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旅行中に発症し, 原因食品を同定し得なかったボツリヌス症の1例

(IASR Vol. 38 p.147-148: 2017年7月号)

2016年, 奈良県で食餌性と考えられたボツリヌス症が発生したためその概要を報告する。

 症例:60代 男性

臨床経過:前日夜間に他府県から電車移動, ホテルに宿泊中であった。嘔気や腹部膨満感などの消化器症状の後, 複視・嗄声の症状が出現し救急搬送要請した。大動脈弁の人工弁への置換術を施行後であり, 脳卒中の可能性を考慮して頭部画像(CT・MRI)検査を行ったが異常は認められなかった。その後, 外眼筋麻痺・呼吸困難・四肢麻痺が出現悪化, さらに急性に心不全の状態に至ったため, 入院2日目より人工呼吸管理を開始した。一般血液検査・髄液検査では異常を認めず, 神経伝導検査では複数の末梢神経で単発刺激による複合筋活動電位振幅が正常値をはるかに下回り, 反復刺激を行っても増大現象を認めなかったことから, 重度のボツリヌス症が疑われた。このため, 入院7日目にボツリヌスウマ抗毒素(A型, B型, E型, F型)が投与されたが, すでに全身の弛緩性麻痺に至っていた。人工呼吸器を離脱するのに5カ月, 歩行器を用いて歩行練習ができるまでに6カ月を要し, 発症後8カ月を経過した現在もリハビリテーションを継続している。

細菌学的検査:血清中および糞便中のボツリヌス毒素検出, および, 分離菌株の毒素産生性の検討は, マウス試験により行った。入院日, 入院2日目, 入院3日目に採血した血清すべてにおいて, A型ボツリヌス毒素が検出された。また, 入院7日目に採取した糞便検体においては, 糞便検体中ボツリヌス毒素は陰性であったが, A型毒素産生性Clostridium botulinumが分離された。

食品調査:奈良市保健所は, 医療機関から食餌性と推定されるボツリヌス症の発生届が提出されたことを受けて調査を実施した。初動調査の際, 患者は既に四肢麻痺, および人工呼吸管理を必要とする状態であったため, 聞き取り調査の実施ができなかった。また, 患者は他府県に独居であったため, 本人以外からの情報収集ができない上に, 患者宅における食品や残品等の詳細な調査実施も難しい状況で, 原因食品の特定に至らなかった。

考察:本邦における近年のボツリヌス症の発症報告は非常に稀である一方で, 本症は時に人工呼吸管理が必要となる重篤な神経中毒疾患であり, すみやかな診断を行うことに十分な注意を要する。消化器症状・外眼筋麻痺で発症し, 呼吸筋麻痺・四肢麻痺を呈する典型的な経過を呈する症例ではボツリヌス症を鑑別, ボツリヌス症が疑われた場合は細菌学的検査結果を待たずに迅速に抗血清の投与を行うことが必要と考えた。また, 食餌性ボツリヌス症が疑われた場合, 感染源・感染経路を特定することが重視される。保健所による摂食歴などの情報収集に加え, 国立感染症研究所や国立医薬品食品衛生研究所を中心とする専門の関係機関との連携が重要になる。今回, 発症前の摂食状況を本人より確認することが困難であったこと, 他府県の自宅を含め様々な場所で食事を摂取もしくは提供されたこともあり, 食餌性ボツリヌス症が疑われたものの原因究明には至らなかった。

本症で入院後にみられた心不全は, 「たこつぼ型心筋症」と呼ばれる病態が考えられた。「たこつぼ型心筋症」は, 全身へ血流を送り出すポンプの役割を担う左心室の収縮が一時的に失われる状態で, 自律神経の不均衡やカテコラミンの過剰放出などがメカニズムとして考えられている。ボツリヌス毒素により障害される神経には, 麻痺に関連する運動神経だけでなく自律神経も含まれるため, ボツリヌス症では, 麻痺症状の進行のみではなく自律神経の急激な乱れによる心筋症や致死的な不整脈等の病態にも注意を払うべきであると考えられた。

 

参考文献
  1. Tonomura S, et al., Internal Medicine 2017 in press

 

市立奈良病院神経内科 殿村修一
同 感染制御内科 佐藤公俊
奈良市保健所 山本圭一 南田 修 川口昌子
国立感染症研究所細菌第二部 岩城正昭 加藤はる 柴山恵吾

Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan