., Neurology 75: 2087-2096, 2010
  3. Peluso MJ, et al., AIDS 26: 1765-1774, 2012
  4. 立山正雄ら, HIV感染症とAIDSの治療 4: 65-69, 2013
  5. Persaud D, Abst [MOSY0501], 20th International AIDS Conference, Melbourne, Australia, July 20-25, 2014 (http://pag.aids2014.org/)
  6. Haria J, et al., J Virol 88: 10056-10065, 2014

国立感染症研究所エイズ研究センター 吉村和久

 

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