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Vero細胞の物語 ~その樹立からゲノム構造の決定、そして未来へ~

内容

1.日本で生まれたVero細胞

2.何故、私たちはVero細胞の全ゲノム配列を決定しようとしたのか

3.多施設共同研究チームの発足

4.シード細胞の選択

5.核型の解析とは

6.アフリカミドリザルの核型とVero細胞の核型

7.雌ザル由来のVero細胞

8.ゲノム配列解読

9.アフリカミドリザルのゲノム配列公開

10.Vero細胞のゲノム配列解読でわかったこと

 (1)Vero細胞はAfrican green monkeysChlorocebus sabaeusに由来する

(2)ウイルス抑制に働くI型インターフェロン遺伝子クラスターの欠失

(3)細胞周期のブレーキ役の欠失

(4)どのようにして両方の12番相同染色体に欠失ができたのだろうか

(5)Vero細胞系列の確認試験として欠失領域情報を利用する

(6)内在性レトロウイルス配列の多様性

11.今後の展望

12.余談

13.引用文献リスト

 

 

Vero細胞の物語 ~その樹立からゲノム構造の決定、そして未来へ~

 

皆さんは、ウイルスや毒素の研究、さらにはワクチン開発など感染症に関わる分野で最も活躍してきた、そして今も活躍していて、10年後も活躍しているであろう培養細胞が日本生まれであることを御存知でしょうか?その細胞は、Vero細胞(ベロ細胞)といいます。

大腸菌O157の生産するベロ毒素Verotoxinという言葉を覚えている方は多いと思いますが、この細菌毒素がこのように名づけられたのはそもそもVero 細胞に対して強い細胞毒性をしめす毒素として発見されたという歴史的経緯によるものです。アフリカミドリザルAfrican green monkeyの摘出腎臓から約半世紀前に樹立されたVero細胞は、微生物学において多大な貢献をしてきただけでなく、さまざまなウイルスワクチンを生産する際に用いる細胞基材として現在でも世界中で最も汎用されている培養細胞です。

私たちは、最近、Vero細胞の全ゲノム配列を決定しました[1](オープンアクセス雑誌に上梓した論文ですのでリンクしました)。

本稿では、Vero細胞の歴史について紹介したのち、Vero細胞のゲノム構造をなぜ明らかにしようとしたのか、そして、決定したゲノム配列からわかってきたこと、さらに、Vero細胞のゲノム構造を基盤にした今後の研究展望について述べたいと思います。

 

1.日本で生まれたVero細胞

 

 Vero細胞誕生の背景には、1940年代から60年代にかけて世界各地で流行したポリオ(ポリオウイルスによって引き起こされる小児麻痺)をワクチンによって予防しようとした世界的な取り組みがあります。

米国ジョンズ・ホプキンス大学のジョージ・ガイGeorge Geyらによってヒト子宮頸がん生検(バイオプシー、biopsy)サンプルから有名なHeLa細胞が樹立されたのは1951年です[2, 3]。ヒトのような高等動物でも長く継代培養できる細胞株continuous cell linesが得られたことで、その後の実験生命科学は大きく変わってゆきました(培養細胞についての用語説明ページを別に用意しました)。ヒト細胞そのものの性質を実験室レベルでいつでも解析できるようになっただけでなく、それまでなら動物個体や動物からの摘出組織に感染させて増やしていたウイルスを培養皿の中で維持・増殖できる培養細胞を宿主として増やせる道が開けてきたからです。

1950年代はポリオワクチンの開発が成功した時代でもありました。HeLa細胞もポリオの研究に使用されましたが、ワクチンのもととなるポリオウイルスの生産にはサルから摘出した腎臓組織の一次培養細胞primary culture cellsが当時は使用されていました。準備できる細胞の量とウイルス増殖の面からサル腎臓が有利だったのです。何故、サルの腎臓細胞でウイルスが比較的よく増えるのかそのメカニズムは今でも未解明です。

そのような時代背景の中、当時の千葉大学医学部細菌学教室(主任:川喜田愛郎教授)の無給副手であった安村美博(ヤスムラ・ヨシヒロ;後に独協医大微生物学教室教授)は、多くの試行錯誤を忍耐強く行った末にアフリカミドリザルの腎臓から不死化した細胞株cell lineを得ることに成功しました[4, 5]。細胞株の樹立日は、不死化が確認できた日ではなく、その細胞株を得るために最初に組織培養を開始した日と定められており、Vero細胞のその日は1962327日と記録されています[4, 5]

細菌学教室で樹立されたことから推測できるように、安村先生は微生物研究、特にウイルス研究に有用な培養細胞を得たいという夢をもってこの細胞株の樹立に成功し、その夢に沿うように、Vero細胞はポリオウイルスを含むさまざまな種類のウイルスをよく増やすことのできる細胞であることが樹立後数年以内に明らかになってゆきました。この辺の事情は、安村先生の同僚であった清水文七先生の著書に活写されています[6]

 エスペラント語(世界共通言語として開発された言語であったが今や廃れてしまった感がある)をよくした安村先生は、アフリカミドリザルの腎臓から由来するこの新しい細胞株にエスペラント語で「緑の腎臓」を意味する“Verda Reno”を縮めてVeroという名を与えました。さらに、Veroというスペルがエスペラント語で「真実」(ラテン語ならVeritas)を意味するという卓越したネーミングとなっています(余談1)。

 

2.何故、私たちはVero細胞の全ゲノム配列を決定しようとしたのか

 

 冒頭に述べたようにVero細胞は感染症関連の研究や検査、そしてワクチン生産と幅広い役割をこの半世紀ずっと人類に対して果たしてきました。本HP原稿を記している2015年の現在、日本で流通しているヒト用ワクチンで、日本脳炎、ロタ、ポリオに対するワクチンはVero細胞を生産細胞に用いています。まだワクチンがないウイルス感染症に関してもVero細胞を利用しながら開発しようとしているものが複数あるようです[7, 8]

また、高病原性インフルンザ[9]、エボラ出血熱[10]中東呼吸器症候群(MERS[11]などの人類を脅かすような新興再興感染症の原因ウイルスを分離・培養するために最初に選択される細胞の一つがVero細胞です。

医薬品生産に使われるような細胞は十分に品質管理がなされる必要があります。細胞の品質管理法はさまざまな手法が確立しており、WHO文書(例えば、TRS_978 Annex1)などにまとめられています。しかし、これら従来の標準的方法は必ずしも科学技術の進歩に追いついてはいません。

特に、ゲノミクスをはじめとするオミックス的な方法論は品質管理手法に取り入れることができるという期待はあるものの、扱うデータが巨大なオミックス手法を国際的な細胞品質管理のガイドラインの中で具体的に規定するにはまだ至っていないようです。しかし、生物学的対象の特性を解析するに当たり、ゲノム情報はもはや不可欠な基盤情報になりつつあるのですから生物学的な医薬品の品質管理にゲノム科学を利用することは止めようのない流れと思われます。

また、従来ほとんどできなかった哺乳動物培養細胞での目的遺伝子特異的な破壊もこの数年間に急速に進歩したゲノム編集技術を用いれば可能になってきています[12]

私は、体細胞遺伝学的手法を用いた基礎研究に長らく携わっており、感染症対策に資する研究および行政支援活動をする機関の職員としてVero細胞のこともある程度は知っておりました。そして、ゲノム編集技術の培養細胞へ適用は自分たちでやってみても予想していた以上にうまくいくことを経験し[13]、日本生まれのVero細胞の全ゲノム配列を決定して、人類の共通情報資源として提供したいと思い立ちました。

 

3.多施設共同研究チームの発足

 

ゲノム科学に不慣れな私がVero細胞の全ゲノム配列を決定したいと思い立って最初に行動したことは、関連する専門家との共同研究チームを作ることです。いくつかの幸運に恵まれて、小人数ながらとても良いメンバーを集めることができました。(独)医薬基盤研究所・細胞資源室の小原室長(以下、小原さん)は、細胞の品質管理の専門家でありますので、ゲノム情報が細胞の品質管理にもつながることに即座に同意し、一緒にやりましょうということになりました。さらに、小原さんの知人で霊長類のゲノム科学に詳しく、カニクイザルMacaca fascicularisの全ゲノム配列決定を成し遂げたこともある長田博士(国立遺伝研究所;20154月から北大・情報科学科に異動)(以下、長田さん・オサダさん)を共同研究チームに引き入れてくれました。

目視や顕微鏡観察だけでは見逃しやすい微生物(マイコプラズマや細胞毒性の低いウイルス)のコンタミがないことを確認することが細胞の品質管理には不可欠であり、これを従来のスタンダードである古典的方法で行うのには大変な労力と技術が必要です。

ところで、原因不明の食中毒が発生した場合、食品サンプルの網羅的DNA配列解析をすることで、原因微生物が時間的にも費用的にも格段に効率よく特定できることがあります。DNAシ-ケンサを駆使した感染症疫学検査は私の所属する国立感染症研究所(以下、感染研)においても随時行われており、門前の小僧の如く、私自身もこの方法が培養細胞の微生物混入試験に活用できそうだということには気が付いていました。そこで、このような研究・調査の専門家でもある黒田博士(感染研・病原体ゲノム解析研究センター長)(以下、黒田さん)にも参画を打診し、了承を得ました。

このようにして三つの研究機関の計4グループから成るVero細胞ゲノム配列決定プロジェクト推進チームができたわけです。それぞれのグループが他にはできない専門的技術や知見を出し合い、結局、最後までこの最初の4グループのみで目標に達することができたのですが、どの1グループでも欠けていれば成功は覚束なかったと思われます。

 

4.シード細胞の選択

 

ひとくちにVero細胞と言っても世界中で継代されているうちに性質がお互いに少しずつ異なっている亜株(sub-line)が代表的なものでも数株あります。それらのゲノム配列はお互いに大変よく似通っていると推測されるものの、最初に配列決定するにふさわしい亜株はどれだろうと考えました。

単純に考えれば世界の中心的な細胞バンクであるAmerican Type Cell Collection ATCC)が配布しているVero細胞ATCC CCL81株というのが一番の候補かもしれません。しかし、Vero細胞はもともと日本で樹立された細胞であることから、オリジナルのVero細胞に最も近い、すなわち継代数の少ない保存細胞が国内にあるのではないかと小原さんに調べてもらうと、はたして医薬基盤研・細胞資源室に保管されているものの中にそのようなものがありました。

文献によると、米国の国立アレルギー感染症研究所(National institute of Allergy and Infectious Diseases; NIAID)に継代数93Vero細胞が千葉大学の清水博士によってもち込まれ、113継代目でATCCに寄託されて拡大した121継代目のプールがATCC CCL81株となっています[14]。一方、日本がん研究資源バンク(Japanese Cancer Research Bank; JCRB)にも継代数111の細胞2バイアルが清水博士によって寄託されたという記録があります[15]。この資源バンクはその後いくつかの組織に受け渡されていて、現在は医薬基盤研の管理下になっているのです。そして、111代から培養して増やした継代数115Vero細胞がJCRB0111の登録番号で医薬基盤研に冷凍保存されていました。

JCRBに保存されている継代数111の細胞が米国に最初に渡った継代数93の細胞の直接の子孫にあたるのか、それとも継代数93よりも前に分かれた分家の子孫にあたるのかは今のところはっきりしません。

文献記録の通りにあるべきところにあるべきものがちゃんと存在していたということなのではありますが、それを手繰り寄せるには、「感染症対策に多大な貢献をしてきたVero細胞の最初のゲノム配列決定は是非とも日本チームによって成し遂げたい」という意思が必要であったと思っています。

JCRB0111はおそらく現時点で手に入る最も継代数の少ない、すなわち不死化に成功して細胞株となった当初のVero細胞に一番近いストックです。私たちはこの貴重なストックをVero細胞の全ゲノム配列を最初に決定するシード細胞にすることにしました。

 

5.核型の解析とは

 

 ゲノム構造の全体像を把握するには、顕微鏡レベルで観察できる染色体chromosomeの様子を把握しておくことも重要です。それには、染色体が凝集して観察しやすい分裂期の細胞を集めて、さらに特殊な操作を加えて染色します(余談2)。

染色体の本数を核型karyotypeと呼びます。ヒトであれば23対の相同染色体(その中の一対は性染色体)から成っており、女性と男性のそれぞれ核型は(46,XX)(46,XY)と記載されます。

核型を解析するためによく用いられている方法は、古典的ともいえるGiemsa試薬を用いるギムザ・バンド(G-band)法や、よりスマートに各染色体を異なる蛍光色素で染め分ける多色蛍光同所ハイブリダイゼーション(multi-color fluorescence in situ hybridization; M-FISH)法があります。これらは熟練した手技を必要とする方法であり、それぞれに一長一短があります。

Gバンド法は基本的に全ての生物に適応可能です。染色体中にはGiemsa試薬で濃く染まる部分とそうでない部分があってその帯(バンド)のパターンは相同染色体セットの決定や染色体異常を発見する情報にもなります。一方、複数の染色体転座chromosome translocationがあった場合、どの部分がどこへ転座したかをGバンド解析だけで決定するのは困難です。M-FISH法ではそれぞれの染色体を染め分けますので、転座部位がもともとどの染色体にあったのかとか、生物種間の染色体構造保存性(シンテニー、synteny)が一目瞭然になります。一方、染色体ごとに異なる蛍光色素が結合したDNAハイブリダイゼーションプローブのセットが解析対象の生物種で用意されていなければならない点、そして、Gバンド法より高度な技術を要する点はM-FISH法の短所といえましょう。小原グループはその両方に長けており、Vero細胞の実に美しい核型解析データを提供してくれました(図1)。 

 

 Vero fig.1.png

 

 

6.アフリカミドリザルの核型とVero細胞の核型

 

 アフリカミドリザルの核型は60本、すなわち29対の常染色体と1対の性染色体から成ります。それに対してVero細胞の核型は59本がメインであり、24番染色体は一見すると一本しかありません。しかし、M-FISHのデータをよくみてみますと、なくなったようにみえた24番染色体は丸ごと7番染色体と結合して存在していることがわかりました(図1)。すなわち、Vero細胞の核型は見かけ上59本であるけれど、遺伝子セットとしてはほぼ二倍体を維持しているということです[1](余談3)

ところで、昔の論文やATCCのカタログにはVero細胞の核型は58本と記載されております[16]。私たちの核型解析結果59本と差があることの明確な理由は(当初は)不明で、短い大きさの異常染色体を数に含めるかどうかの判断がM-FISHを駆使できる前の時代では難しかったといった技術的な理由によるのかもしれないと推測しました。しかし、その後自分たちでVero ATCC CCL-81株の核型解析をしてみるとカタログ記載通りに58本でした。ATCC CCL-81では25番染色体の一本が他の染色体と融合しており、そのため染色体数がJCBR0111株よりも一つ少なくなっていることが判明しました(論文作成中)(2017.5.16.本パラグラフ改訂)。

 

 

 


 

 

 

 

7.雌ザル由来のVero細胞

 

 私たちが行ったVero細胞の核型解析においては、その性染色体がXX型、すなわちメス型であることは一目瞭然です(図1)。ところが、Vero細胞が由来するサル個体の性別について言及している文献は、私たちの知る限り、一つも見当たりません。細胞樹立者である安村先生は、ワクチン製造所であった当時の千葉血清研究所から摘出腎臓を貰い受けたときに元の動物個体の性別は知らされず、Vero細胞の樹立後に他の研究者がおこなった核型解析でも性染色体セットを明確に決められずに今に至ってしまったのかもしれません(余談4)。

もともとはXY型(すなわちオス型)だったものが培養中にY染色体が脱落してXO型となり、このXが重複してXX型となったという可能性もありえましたが、この可能性は後で述べる全ゲノム配列決定により否定されました。X染色体重複が起こったとは考えられないほどの一塩基多様性(single nucleotide variations; SNVs)が、二本のX染色体間にはあるからです[1]

 

8.ゲノム配列解読

 

 さて、いよいよゲノム配列の解読です。と言っても実際には、核型解析を済ませてからゲノム配列の解読に進んだのではなく、これらは並行して進行しました。

高性能のシーケンサを用いれば、哺乳動物のゲノムであってもそのドラフト配列を決定するだけのシーケンス量を得ることは今や困難なことではありません。しかし、その際に必要となるDNAライブラリを作製することには多くのknow-howのいる手作業を伴うため、出来不出来があります。私たちはこれらライブラリ作製とDNAショートリードのシークエンシングは外注しましたが、ゲノム上で数kbp離れた配列どうしを見つけるためのライブラリ(メートペアライブラリ、mate pair library)には問題も発生して、ゲノム配列ドラフトを作成するに必要な量のリードを得るには結局一年以上費やしました。そして、このように集めたリード情報をコンピュータ解析でつなぎ合わせて染色体レベルの配列を作製する作業は長田さんが実施しました(図2)。

遺伝子のexon-intron構造を推定するにはmRNAの配列情報が必要になります。そこで、ゲノム配列用のDNAシークエンシングに並行して、mRNAの網羅的配列決定であるRNA-seqも実施しました。RNA-seqは外注せずに黒田さんたちが自前でやってくれました(図2)。

 

Vero fig2 revised

 

正常個体に比べると培養細胞のゲノム構造は不安定であり、Vero細胞においても核型解析レベルでも多くの染色体転座が観察されます。しかし、大規模並行型シーケンサ(massively parallel sequencer; いわゆる次世代型シーケンサnext generation sequencerの一つ)から得られる短いリードから再構築したVero細胞ゲノムの配列には、核型解析で見出された染色体転座は一つも現れてこないという問題に直面しました。

この問題に直面した当初こそ少々戸惑いましたが、このことは使用している技術を考えるとむしろ当然の結果だったと思われます。

現行の手法ですと、二倍体のゲノムの配列であっても典型的なものを一倍体のゲノムの配列として提示します(生物種を代表して世に提示されているゲノム配列はヒトを含めて有核生物全てでそうです)。典型的配列を得るために解析のフィルターを強くすると、相同染色体のうちの一本にしか起こっていない転座ははじかれます。といって、フィルターを甘くすると非典型配列がどんどん紛れ込んでアセンブル配列を作成できませんでした。さらに、染色体転座は反復配列が多い部分で起こりやすいことも転座部位を見出せなかった大きな原因と考えられます。短いリード情報をいくら数多く集めても長い反復配列を確実に決定することは困難だからです。このような技術的限界も考え、Vero細胞の染色体転座部位をゲノム配列レベルで決定することは諦めました(余談5)。

本研究で得られたDNA配列データは論文規定に従って公的データバンクを通じて公開しております(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/sra/?term=DRA002256)。

当該論文上梓後にassembly fileも以下サイトで公開しています。

アノテーション付き情報もDDBJに掲示しています。

ftp://ftp.ddbj.nig.ac.jp/ddbj_database/dra/fastq/DRA002/DRA002256/DRZ014503/provisional/Vero_SGA_200.k5_a0.7.gff.gz

長田さんの以下personal archiveからでも得ることができます。

https://sites.google.com/site/nosada17/Home/vero-scaffolds?authuser=0

 

9.アフリカミドリザルのゲノム配列公開

 

Vero細胞のゲノム配列を決定しようと私たちがそのプロジェクトを開始した2012年初頭の時点では、Vero細胞が由来する動物であるアフリカミドリザルのゲノム配列も未決定でした。そのため、ゲノム配列を新規に決定するという方向性を取らざるを得ませんでした。ところが、ゲノム配列決定では世界的に有名な米国ワシントン大のグループがアフリカミドリザル属の複数の種(生物種の話題に関しては後述します)のゲノム配列を2013年の6月に米国国立バイオテクノロジーセンター(National Center for Biotechnology Information; NCBI)のデータベースに公開し、2014年には注釈annotationも付きました(注1)。

 私たちは、ベロ細胞のゲノム配列を決定することによってアフリカミドリザルのゲノム配列決定の一番乗りにもなると当初は考えていたので、アフリカミドリザルのゲノム配列公開を知ったときは先を越されたとショックを受けたのですが、よくよく考えるとアフリカミドリザルの複数の種のゲノム配列と比較できる状況となったことはむしろ歓迎すべきことであり、実際にいろいろな恩恵をうけることになりました。

 

10.Vero細胞のゲノム配列解読でわかったこと

 

Vero細胞のゲノム配列を解読すると、この細胞の特性と密接に関わると思われるゲノム構造上の性質がいろいろとわかってきました[1]。以下にそれらを羅列的に紹介します。

(1)Vero細胞はAfrican green monkeysChlorocebus sabaeusに由来する

Vero細胞が樹立された1960年代の時点では、アフリカミドリザルは一つの生物種Cercopithecus aethiopsとしてまとめられていました。しかし、分子生物学的解析手法の導入などに伴い、アフリカミドリザルの分類上の属はCercopithecusからChlorocebusに移され、さらに、複数の種からなっていると考えられるようになりました(よって、生物種を意識してアフリカミドリザル全体を表すとき、英語ではAfrican green monkeysと複数形でいう)[17, 18]

では、Vero細胞は現在の分類法のどの動物種に由来しているのでしょうか?この問いに答えるにはミトコンドリアのゲノムの分子系統樹解析molecular phylogenetic analysisが適しています。旧世界ザル(old world monkeys;アジアおよびアフリカに棲む狭鼻下サル亜目Catarrhiniのサル)においては、核ゲノムに比べてミトコンドリアゲノムの変異率が各段に高いことが知られており、近接した生物種の間での遺伝学的統樹解析にはミトコンドリアゲノムのほうが高解像度の結果を与えるためです[18]。ミトコンドリアゲノム配列が参照できる4種のAfrican green monkeysとの比較解析により、Vero細胞は西アフリカのサバンナ地方を中心に棲息するChlorocebus sabaeus由来していると私たちは結論しました(図3)。

Vero fig.3.png

 また、上述したように核型解析と性染色体のゲノム配列解析により、雌ザル由来であることも明確になったので、Vero細胞はメスのChlorocebus sabaeus由来していることが樹立後約半世紀をへて明らかになったことになります。

 

(2)ウイルス抑制に働くI型インターフェロン遺伝子クラスターの欠失

 細胞からウイルスを排除する仕組みにはさまざまなものがありますが、脊椎動物のどのタイプの細胞にでもほぼ普遍的に存在する仕組みの一つにI型インターフェロンの産生と応答があります。

ウイルスに感染した細胞はI型インターフェロンを生産し、それは感染細胞自身に直接働きかけて細胞内ウイルスを排除する作用と他の種類の細胞(特に免疫担当細胞)に働きかけて間接的に感染細胞を排除する作用を発揮します。動物個体のウイルス対応においてはどちらの作用も重要ですが、他の種類の細胞が同じ細胞皿中にないような培養細胞感染実験では感染細胞自身に直接働きかける作用だけということになります。

ウイルス感染した細胞から放出されたI型インターフェロンは、細胞膜上にあるI型インターフェロン受容体に結合すると多様な細胞内事象を引き起こします。その結果として、ウイルスゲノム情報を発現するために必須であるRNA合成やタンパク質合成が阻害され、ウイルス増殖が抑えられるようになります。

同一生物種に発現している機能的に似た働きを持ちアミノ酸配列的にもお互いに似たタンパク質をアイソフォームisoformと呼びます。I型インターフェロンには多くのアイソフォームがあり、それぞれに遺伝子があるのですが、これら遺伝子は染色体上の限られた位置にかたまって存在しています。このI型インターフェロン遺伝子クラスターは、ヒトでは9番染色体短腕領域(9p22)にあり、この領域はアフリカミドリザルでは12番染色体の領域に相当します。

ゲノム解析の結果、Vero細胞の12番染色体に900万塩基対(9 Mbp)に渡る大きな欠失、それも二本の相同染色体の両方で欠失があることが判明しました。Vero細胞のI型インターフェロン遺伝子のいくつかが失われていることは古典的なDNAハイブリダイゼーション法(サザンブロット法Southern blotting)によってすでにしめされていたので[19]、今回の全ゲノム配列決定は、過去の報告を確認したうえで、遺伝子クラスター全てがごっそりと欠失していることをゲノムDNA配列レベルで明確にしたことになります。さらに、以下に述べるような従来全く知られていなかったことも明らかになってきました。

 

(3)細胞周期のブレーキ役の欠失

 細胞周期のブレーキ役として機能する二つのサイクリン依存性キナーゼ阻害因子をコードする遺伝子CDKN2A, CDKN2Bは、ヒトゲノムにおいてI型インターフェロン遺伝子クラスターの近傍に存在しており、この二つの遺伝子中の変異がいろいろなヒト癌細胞のゲノムで起こっていることが知られています[20, 21]Vero細胞で欠失した9 Mbp領域のなかにはCDKN2A, CDKN2Bも含まれていることが判明しました。

 動物個体を成す細胞は他の細胞と協調しつつ増殖・分化し、これ以上増える必要がない状況では細胞分裂を休止します。何かの原因で細胞周期制御メカニズムが破綻して細胞増殖がとめどなく進むようになると癌などの病気につながります。

細胞周期制御メカニズムが破綻すれば、それだけで無限に分裂増殖が可能な不死化細胞となるわけでもありませんし、不死化細胞が必ずしも造腫瘍性をもつ癌細胞というわけでもありません。変化としては、細胞周期制御機構の破綻 --> 細胞の不死化(例えば細胞分裂限度数を規定するテロメアの修復能の獲得は必須)--> 造腫瘍性、という順番で進むと思われます。これら一連の変化でゲノムの変異が表裏一体として起こっています(余談6)。

一次細胞培養に供されたアフリカミドリザル摘出腎臓細胞のごく一部にCDKN2A, CDKN2Bの欠失が起こって細胞周期制御が破綻し、さらなるゲノム変化が積み重なって不死化細胞株Vero細胞へとつながっていったと思われます。

イヌ腎臓由来MDCK細胞や新たに樹立したイヌ腎臓由来不死化細胞株でもCDKN2A, CDKN2Bに欠失があることが2015年に報告されています[22]

 

 


 

 

 

(4)どのようにして両方の12番相同染色体に欠失ができたのだろうか

上述したように12番染色体に起こった9 Mbpの欠失は、多様なウイルスに対して感受性の高い不死化細胞というVero細胞の特色に合致したゲノム上の特徴となっていると思われます。不思議なことにこの欠失領域は二本ある相同染色体の間でDNA塩基レベルで見ても完全に同一なのです。このようなことが起こった経緯に対しても全ゲノム解析結果は重要な示唆を提供しました。

12番染色体の一塩基多様性を調べると、この9 Mbpの欠失領域の両側約60 Mbpに渡って一塩基多様性が他の領域に比べて極めて低いことがわかりました(図4)。雄雌別の個体の配偶子の合体で二倍体となる脊椎動物細胞では、相同染色体どうしといえども一塩基レベルでは多くの違いがあるのが普通です。そのような一塩基多様性が消失していることをヘテロ接合性の消失(loss of heterozygosity; LOH)と呼びます。特定の領域にLOHが存在することは、その領域に限定された遺伝子転換gene conversionが最近起こり、もともとは片方の染色体だけにあった配列にもう一方も置き換えられたことを強く示唆しています。

Vero fig.4.png

ゆえに、12番相同染色体の片方で9 Mbpの欠失 --> 当該欠失を含む両側で60 Mbpに渡る大規模な遺伝子転換 --> 12番相同染色体の両方で9 Mbpの欠失、というようなゲノム構造上の事象がVero細胞の誕生の過程では起こったと推定できます。

 

(5)Vero細胞系列の確認試験として欠失領域情報を利用する

自身の実験などで使用している細胞が本当にその細胞であることを定期的に確認している研究者がどれくらいいるでしょうか?

培養細胞の取違いということは、思ったよりも頻繁に起こっている可能性があります(余談7)。同じ研究室内で複数の種類の細胞を扱う場合には、特に使用する培地ボトルや安全キャビネットの使用時間を別々にするといった注意が必要です。そのような実験手順上の注意をしたうえで、ときどきは細胞の同定試験をして確認できれば理想的といえましょう。

とはいえ、従来の細胞の同定試験は、手間や費用さらには高い技術が必要な場合もあって、生物医薬品製造工場とか細胞バンクといった細胞の品質管理を業務の一環として行っているところを除けば、あまり普及していないのが実状と思われます。しかし、自分の使用している細胞が実は別の細胞であったときの悪夢を考えれば、定期的なチェックをしておくことは重要なリスク管理の一つです。

Nature及びその姉妹誌は投稿原稿中で使用した細胞の確認情報を明記するように2015年から義務付けています。同様のルールは他の雑誌にも広がっていくことでしょう。このような時代の動きを考えるとき、各実験室で簡便に実施できる細胞同定試験の開発は、地味ではありましょうが、多くの生命科学分野を下支えする重要な課題と私は考えています。

 

両方の相同染色体から欠失してゲノムから失われた遺伝子は、相同染色体間の組み換えではもはや再生できませんので、Vero細胞のこれら遺伝子の欠失は「安定」に受け継がれることになります。したがって、ある細胞系列に特徴的なゲノム領域欠失は、その細胞系列の同定試験に利用できると期待できます。

全ゲノム配列決定の途上で、私たちは上述した12番染色体上の9 Mbp欠失以外にも大小数多くの欠失の存在を見つけており、そのいくつかはゲノミックPCRとその増幅DNA断片(200-300塩基程度)のシーケンシングによって確認しています(図5)。

 

この方法は、とても簡便かつ低コストのVero細胞確認試験になると思います。自分の使用している細胞が本当にVero細胞であることを確認したい人は12番染色体上の9 Mbp欠失だけでもPCRで確認するとよいでしょう。PCR条件はプライマー配列も含めて当該論文のsupplementaryに詳述しています。

Vero fig.5.png

 

(6)内在性レトロウイルス配列の多様性

RNA配列から相補的なDNA配列を合成する逆転写酵素をゲノム上にコードするRNAウイルスをレトロウイルスretrovirusと呼びます。細胞に感染したレトロウイルスは、自身のRNAゲノムの情報をコピーした二重鎖DNAを作り出し、それを宿主細胞の核ゲノムに挿入させてあたかも宿主細胞ゲノムの一部としてウイルス遺伝子情報を維持します。

エイズを発症させるヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus; HIV)もレトロウイルスの一つですが、全てのレトロウイルスが病原性というわけではなく、レトロウイルスもしくはそれに似た配列は正常な動物細胞でもゲノム上に多数存在していて、このような配列は真核生物ゲノムがいろいろと変化していく過程(生物種として生き残る変化であれば「進化」と呼ばれる)に不可欠な働きをしたと考えられています。

Vero細胞はtype D simian retrovirus (SRV)と呼ばれるサルのレトロウイルスの配列をゲノムにもっていて、RNAの形へと転写もされていることが知られており、そのRNA配列に関しても過去に報告があります[23, 24]。私たちがゲノム配列を決定したJCRB0111株のゲノムにもSRV配列は見出されました。

黒田グループがさらに詳細に解析してみると、JCRB0111株のゲノム上のSRV配列には別のVero細胞株由来SRV配列では報告されていない変異があり、さらに、後者のSRV配列で存在する変異がJCRB0111株由来SRV配列には見つかりません。このVero細胞亜株間のSRV配列多様性は、亜株間を区別するゲノム情報になるかもしれず、今後も注目してゆきたいと考えています。

 

11.今後の展望

 

 私が語るVero細胞の物語はひとまずここでおしまいです。しかし、長々と紹介したVero細胞のゲノム構造の研究成果は、今後いろいろなことに役立つ基盤を提供しており、私たち自身もこの基盤に立脚した研究展開をしてゆきたいと考えています。その方向性を最後に少し述べます。

 一つの柱は、ゲノム情報に基づいた細胞品質管理手法の改良・開発です。Vero細胞の特性に密接に関わる特徴的なゲノム欠失を活用した細胞同定試験という方向性については、上で述べた通り、その概念証明(proof of concept)を済ませました。さらに新しい展開として、Vero細胞亜株間でのSRVの配列多様性をより広く調べ、どのようにしてそのような多様性が起こるのかというサイエンスとともに、得られた知見が細胞亜株を区別する品質管理手法へとつながればと考えています。

 もう一つの大きな柱は、Vero細胞の改良です。Vero細胞はウイルスワクチン生産用の細胞基材として広く使われており[25, 26]、一方で、新興再興感染症として世界の脅威になった・なっている病原体についても、最初に分離するために用いる宿主細胞としてVero細胞はほぼ「第一選択細胞」として利用されています[9-11]。これらの用途に向けてさらに使いやすい改良型Vero細胞をゲノム編集技術を駆使して作製したいと考えています。

このような方向性の研究に興味のある方は是非ご一緒に。

 

 

 


 

 

 

 

12.余談

 

余談1:Vero細胞というネーミング

この日本人離れしたセンスのネーミングのため、日本人にはVero細胞が国産だとかえって気づかれにくいともいわれております。例えば、Midori細胞とかFujiyama細胞とかだったら日本産だとすぐに気づくでありましょう。

なお、欧米におけるVeroの発音はヴロゥもしくはヴロゥに近いようです。一方、岩波書店の生物学辞典なども含めて日本語としては「ベロ」と記載されるので、日本人は(欧米人が聞くと)Belloと発音してしまうので注意が必要です。

 

余談2:染色体chromosome

19世紀の中頃、ドイツのWalter Flemmingは塩基性色素のアニリンで染色される細胞核中の構造体をギリシャ語の色chromaから派生した用語としてchromatin(クロマチン、染色質)と名付け、また、19世紀の終わりころ、Wilhelm von Waldeyer-Hartzは、この染色性構造が細胞分裂期に棒状になることをに注目してchromaと体somaを合わせた学術用語であるchromosomeと名付けました。今の知識から考えればchromatinchromosomeも物質的には同じもの(核DNAとタンパク質の複合体)を指しているのですが、上述した名付け方の出自を反映して、クロマチンchromatinは構造を主眼にした用語(例えば、真正クロマチンeuchromatin vs 異質クロマチンheterochromatin)、染色体chromosomeは棒状構造体として区別する用語(例えば、常染色体autosomal chromosome vs 性染色体sex chromosomeとして使い分けされています。

 

余談3:アフリカミドリザルとVero細胞との核型の違い

正常個体の染色体数が安定なのに対して、Vero細胞に限らず不死化された培養細胞の染色体は一般に不安定です。それは、染色体の数が異なるといった大きな変化は、個体レベルでは多くの場合致死であり、培養細胞レベルでさえ細胞死を引き起こすのですので、自然に淘汰されます。一方、培養皿中で無限に分裂増殖できるというような生理的な意味では異常ともいえる性質を得るには、染色体の本数が少々変化しても細胞が死なないような性質を獲得することが前段階としてあり、この染色体の不安定性によって無限増殖性を獲得するのに必要なさらなる突然変異が起こりやすくなっていると考えられています[27, 28]。関連して、余談6もご覧ください。

 

余談4:Vero細胞はメス由来

 現在知られている数多くの連続継代性細胞株continuous cell linesのなかで、特に広範囲で使用されていて応用面も含めて人類へ大きな貢献をしてきた(そして、これからもするであろう)ビッグ・スリーは、ヒト子宮頸がん由来HeLa細胞[2]、チャイニーズハムスター卵巣由来CHO細胞[29]、そしてVero細胞と私は考えますが、これらはどれも女性もしくはメス由来です。他にも有名な連続継代性細胞株で、ヒト急性骨髄性白血病由来HL60細胞[30], マウス・マクロファージ様J774細胞[31]は女性もしくはメス由来です。イヌ腎臓由来MDCK細胞も細胞の核型からみるとメス由来のようです[22, 32]。基礎研究の現場で頻繁に使用されているHEK293細胞(ヒト胎児腎臓細胞を5型アデノウイルスDNAの導入によって不死化させた細胞)[33]は、ATCCのカタログ情報によれば全体的な核型はおよそ3倍体であってX染色体も3本あるということなので、女性由来であろうと推測できます。正常細胞が不死化するに至るまでに起こるいろいろなゲノム変化に耐えるには、もともとX染色体が一本しかないオス由来細胞より二本もつメス由来細胞が有利なのかもしれません。男性もしくはオス由来の連続継代性細胞株も数多くありますので(例えば、ヒト肝がん由来Huh-7細胞[34]、ヒト急性リンパ芽球性白血病由来Jurkat細胞[35]、ラット腎臓褐色細胞種由来PC12細胞[36]など)私の思い過ごしでしょうか。

