国立感染症研究所

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日本における薬剤耐性HIVの動向UPDATE

(IASR Vol. 36 p. 171-173: 2015年9月号)

HIV感染症の標準的治療法として多剤併用療法(combination antiretroviral therapy: cART)が1997年に導入されてから20年が経つ。以来今日まで複数の抗HIV薬剤(antiretroviral: ARV)を併用するという治療のコンセプトは変わらないが、使用されるARVは目覚ましい進歩を遂げてきた。これまでに20種類以上の新薬が開発・実用化され、薬剤の標的も従来の逆転写酵素阻害剤(reverse transcriptase inhibitor: RTI)、プロテアーゼ阻害剤(protease inhibitor: PI)に加え、2007年にはインテグラーゼ阻害剤(integrase strand transfer inhibitor: INSTI)が加わった。また、ARVの種類が増加しただけではなく、「血中半減期の長期化」、「薬剤耐性獲得に対する高いgenetic barrier」、「慢性毒性の軽減」、そして「複数のARVの単剤化」など長期治療に適した質的な改善も実現された。その結果、ARTに失敗する症例は減少し、薬剤耐性獲得症例(acquired drug resistance)の頻度も低下した。2008年に我々が実施した全国調査では、薬剤耐性獲得に起因する治療難渋症例はARTを受けている患者の1.5%であり、ARTにおける薬剤耐性の問題は概ね克服したかのように思われる。このようにARTにおける薬剤耐性が収束する一方で、新規に診断され、ARVの曝露歴がないにもかかわらず、薬剤耐性変異を有する症例(transmitted drug resistance:TDR)が見出されている。これにより薬剤耐性HIVは個々の感染者の治療上の問題から、HIV感染症の「cure」と「eradication」に繋がる疫学的な課題になっている。

1)acquired drug resistanceの変遷
ARTの導入に合わせて、著者等は1996年末からHIV感染者の至適治療支援を目的に薬剤耐性HIV遺伝子検査を実施してきた。に治療失敗症例において、薬剤耐性遺伝子検査で薬剤耐性と診断された症例の観察頻度を示す。こので明らかなことは、1997年にARTが始まると薬剤耐性HIV症例の頻度が急増したことである。その背景としては、HIV感染者に対して積極的にARVが投与されるようになったこと、当時はまだARVの選択肢が限られていたこと、そして治療ガイドラインなどの治療支援環境の整備が不十分であったことなどが挙げられる。その後、1999~2000 年をピークに薬剤耐性HIVの頻度は徐々に減少に転じ、2007年にINSTIが登場した時期には薬剤耐性HIVの観察頻度は41%まで落ち着いてきた。薬剤耐性HIVによる治療失敗症例数が減少してきた要因としては、ARVの種類が増え、代替レジメの構築が容易になったことなど、前述したARVの量的質的進歩と治療環境が整ったことが挙げられる。

2)Transmitted drug resistance(TDR)が孕む疫学的問題
前述acquired drug resistanceのに重ねて2003~2014年までのTDRの動向を示す()。ここにみるようにTDRは調査を開始した2003年の5.8%から2010年の11.8%まで増加傾向を示し、2010年以降は2014年まで8~9%の間で推移している。TDRとして観察された主な薬剤耐性変異をに示すが、その頻度は核酸系RTI(NRTI)>PI>非核酸系RTI(NNRTI)耐性変異の順番であり、INSTI耐性変異に関しては2013年にT66Iが1例報告されているのみで、増加の兆しは全くみられない。注目したいのは、acquired drug resistanceとTDRの動向が乖離していることである。すなわちacquired drug resistanceが減少しているにもかかわらず、TDRは増加し、その後一定の頻度で検出され、明らかな減少傾向が認められていないことである。さらに、観察されるNRTI耐性変異T215X、NNRTI耐性変異K103N 、そしてPI耐性変異M46I/Lは現在ではほとんど使用されていないARVに対するものであり、これらの事実はTDRの源がARTを受けているHIV感染者集団だけではないことを示唆している。新規感染者のpol 領域の配列を系統樹解析すると、TDRを有する症例は変異ごとにクラスタを形成し、また、地域特異性を示すことから、特定のリスク集団において流行株として定着していると推測される。これは特定のリスク集団が薬剤耐性HIVの維持を担う疫学的なreservoir として機能しているとも言え、WHO/UNAIDSが謳う「cure」と「eradication」への道程の困難さを示している。

本稿で紹介したacquired drug resistanceとTDRの動向は多くの高所得諸国において共通するものである。一方、中低所得国では一世代前のARVが主に用いられていることや、急速なARTの導入の結果、現在も薬剤耐性はHIV感染症治療を阻害する大きな原因となっている。国境を越えた人的交流が活発な今日、中低所得国における薬剤耐性HIVの感染拡大は対岸の火事では済まず、高所得国への薬剤耐性HIVの浸淫が危惧されることから、中低所得国における治療環境の整備など、高所得諸国による積極的な支援が肝心である。TDRに関しては、収集した遺伝子情報を詳細に分析することにより予防介入に有用な情報抽出が期待され、引き続きTDRの動向を調査、分析していくことが重要である。

本研究は厚生労働科学研究費補助金エイズ対策研究事業「国内で流行するHIVとその薬剤耐性株の動向把握に関する研究(代表者・杉浦 亙)」により行われた。

 

国立病院機構名古屋医療センター
   臨床研究センター感染・免疫研究部 (現グラクソ・スミスクライン株式会社) 杉浦 亙

 

 

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