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わが国のHIV流行の終息に向けて

(IASR Vol. 33 p. 236-237: 2012年9月号)

 

2012年7月22日、米国ワシントンDCで国際エイズ会議が開かれた。スローガンはTurning the Tide Together(一緒に潮流を変えよう)。会場ではHIV流行を終息させるための根拠や方策が、それに対する慎重論も含め、熱く語られた(本号9ページ参照)。「現在の世界的エイズ対策の目標はHIV流行を終息させることである」という訴えは、2011年6月10日に国連エイズ特別総会で採択された政治宣言でIntensifying our Efforts to Eliminate HIV/AIDS(HIV/AIDSを根絶するための取り組みを強化する)と謳われて以来、日増しに広がってきたように思える。

HIV流行を終息させることができるという期待が高まってきた理由として、抗レトロウイルス治療を早期に開始することが、感染者の治療効果を高めるだけでなく、ウイルスの伝播を著しく抑制することが科学的に証明されたことがあげられる1)  。一方、現状のHIV感染者数が莫大であるため、多くの感染者や支援団体を始めとする国際機関、政府、製薬会社などの努力により抗レトロウイルス薬の価格が低下したものの、膨大な治療薬を負担し続けることが極めて困難な状況となることが予想されるため、感染者の早期発見、早期治療開始による新たな感染者数軽減への取り組みが、重要戦略の一つとなっている。このようなHIV流行の歴史的転換期に臨んで、わが国においてもHIV/エイズがほとんどない社会を次の世代に渡すための取り組みを強化することは極めて重要になっていると考える。

まず、わが国のHIV流行の現状をみてみる。エイズ動向委員会の報告によると、HIV感染者報告数は長年増加傾向にあったが、2008年をピークにその後3年間はピークを超えずに推移している。一方、エイズ患者報告数は2008年以降も増加傾向が続いている。過去3年間のHIV感染者報告数の動向はわが国のHIV感染発生率の低下を反映しているのであろうか。動向委員会への感染者報告が実際の感染者数を反映していないのではないかという指摘が以前からなされている。橋本らの研究によると、未報告感染者のうち1年間でHIV感染が診断される人の割合は13%と推定されている2)  。もし、本当に発生率が低下し始めたのであれば、数年後にはエイズ患者報告数も減少し始めることが予想される。今後のエイズ動向委員会報告の年次推移に注目する必要がある。

新たな感染を抑えるためには、まだ診断されていない感染者になるべく早くHIV検査を受けていただき、医療サービスを提供するとともに、感染予防のための行動変容を起こしてもらうことが最も効率的な方策である。未診断感染者がHIV検査を受けやすい体制を構築するためのいくつかの課題とその対策について以下に述べることにする。

エイズ予防指針において保健所はエイズ対策の中核と位置付けられ、検査・相談体制の充実を中心とした予防対策を重点的に推進することが求められている。現在、保健所におけるHIV検査・相談は即日検査や土日、夜間の検査を導入するなどの利便性の高いサービスを全国的に提供している3)  。しかし、HIV感染は大都市圏に分布が偏り、男性同性間性的接触(MSM)を中心とした個別施策層がリスクの高い集団を形成している。わが国のように有病率が0.02%と低い地域では、ターゲットを絞った対策が効率的であることが知られている4) 。したがって、保健所における検査・相談を全国一律的に行うのではなく、有病率の高い地域に人と資金を重点的に配分し、個別施策層にあった取り組みを強化すべきであると考えられる。その意味で、2006年度から始まった「エイズ予防のための戦略研究」において、MSMを対象としたHIV検査相談の普及強化プログラムに大都市圏の保健所との協働関係を構築したことは特筆すべきである。この戦略研究は感染者や支援NGOとの間で構築した連携関係をもとに、HIV検査受検行動を促進するための啓発資材を数多く開発し、受検者数の増大に大きく寄与したと思われるが、新型インフルエンザの流行や東日本大震災などの攪乱因子のため、統計学的に有意な成果を提示することが困難となっているのは残念である。

2012(平成24)年度の診療報酬改定において、HIV検査の算定が「性感染症がある場合」だけではなく「性感染症の既往がある場合」や「性感染症が疑われる場合」で「HIV感染症を疑う場合」でも可能となった。この改定は、リスクの高い人々へのHIV検査促進のために日本エイズ学会が長らく要望していたものが実を結んだものである。今後、この改定を受け、一般臨床医への啓発活動も進めながら、医師主導のHIV検査拡大を図ることが重要な課題である。

性感染症、泌尿器、婦人科などのクリニックの中で、有料ではあるものの、HIV即日検査を提供しているところがある。医療機関という安心感や場所・受付時間帯の利便性から多くの検査希望者が自発的に受検しており、そこで感染が診断される例も少なくない3) 。HIVの早期発見・早期治療に繋げるためには、民間クリニックでの即日検査の実施は非常に効果的であると思われる。

歯科診療機関において、カンジダ症・白板症などの口腔症状がHIV感染症の発見の契機になった報告が少なからずあり、歯科診療機関が疾患のスクリーニング機能を果たすことが期待される。歯科医療従事者が、歯科受診する患者の口腔粘膜の観察を通じて、免疫の異常の兆候を早期に感知し、HIV検査相談機関への紹介に至るための環境を整備することが必要ではないかと考える。

感染症の流行は、一人の感染者が生涯の間に他人に病原体を伝播する確率が1より小さければ自然に終息していくことが知られている。わが国のHIV感染者およびエイズ患者の報告数が2倍になるのに約10年かかっていることを考えると、生涯伝播率が1よりもはるかに高いとは考えにくい。今後、ターゲットを絞った検査機会の拡大と、より早期の治療開始を確実に実施することにより、HIV感染の発生率をゼロに向けて低下させることは十分可能であると考えられる。わが国が世界に先駆けてHIV/エイズを克服した国になり、本来投入すべきであった資金を開発途上国における治療拡大のための援助に回すことができればと願うものである。

 

参考文献
1) Myron S, et al ., N Engl J Med 365(6): 493-505, 2011
2)橋本修二, 他, 日本エイズ学会誌 11: 152-157, 2009
3)加藤真吾, 他, HIV検査相談体制の充実と活用に関する研究総合研究報告書 (平成21~23年度)
4) Holtgrave DR, PLoS Med 4(6): e194, 2007

 

慶應義塾大学医学部
微生物学・免疫学教室 加藤真吾

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