IASR-logo

国際保健規則(IHR):世界的な公衆衛生上の安全保障の枠組みの10年:第三部~Pacta sunt servanda: IHRの遵守~

(IASR Vol. 39 p88: 2018年5月号)

国際保健規則(IHR)〔新規に改訂されたIHR(2005)〕という世界的な公衆衛生の安全保障の枠組みが発効されてから2017年で10年になる。これを機に, 世界保健機関(WHO)の発行するWeekly Epidemiological Record(WER)は, IHRに関する特集を組んだ。本記事は, この特集の第三部のまとめである(第一部, 第二部のまとめはIASR 39: 69-70, 2018参照)。

Pacta sunt servanda(「合意は守られなければならない」)というのは, 条約法に関するウィーン条約の第26条で, 条約の解釈として「すべての条約は当事者に対し拘束力を持ち, 誠実に履行されなければならない」と定められている。我々の日常に影響するほとんどの国際法は, 税金・商取引・民間航空・海上交通などに関するもので, これらの性質上, 自動的な拘束力を持つ。このため, 国際法の遵守(コンプライアンス)が問題となるのは, 国際協力の分野で論争の的になるような問題が生じた時である。

多くの人権に関する条約でみられるように, 締結国による条約の遵守は, 監視機関・監視機能の設置や, 投票権の停止など遵守違反に対する具体的な措置の存在によって達成される。別の遵守メカニズムとして, WHOタバコ規制枠組条約(FCTC)でみられるような, 条約遵守を円滑に推し進める資金調達システムの設置が挙げられる。さらに, 多くの国際法には, 紛争解決条項(締結国間で意見の不一致等の紛争が起きた場合に, 仲裁・裁判を通して解決を試みる手続きに関する条項)が含まれる。国際的な法的手段を通して, 武力行使や制裁が行われることはまれである。IHRも例外ではなく, 採択までの協議と交渉の10年間で, これらの遵守メカニズムの選択肢が検討されたが, 紛争解決条項のみが採択された。ただ, 紛争解決条項は, 煩雑なプロセスが必要であり, 締結国や関係機関間における迅速な問題解決にはつながらないため, ほとんど用いられない。国際法の遵守に関する問題は, IHRに限ったものではなく, 締結国は, 国家の主権を理由に, 国際法によって拘束力を受ける可能性を排除する傾向にある。このため, 強固な執行メカニズムを含む国際的な法的手段はほとんどない。さらに, WHO憲章の第21条および第22条には, (IHRを含めた)「規則」には法的拘束力があると明記されているにもかかわらず, IHRは発行に批准の必要がないために, 法的拘束力を保持しないという誤解も存在する。

それでは, IHRの遵守は, 現実にはどのように成し遂げられるだろうか。WHO事務局は, 「IHRの管理人」として, その周知と遵守を確実にすることを期待されており, いくつかのアプローチが用いられている。締結国は, 国際協力と年次報告を通して, IHR遵守を推し進めることを取り決めており, WHOが策定したモニタリングと評価の枠組みを利用して公衆衛生的な対応能力の向上を自己評価している。さらに, IHRは, WHO事務局が公衆衛生に関する情報を収集し, これを他国と共有することを許可しており, これは遵守を促進する一助となっている。また, WHO事務局は, 締結国の保健に関する政府対応(保健上の措置)も監視している。IHRの第43条の通り, WHO事務局は, 国際的な交通網を大幅に阻害しうる措置を実施する国に, 措置実施の根拠を, 公衆衛生上の観点から提供するように要求できる。

WHO事務局によるこれらの活動は, IHRに記されているWHO事務局の責務と権利の一部でしかなく, 今後は締結国によるIHR遵守を推し進めるための, より幅広いアプローチが必要となるかもしれない。IHRは, 各国のサーベイランスおよび対策のための能力の向上や, 国際的な交通網を大幅に阻害しうる措置への対応について言及するにとどまらない。締結国の発行する保健に関する文書や, 旅行者・手荷物・貨物・コンテナ・運送・品物・郵便物に関する保健上の措置の監督などを左右する, 人権に関する規定・ルールもIHRの範囲内である。

これらのメカニズムの強化と促進を通して, IHRは保健分野での安全保障に大きく貢献している。過去10年間の国際協力を通して, WHO事務局は法的拘束力を持つこの枠組みを生かして, 公衆衛生上のリスクや緊急事態による世界的なインパクトを抑えてきた。しかし, この枠組みは未だ発展途上の側面もある。締結国や関係機関による意識の向上と政治的意志を通して, IHRの遵守が推し進められることで, WHOとWHOの仕える人々にとっての公衆衛生上のゴールに到達するために, IHRが大きな役割を果たすことが期待されている。

 

[出典:WHO, WER 92(51-52): 781-788, 2017]
(抄訳担当:感染研感染症疫学センター・新城雄士 有馬雄三 砂川富正)

Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan