国立感染症研究所

IASR-logo

結核菌分子疫学

(IASR Vol. 38 p238-240: 2017年12月号)

2006年のIASR結核特集(IASR 27: 255-256, 2006)以降, 結核菌分子疫学実施のための体制整備が進んできた。2011年改正の結核に関する特定感染症予防指針(以下, 「予防指針」 という)の中に「分子疫学調査の積極的実施」が盛り込まれたことは, これまで研究的側面が強かった分子疫学解析を, 自治体における結核対策に活用するよう導いた点において意義深い。また, 2016年改正の予防指針では「都道府県等による結核菌の全株収集」が目標として掲げられた。これは, 各自治体における分子疫学実施体制が整いつつあること, および日本の結核罹患率が漸減傾向であること(患者由来結核菌の総数が減少傾向にあること)を踏まえての改正と考えられる。現状では全株収集は困難な自治体が多いと想定されるものの, 2017年に示された「結核菌病原体サーベイランスの実践(総説)」および「結核分子疫学調査の手引き(以下, 「手引き」という)」(いずれも結核研究所ホームページから入手可能)を参考にすることで, 今後, 各自治体における結核菌分子疫学実施体制の整備が加速度的に進んでいくことが期待される。

結核菌の分子疫学解析手法もこの10年で大きく変化した。これまで主流であった制限酵素断片長多型(RFLP)分析と同等の識別能を有し, 手順がより簡便な反復配列多型(variable-number of tandem-repeats: VNTR)分析が台頭したことで, 多くの地方衛生研究所等(以下, 「地衛研」という)が菌の異同判定結果を保健所にスムーズに提供できるようになってきた。現状では, 分析領域数は国内標準の12領域〔JATA (12)セット〕最多の24領域(24Beijingセット)まで様々であるが, 今後の各地衛研の技術向上および外部精度評価(結核研究所実施)の継続による精度保証により, 長期的には国内標準となる分析領域数は増加していくと予想される。分析領域数の増加に伴うコストの増大に関しても安価・迅速な系が提案されており1), 各地衛研の創意工夫が現状打破のきっかけとなり得る。分析領域数を増やして識別能を高めることは, より正確な科学的根拠を結核対策のために還元できる点において, 担当者が目指すべき方向性といえる。加えて, 新たな解析手法として, RFLP・VNTR分析のように結核菌ゲノムの特定箇所を調べるのではなく, その全体(約440万塩基対)を解析対象とするゲノム解析の導入が進みつつあることにも注目したい。近い将来, 分子疫学解析の最終着地点ともいえるゲノム解析が当たり前に実施されている時代が到来しているのかもしれない。

地衛研における分析技術がいくら向上しても, 得られた菌の分析結果を由来患者の実地疫学調査結果と重ね合わせ, 「いつ, どこで結核の感染伝播が起きたのか?」を追究しない限り分子疫学解析の意味はない。したがって, 結核菌分子疫学を推し進めていく上では, 地衛研と保健所の連携体制の構築が最重要事項である一方, これまでボトルネックでもあった。その難局を打破するためには, 手引き(4, 5章)で示されているVNTR分析結果を踏まえた実地疫学調査の方法(感染源・感染経路の究明に力点を置いた調査票の開発と活用を含む), および調査によって得られる公衆衛生上の利益を理解した上で, 地衛研・保健所の双方が「結核患者を減らすためには何ができるか」を念頭に置きながら連携の道筋を探っていくことが重要である。そのような連携の結果として経験された具体的事例については, 本特集の集団感染事例(本号10, 11 & 12ページ参照)に関する記事や手引き(6章)を参照いただきたいが, ここでは特に「先回りの結核対策」を目指していくべき点を強調したい。例としては, 網羅的なVNTR分析により集団感染事例における新たな感染リスク集団を探知し, 発病前の潜在性結核感染症患者を早期発見・治療することで結核の感染連鎖を断ち切る, あるいは院内感染疑い事例に対して同分析を早期に適用し, パターン不一致をもって医療機関における不要な接触者健康診断を回避するなどが挙げられる。このような事例は, 地衛研・保健所の双方が結核菌分子疫学のメリットを最も実感できるだけでなく, 結核対策に割く労力や経費の節減にも繋がり得る。実地疫学調査を担う保健所の側で抱えている曖昧さという不安材料を地衛研の示す科学的根拠が払拭した時, 分析を担当した職員は大いなる充実感を得られるであろうし, それはまた「公衆衛生(public health)」を名に冠する地衛研の当然の役割ともいえる。

結核菌分子疫学調査の活用事例の蓄積は, 各自治体が為すべき結核対策の方向性を指し示す。例えば山形県では, 2009~2015年における網羅的な結核菌分子疫学調査による最近の感染伝播事例の蓄積により, 60歳以上の高齢患者を発端とする最近の結核感染伝播が約80%であったこと, および感染場所として医療機関が最多であったことを把握し2), 高齢者施設・医療機関職員等に対する啓発活動を進めている。結核菌分子疫学調査により明らかにされる一つ一つの事例は小さなものかもしれない。しかし, それらを総合して俯瞰的に捉えることで, 各自治体が抱える課題が浮き彫りとなり, 「結核患者を減らすためには何をすればよいか?」という問いに対する答えが得られていく。さらに, 各自治体における課題の発掘は, 国全体を総括する結核研究所, 厚生労働省が将来の日本の結核対策を定めるうえでの貴重な基礎データになっていくと考えられる。

結核菌分子疫学調査の仕組み構築は, 結核という一つの感染症に留まらず, 自治体における感染症対策の基盤整備にも貢献する。各自治体における結核菌分子疫学調査の成功の秘訣は, 患者情報・結核菌を有する医療機関, 実地疫学調査を担う保健所, 分子疫学解析を担う地衛研, そして全体を総括する県庁・市役所が, 相互理解により風通しのよい関係を作り上げていくことである。そのような良好かつ強固な関係が構築されていれば, 対象が他の感染症(例:新型インフルエンザ, 麻疹)に変わろうとも即応できる。結核菌分子疫学調査の仕組みの構築には様々な苦労が潜んでいる点は否めない。しかし, 将来的にはそれら苦労が, 結核を含む感染症全般の対策に役立つという広い視野での発想のもと, 関係機関との連携強化を目指していくべきではないだろうか。

2020年までに日本の結核罹患率を人口10万人当たり10以下にするという目標が予防指針の中で掲げられた。2016年の罹患率が13.9であることを踏まえると, この数値目標は現状のままでは達成困難である。各自治体でできることは, 結核菌分子疫学調査を含む結核対策の積極的な実施により, 感染伝播が多い施設・環境に対する啓発活動を強化し, 一人でも多くの感染者を発病前に捉え, そして一つでも多くの結核感染伝播を未然に防いでいくことである。それら努力は, 短期的には予防指針の数値目標達成, そして長期的には日本を1日でも早く結核のない社会にすることに繋がっていくと考えられる。

 

参考文献
  1. Seto J, et al., J Micobiol Methods 139: 12-14, 2017
  2. Seto J, et al., Emerg Infect Dis 23: 448-455, 2017

 

山形県衛生研究所
 瀬戸順次 鈴木 裕 池田辰也 水田克巳 阿彦忠之

Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan

Top Desktop version