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男性同性愛者を対象としたHIV抗体検査普及の取り組み
-「エイズ予防のための戦略研究」後のエイズ発生動向の考察

(IASR Vol. 33 p. 231-232: 2012年9月号)

 

1.エイズ発生動向が示す対策の対象層に向けた戦略研究
HIV感染症は1990年代後半から効果的な抗HIV療法が可能となり、エイズ発症はほぼ完全に抑えられるようになった。しかし、わが国では1984年にエイズ発生動向調査が開始されて以来、新規エイズ発症者の年間報告数は増加が続き1)  、発見の遅れによるエイズ発症者数の推移に改善が認められていない。特に、日本国籍の男性同性間の性的接触(以下、MSM)による発症者の増加が顕著で、異性間感染による発症者数が2001年以降は横ばいであるのに対し、男性同性間感染による発症者数は2004年に異性間感染の発症者数を超え、その後も増加が続いている。2005年の状況は、日本国籍男性の同性間HIV感染者累計(2,924件)の64.8%を東京および関東甲信越地域、17.8%を近畿地域が占め、同エイズ患者累計(899件)の70.2%、13.0%を各々の地域が占めていた。こうした状況から、厚生労働省は「HIV検査件数を2倍に増加させ、エイズ発症者数を25%減少させる」を成果目標に、「エイズ予防のための戦略研究(以下、戦略研究)」(主任研究者:公益財団法人エイズ予防財団理事長・木村哲)を2006年から5年計画で開始した。課題1「首都圏および阪神圏の男性同性愛者を対象としたHIV抗体検査の普及強化プログラムの有効性に関する地域介入研究」では、MSMを対象に啓発活動を実施してきたNGO と協働し、1)MSMに訴求性のある啓発資材を開発し、HIV感染をより身近に感じさせ、自身の感染リスク認識を高める啓発普及戦略を展開する、2)MSMが安心して受検できる検査環境を保健所等およびクリニックの協力を得て整備し、これらの検査機関の情報をNGO が広報普及させ、MSM に受検を推奨する、3)これらの広報戦略や受検促進の準備を進める一方で、検査に不安を抱く人や検査で陽性が判明した人への相談支援体制をNGOが中心となり情報を提供する取り組みが行われた。

2.戦略研究の取り組みと成果の概要2) 
1)首都圏の成果
首都圏では、検査や治療に関する情報、相談機関の情報など、HIVに関する様々なリソースをMSMに向けて紹介する情報サイト「HIVマップ」を構築し、紙資材とWeb サイトを同期させて広報した。2008年からは、保健所等の検査担当者を対象とした研修を通じて、MSMの検査を積極的に受け入れる検査体制を整備し、「あんしんHIV検査サーチ」として保健所等検査施設を各種の相談支援機関情報とともにWebや冊子で広報した。2009年から「エイズ発症予防できる!キャンペーン」を開始し、2010年には2カ月ごとに4回にわたり繰り返して検査受検の促進を図った。

保健所等でのHIV検査受検者数は、2009年の新型インフルエンザ流行の影響を受けて減少した。しかし、首都圏保健所のHIV抗体検査受検者におけるMSM割合は、MSMに受検を推奨した定点保健所では、2007年第1四半期 8.3%から2010年第4四半期13.4%に上昇し、HIV陽性割合は、定点保健所の男性のみで0.33%から0.87%に上昇した。また、HIV検査受検者を対象とした質問紙調査では、首都圏で配布された啓発資材の認知割合がMSM受検者のみで有意な上昇を示し、定点保健所のMSM受検者では2007年18.2%から2010年49.9%に上昇した。

2)阪神圏の成果
阪神圏では、MSMのHIV検査受け入れに協力した7クリニックを定点とし、HIV抗体検査を促進する「クリニック検査キャンペーン」を実施した。保健所等での受検者数は、首都圏と同様に2009年の新型インフルエンザ流行後に減少したが、定点クリニックでは受検者数が増加した。阪神圏保健所では、HIV受検者(25,440件)に占めるMSM割合に変化はみられなかった。しかし、クリニックのHIV検査受検者(3,420件)に占めるMSM割合は、2007年5.7%、2008年14.1%、2009年21.0%、2010年23.1%と上昇し、HIV陽性割合は定点クリニックでは 5.5%(研究期間全体)と高かった。また、阪神圏の啓発資材の認知割合は、阪神圏保健所のMSM受検者では2007年 7.6%から2010年13.9%とわずかな変化であったが、クリニックのMSM受検者では2010年には37.2%に達し、キャンペーンの効果が示された。

3.エイズ発症者の動向に関する一考察
戦略研究によるエイズ発症者数の抑制効果については、エイズ発生動向調査の2001~2006年のエイズ患者報告数を基に2010年の推計値を求め、2010年報告数と比較している。首都圏では2010年のエイズ患者報告数は推計値より16.1%減少したが、阪神圏では推計値を超えた。阪神圏では、首都圏のように検査キャパシティの大きい保健所等でMSM受検機会を拡大する体制を構築できなかったことが影響したと考える。

エイズ発生動向調査における男性同性間のエイズ患者報告数は、東京が2010年に減少に転じ、近畿地域は2010年に東京を超えたが2011年には減少に転じている(図1)。一方で東海地域は増加が続き、2011年は近畿地域より多い報告数となった。報告数の最も多い東京においては2006年53例に比して2011年46例は13.2%の減少となった。HIV感染者報告数の四半期別推移をみると、東京のみが2010年の第3四半期、第4四半期に上昇していた(図2)。この時期は戦略研究の4回にわたる「エイズ発症予防できる!キャンペーン」の期間であり、定点保健所で受検者中のMSM割合と男性受検者の陽性割合が上昇した時期であることから、戦略研究による成果が東京のHIV感染者の報告増となり、遅れてエイズ患者の減少に転じたものと推察される。

未発症HIV感染者とエイズ患者報告数の合計に占めるエイズ患者の割合は、2011年のMSMでは、東京が16.5%(46/278)であるのに対して、近畿26.9%(57/212)、東海38.9%(58/149)、九州36.1%(35/97)と高く、東海、九州地域ではエイズ患者の増加が続いている。首都圏に加え他の地域においても、エイズ発症予防のための積極的な取り組みが必要であり、首都圏および阪神圏で実施した戦略研究の経験を他の地域にも活かすことができればと考える。

 

参考資料
1)厚生労働省エイズ動向委員会:平成23年エイズ発生動向年報
2)木村哲、岡慎一、市川誠一:平成23年度厚生労働科学研究費補助金・研究成果等普及啓発事業「首都圏および阪神圏の男性同性愛者を対象としたHIV抗体検査の普及強化プログラムの有効性に関する地域介入研究(研究成果報告概要版)」、2011

 

名古屋市立大学・看護学部 市川誠一

 

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