 なお、HeLa細胞とCHO細胞の全ゲノム配列決定は、これら細胞株の重要性が広く認識されているせいか、それぞれに複数の研究チームから報告がなされています[37-41]

 

余談5:Vero細胞の染色体転座部位をゲノム配列レベルで決定することは諦めた

この問題を解決するには、二本の相同染色体の配列を別々に決定する必要があります。相同染色体上のそれぞれの遺伝子を別々に解析することを半数体解析haplotype analysisと呼び、昨今の技術革新によってヒト全ゲノム配列の半数体解析も実現可能な時代に突入してきています[42]

 

余談6:細胞の特性変化とゲノムの変異が表裏一体で起こっている

簡単な事象であれば、ゲノムの変異が原因でその結果として細胞の性質が変化していると考えるのが一般的ですし、私もそのように考えます。しかし、不死化や癌化といった複雑な形質の獲得は、ゲノム変化と細胞の性質変化が複数の段階で連携して起こった結果です。例えば、ある遺伝子の変異で増殖休止が破綻しても、それだけでは細胞死を引き起こすのでその遺伝子変異が「生き残る」には不十分です。細胞死を免れる性質を与える変異も別途生じることで細胞が生き残れるようになって、その細胞は「増殖休止破綻変異」を獲得しえるわけです。また、ある遺伝子変異で染色体が不安定になれば、その後に起こる染色体転座で新たなゲノム変異が誘発されます。細胞の構造や性質の変化がその後のゲノムの変化に不可欠な過程となるといったように連続のサイクルでものごとが進む場合、それらは相互に依存する表裏一体の出来事と捉えられると思います。「卵が先か鶏が先か」という問いに対して「表裏一体な事象なので今となっては後先はない」と答えざるをえないことと似ています。関連して、余談3もご覧ください。

 

余談7:培養細胞の取違い

 ヒト咽頭がんから樹立されたものとしてATCCにも寄託されたHEp-2細胞(ATCC CCL-23)KB細胞(ATCC CCL-17)は、1998-2000年の間にMedline300回以上の被引用論文をもつ細胞株でありながら、実はどこかで(おそらく最初の樹立の際に)コンタミして置き変わってしまっていたHeLa細胞そのものであることが判明しています[43, 44]。その他にもWISH細胞、AV3細胞、FL細胞、L132細胞、INT407細胞、Chang liver細胞と名付けられていた細胞なども今やHeLa細胞亜株(sub-lines)という位置づけになっていますのでご注意を[44]ATCCでは誤認細胞をホームページに明記しています。

細胞の品質管理の専門家を中心にして2012年に立ち上げられたInternational Cell Line Authentication CommitteeICLACは、相互コンタミしていたり、間違って命名されている培養細胞の情報をデータベース化して公開しており、この問題に関する包括的情報源となっています。また、医薬基盤研・細胞バンクのホームページで、この問題を含めて培養細胞株とその品質管理に関することを日本語でわかりやすく解説しています。

 

注1:

AGMゲノム配列決定の原著論文は2015年末になって以下のように上梓されました。

Warren et al: The genome of the vervet (Chlorocebus aethiops sabaeus), Genome Research (2015) 25: 1921-1933.

論文タイトル中にあるChlorocebus aethiops sabaeusという三名表記から鑑みて、当研究グループは、Chlorocebus aethiopsの亜種としてsabaeusを見なしておりますが、以下の引用文献リスト#18でも述べられているようにAGMの分類および表記法はまだ決着がついていないと思われます。ちなみに本論文で報告されたChlorocebus aethiops sabaeusのゲノムサイズは2.78 Gbであり、タンパク質をコードした遺伝子数は21,128です。我々がVero細胞で報告したゲノム配列は2.97 Gbで遺伝子数は25,877です。二つの結果に差がある原因として、染色体重複がVero細胞では起こっていることなどが考えられうるものの正確な原因はわかりません。

 

13.引用文献リスト

 

[1] Osada N, Kohara A, Yamaji T, Hirayama N, Kasai F, Sekizuka T, Kuroda M, Hanada K (2014) The genome landscape of the african green monkey kidney-derived vero cell line, DNA Res, 21, 673-683.

[2] Gey GO, Coffman WD, Kubicek MT (1952) Tissue culture studies of the proliferative capacity of cervical carcinoma and normal epithelium, Cancer Research, 12, 264-265.

[3] レベッカ・スクルート, (訳)中里京子, 不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生, 講談社, 2011.

[4] 安村美博, 川喜田愛郎 (1963) 組織培養によるSV40の研究, 日本臨床, 21, 1201-1215.

[5] Yasumura Y, Kawakita Y (1988) Studies on SV40 in tissue culture: preliminary step for cancer research in vitro, in: B. S, Terasima T (Eds.), VERO Cells: Origin, Properties and Biomedical Applications, Department of Microbiology School of Medicine Chiba University, pp. 1-19.

[6] 清水文七, ウイルスの正体を捕らえる ヴェーロ細胞と感染症, 朝日新聞社, 2000.

[7] Barrett PN, Mundt W, Kistner O, Howard MK (2009) Vero cell platform in vaccine production: moving towards cell culture-based viral vaccines, Expert Rev. Vaccines, 8, 607-618.

[8] Montomoli E, Khadang B, Piccirella S, Trombetta C, Mennitto E, Manini I, Stanzani V, Lapini G (2012) Cell culture-derived influenza vaccines from Vero cells: a new horizon for vaccine production, Expert Rev. Vaccines, 11, 587-594.

[9] Horimoto T, Kawaoka Y (2006) Strategies for developing vaccines against H5N1 influenza A viruses, Trends Mol Med, 12, 506-514.

[10] Ellis DS, Stamford S, Tvoey DG, Lloyd G, Bowen ET, Platt GS, Way H, Simpson DI (1979) Ebola and Marburg viruses: II. Thier development within Vero cells and the extra-cellular formation of branched and torus forms, J Med Virol, 4, 213-225.

[11] Zaki AM, van Boheemen S, Bestebroer TM, Osterhaus AD, Fouchier RA (2012) Isolation of a novel coronavirus from a man with pneumonia in Saudi Arabia, N Engl J Med, 367, 1814-1820.

[12] 佐久間哲史, 山本卓 (2014) ゲノム編集ツールの開発の歴史, in: 山本卓 (Ed.) 今すぐ始めるゲノム編集, 羊土社, pp. 8-12.

[13] Yamaji T, Hanada K (2014) Establishment of HeLa cell mutants deficient in sphingolipid-related genes using TALENs, PLoS One, 9, e88124.

[14] Earley EM, Johnson KM (1988) The lineage of the Vero, Vero 76 and its clone C1008 in the United States, in: B. S, Terasima T (Eds.), VERO Cells: Origin, Properties and Biomedical Applications, Department of Microbiology School of Medicine Chiba University, pp. 26-29.

[15] Mizusawa H (1988) Cell line Vero deposited to Japanese Cancer Research Resources Bank, in: B. S, Terasima T (Eds.), VERO Cells: Origin, Properties and Biomedical Applications, Department of Microbiology School of Medicine Chiba University, pp. 24-25.

[16] Ohara H (1988) Cytogenetic examination of VERO cells derived from the present stock, VERO Cells: Origin, Properties and Biomedical Applications (B. Simizu and T. Terasima, eds), Department of Microbiology School of Medicine Chiba University, Chiba, Japan, 36-38.

[17] Grubb P, Butynski T, Oates J, Bearder S, Disotell T, Groves C, Struhsaker T (2003) Assessment of the diversity of African primates, Int J Primatol, 24, 1301-1357.

[18] Haus T, Akom E, Agwanda B, Hofreiter M, Roos C, Zinner D (2013) Mitochondrial diversity and distribution of African green monkeys (Chlorocebus gray, 1870), Am J Primatol, 75, 350-360.

[19] Diaz MO, Ziemin S, Le Beau MM, Pitha P, Smith SD, Chilcote RR, Rowley JD (1988) Homozygous deletion of the alpha- and beta 1-interferon genes in human leukemia and derived cell lines, Proc Natl Acad Sci U S A, 85, 5259-5263.

[20] Kim WY, Sharpless NE (2006) The regulation of INK4/ARF in cancer and aging, Cell, 127, 265-275.

[21] Popov N, Gil J (2010) Epigenetic regulation of the INK4b-ARF-INK4a locus: in sickness and in health, Epigenetics, 5, 685-690.

[22] Omeir R, Thomas R, Teferedegne B, Williams C, Foseh G, Macauley J, Brinster L, Beren J, Peden K, Breen M, Lewis AM, Jr. (2015) A novel canine kidney cell line model for the evaluation of neoplastic development: karyotype evolution associated with spontaneous immortalization and tumorigenicity, Chromosome Res,

[23] Victoria JG, Wang C, Jones MS, Jaing C, McLoughlin K, Gardner S, Delwart EL (2010) Viral nucleic acids in live-attenuated vaccines: detection of minority variants and an adventitious virus, J Virol, 84, 6033-6040.

[24] Onions D, Cote C, Love B, Toms B, Koduri S, Armstrong A, Chang A, Kolman J (2011) Ensuring the safety of vaccine cell substrates by massively parallel sequencing of the transcriptome, Vaccine, 29, 7117-7121.

[25] Barrett PN, Portsmouth D, Ehrlich HJ (2010) Developing cell culture-derived pandemic vaccines, Curr Opin Mol Ther, 12, 21-30.

[26] Kang HN, Xu M, Rodriguez VP, Mefed K, Hanada K, Ahn KS, Gangakhedkar SJ, Pakzad SR, Prawahju EI, Lee N, Phumiamorn S, Nemec M, Meng S, Knezevic I (2015) Review of the current use and evaluation of cell substrates for producing biologicals in selected countries, Biologicals, 43, 153-157.

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[41] Lewis NE, Liu X, Li Y, Nagarajan H, Yerganian G, O'Brien E, Bordbar A, Roth AM, Rosenbloom J, Bian C, Xie M, Chen W, Li N, Baycin-Hizal D, Latif H, Forster J, Betenbaugh MJ, Famili I, Xu X, Wang J, Palsson BO (2013) Genomic landscapes of Chinese hamster ovary cell lines as revealed by the Cricetulus griseus draft genome, Nat Biotechnol, 31, 759-765.

[42] Peters BA, Kermani BG, Sparks AB, Alferov O, Hong P, Alexeev A, Jiang Y, Dahl F, Tang YT, Haas J, Robasky K, Zaranek AW, Lee JH, Ball MP, Peterson JE, Perazich H, Yeung G, Liu J, Chen L, Kennemer MI, Pothuraju K, Konvicka K, Tsoupko-Sitnikov M, Pant KP, Ebert JC, Nilsen GB, Baccash J, Halpern AL, Church GM, Drmanac R (2012) Accurate whole-genome sequencing and haplotyping from 10 to 20 human cells, Nature, 487, 190-195.

[43] Chen TR (1988) Re-evaluation of HeLa, HeLa S3, and HEp-2 karyotypes, Cytogenet Cell Genet, 48, 19-24.

[44] Masters JR (2002) HeLa cells 50 years on: the good, the bad and the ugly, Nat Rev Cancer, 2, 315-319.

 

花田賢太郎(感染研 品質保証・管理部、細胞化学部併任)

2015619日)2016119「注1」追加、図2修正)2016727 項目10-(5)への追加と修文

2020年94 項目8へのURL情報の追加202141日 所属更新)

花田の研究テーマなど

I. 私の志向する生化学、細胞生物学、そして体細胞遺伝学

II. スフィンゴ脂質について

III. 哺乳動物細胞におけるセラミド輸送に関する研究

IV. 動物培養細胞に関する用語など

V. Vero細胞の物語 ~その樹立からゲノム構造の決定、そして未来へ~(このページ)

 

花田研究業績

 

その他の記事

1.生命、細胞、生体膜

2. スフィンゴ脂質およびセラミドの命名事始め(外部サイトへリンク)
3. セラミド研究史概略(外部サイトへリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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