印刷
IASR-logo

計算科学から見たノロウイルスの進化と方向性

(IASR Vol. 35 p. 171-172: 2014年7月号)

近年、分子の構造機能情報の蓄積、計算機の演算能力の向上、情報処理技術の進展などに伴い、蛋白質・核酸の高次構造、酵素反応、分子間相互作用、複合体分子構造などを高精度で計算機を用いて再現・予測する計算科学が急速に進展している。これまで、我々は計算科学に基づく解析技術が、培養が困難なRNAウイルスや易変異性RNAウイルスの構造特性と形質変化の迅速予測に役立つことを示してきた。本稿では計算科学から見たノロウイルスの進化と方向性について述べる。

ウイルス性食中毒・急性胃腸炎の原因ウイルスであるノロウイルスの、世界で流行する遺伝子型はGII.4が主流である。ノロウイルスの世界的大流行は新型GII.4の出現と平行している。ノロウイルスGII.4の多様性解析を行うと、ウイルス粒子表面に位置するキャプシド蛋白質にアミノ酸変異が蓄積されている。これは、中和抗体などから逃れるために抗原変異が必要だと考えられるからである。その一方で、このキャプシド蛋白質は感染受容体と相互作用する。したがって、中和抗体などから逃れ、かつ感染受容体との相互作用を保つために、キャプシド蛋白質のアミノ酸変異には、機能的制約および構造的制約に基づく規則性がある。

GII.4のキャプシド蛋白質推定エピトープ部位A~E1)において変異したアミノ酸残基を調べ、その座位をキャプシド蛋白質二量体にマップした()。2004変異株(Hunter284E/040/AU)を基準に1回変異した座位をシアン、2回変異した座位をオレンジ、3回変異した座位をマゼンタ、4回変異した座位を深紅で表している。変異した座位はキャプシド蛋白質の上部、すなわち、ウイルス粒子表面の血液型抗原相互作用部位(のHBGA interaction site)の近傍に位置している。ウイルス粒子表面に露出している部位は中和抗体などから逃れるために、変異が蓄積すると考えられる。推定エピトープ部位A~Eの16の座位のうち、2006b変異株で1回変異した座位は9つ、2007a変異株で1回変異した座位は5つ、2回変異した座位は5つ、2008b変異株で1回変異した座位は8つ、2009a変異株で1回変異した座位は7つ、2回変異した座位は1つ、3回変異した座位は2つ、2012変異株で1回変異した座位は5つ、2回変異した座位は3つ、3回変異した座位は1つ、4回変異した座位は1つであった。時を経て出現した変異株ほど複数回変異した座位を多く持つ。これは、同じ座位が中和抗体などから淘汰圧を受けていることを示唆している。

2012変異株において複数回変異した座位の構造的特徴を調べた。2回変異した残基番号294、368、372は、いずれも推定エピトープ部位Aに属する。推定エピトープ部位Aは、キャプシド蛋白質突端のβシートを結ぶループおよびβシートの一部である。294および372はループに、368はβシートに位置する。3回変異した残基番号340は推定エピトープ部位Cに属し、βヘアピンの先端のループに位置する。4回変異した残基番号413は推定エピトープ部位Eに属し、ループに位置する。したがって、複数回変異した座位5つのうち4つは変異を許容しやすいループに位置し、1つは変異を許容しにくいβシートに位置する。

次に、我々はノロウイルスキャプシド蛋白質の変異による構造安定性の変化を計算科学により評価した。2012変異株において複数回変異した座位の5つのうち、ループに位置する3つおよびβシートに位置する1つがエネルギー的に不安定となる変異であり、ループに位置する1つが安定となる変異であった。ゆえに、推定エピトープ部位の変異は、エネルギー的に不安定になるものが多いと考えられる。したがって、推定エピトープ部位以外の変異に、エネルギー的に安定となる補償変異が存在すると推定される。ここでいう補償変異とは、ある変異によりエネルギー的に不安定となった場合、そのエネルギー的損失を補償し、安定化に寄与する他の残基の変異のことである。この補償変異はウイルス複製の過程でランダムに生じ、その変異が致死的でなければ許容されると考えられる。

ノロウイルスのキャプシド蛋白質はウイルス粒子最外殻にあり、中和抗体などから逃れるために変異が生じる。これは進化の仮説の一つである赤の女王仮説の例といえるかもしれない。赤の女王仮説とは、1973年にL. van Valenにより提唱された、「競争型共進化において、種が存続するためには進化し続ける必要があり、進化をやめるとその種は絶滅する」という仮説である2)。これはルイス・キャロルの童話「鏡の国のアリス」に登場する「赤の女王」の有名な台詞「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」に喩えて「赤の女王仮説」と呼ばれる。この赤の女王仮説によると、ノロウイルスのキャプシド蛋白質は中和抗体などから逃れるために進化し続けると考えられる。補償変異がランダムに生じるとすると、進化の方向性はランダムに決定される。そのため、進化の方向性を予測することは現段階では困難である。しかしながら、ランダムに生じた変異が構造安定性の維持のために許容されるかどうかは、計算科学により予測することが可能である。今後、我々はリスク評価の観点から、その予測法の精度の向上を試みる予定である。

 
参考文献
  1. Lindesmith LC, et al., PLoS Pathog 8(5): e1002705, 2012
  2. Van Valen L, Evol Theory 1: 1-30, 1973
国立感染症研究所病原体ゲノム解析研究センター 横山 勝 佐藤裕徳
Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan