国立感染症研究所

リン脂質、スフィンゴ脂質およびセラミドの命名事始め
 近代の生体脂質研究の幕開けは、ドイツのHensingが脳試料の化学組成を解析してリン含有物質の存在を1719年に報告したことに始まると見なされています(Sourkes 2004)。しかし、現在の知識にほぼ近いリン脂質の構造がわかるまでにはそれから100年以上の時間を要し、1846年にフランスのGobleyが卵黄からリン含有物質を単離してレシチン(lecithin:今でいうことろのホスファチジルコリンphosphatidylcholine)と命名するまで時を待たねばなりませんでした(Sourkes 2004)。
 それからさらに40年ほど時を隔て、ドイツのThudichumが脳の脂質成分をその当時としては網羅的に解析し、それまでに知られていたグリセロリン脂質とは異なりアルカロイドに脂肪酸が結合している成分を見出して、その謎めいたアルカロイドにスフィンゴシン(初期はsphingosineではなくドイツ語相当のsphingosinと表記されていた)と命名した1884年、もしくは当該成分を予備的に発表した1874年がスフィンゴ脂質研究の幕開けとされています(Thudichum 1884) (別ページ「スフィンゴ脂質について」の余談1も参照)。
 脳brainのラテン語はcerebrumです。Thudichumは、グルコースと似て非なる性状を持ち脳に豊富に存在する糖を「脳の糖」という意味でセレブロースcerebroseと名付け、その糖を結合した脂質様物質をセレブロシドcerebrosideと命名しました(これらは現在の物質名で言えばそれぞれガラクトースgalactoseとガラクトシルセラミドgalactosylceramideに相当します)。スフィンゴミエリンsphingomyelinは、スフィンゴシンと脂肪酸の結合物にさらにリン酸を持つ成分sphingomyelinとして1884年の時点で現在と同じ命名がされています。
 一方、スフィンゴシンと脂肪酸の結合した構造の呼び方はその当時はまだなく、スフィンゴシンのアミノ基に脂肪酸がアミド結合している化学構造はN-palmitoylsphingosineやacylsphingosinesなどと記載されていました。この構造を包括的にceramideと初めて呼んだのはFränkelらによる1933年のドイツ語論文のようです(Frankel et al. 1933) (この関連記事を以下に記載しました)。彼らの手による造語ceramideは、セレブロシドのアミド結合脂質骨格を暗示する語感を持ちつつ、言いやすく書きやすいという実用性にも優れた秀逸な用語と思います。
 
参考文献
・Frankel E, Bielschowsky F, Thannhauser SL (1933) Untersuchungen uber die lipoide der saugetierleber. III. mitteilung. Uber ein polydiaminophosphatid der schweineleber. Z Physiol Chem (in Germany) 281:1-11
・Sourkes TL (2004) The discovery of lecithin, the first phospholipid. Bull Hist Chem 29:9-15
・Thudichum JLW (1884). A treatise on the chemical constitution of the brain (London: Bailliere, Tindall, and Cox).
 
追加記事:セラミドの命名事始め
 セラミド研究会が新しくムック本「セラミド研究の新展開」を編むこととなり、その学術的な編集担当となった私はセラミド研究の歴史を概略するような序章を自身の勉強も兼ねて書くことにした。そうなると、セラミドceramideという用語はいつだれが作ったのかが気になり出した。
 Sphinosineという用語の初出であるThudichum の1884年の論文(250ページを超える成書です)であろうと推測していたが、この論文中にceramideらしき言葉は出てこない。今でいうところのセラミド類はThudichum の論文中ではN-acyl-sphingosinという表記なのである。さて、どうすればceramideの初出文献を見つけられるのだろうか?スフィンゴ脂質研究の黎明期のことに触れたいくつかの総説にもあたってみたものの、私が読んだ範囲内ではCeramideという用語の由来は明記されていなかった。
 結局、ceramideというkey wordをPubMed検索して得たリスト中で最も古い1940年代の論文に先ず目星をつけ、それを取り寄せて読んでみてceramideに言及している箇所において引用されている「PubMed検索対象になっていないさらに昔の論文群」へと遡っていく、ということになった。このような現代検索技術と古典的文献調査方法(?)を駆使した結果、1933年のドイツ語論文にたどり着いた。当該論文におけるタイトル・著者の部分とceramideという用語の初出箇所(ドイツ語の複数形としてceramidenと記載されている)を写真に撮って下に示す。
ceramide1st
 
 大学時代、第二外国語としてドイツ語を選択していたとはいえ今の私の独和訳ではあまりにも心もとないので、ここは知人のドイツ人Per Haberkant博士に当該箇所を英訳してもらい、それを私が日本語へ意訳することとした。
 
 "The amido-type linkage of all three fatty acids is mainly indicated by the isolation of a mixture of ceramides, which were obtained upon cleavage of the substance with a diluted methyl alcoholic alkaline solution."

 [材料物質をメタノール性希釈アルカリ溶液で分解して得られたセラミド(複数形)*の混合物を単離することにより、三種全ての脂肪酸*がアミド型結合をしていることが示された。]

 *和訳者注:ここでいう三種の脂肪酸とはpalmitic acid, stearic acid, and lignoceric acidのことであり、N-palmitoyl, N-stearoyl, and N-lignoceroyl sphingosines を総じてceramidesと称したのである。
 
花田賢太郎(感染研 品質保証・管理部、細胞化学部併任)
(2018年9月4日)(2019年3月13日、新規ムック本の名前を修正)(2021年4月1日 所属更新)
 
関連ページ一覧(クリックすれば当該ページに飛びます)

花田の研究テーマなど

I. 私の志向する生化学、細胞生物学、そして体細胞遺伝学

II. スフィンゴ脂質について

III. 哺乳動物細胞におけるセラミド輸送に関する研究

VI. 動物培養細胞に関する用語など

V. Vero細胞の物語 ~その樹立からゲノム構造の決定、そして未来へ~

花田研究業績

その他の記事

1.生命、細胞、生体膜

2.リン脂質、スフィンゴ脂質およびセラミドの命名事始め(このページ)

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