IASR-logo

本邦のHIV-1 の基本再生産数の動的分子系統樹解析による推定

(IASR Vol. 35 p. 210-211: 2014年9月号)

1.はじめに
HIV/AIDSは、性的・母子・薬物使用などの濃厚な人的コミュニケーションの中で感染が拡大する感染症である。感染リスクが高い人々のコミュニケーション・ネットワークの構造とその疫学は、公衆衛生上の対策を考える上で有益な情報となる。感染者のネットワークは通常、感染者へのインタビューやパートナーの追跡等の実地疫学的手法で調査される。しかし、HIVは感染成立から症状発現までの期間が長いうえにウイルス保有者との接触当たりの感染率が低いことが、こうした調査の実施を阻んでいる。最近の分子進化学的・分子疫学分野の進歩と、遺伝子配列解析の診断への活用の広がりに伴う配列データの蓄積によって、DNAに蓄積された変異を手掛かりに感染ネットワークとその疫学的特徴を推定することが可能となってきた。我々は、HIV-1の薬剤耐性検査で得られた検体の塩基配列情報のデータベースを作成している。ここにあるProtease-RT 領域の塩基配列情報を用いて、わが国で流行するHIV-1の感染クラスタを同定し、さらにクラスタ内における基本再生産数(R0)を推定した。

2.分子系統樹解析によるR0の推定法
近年の電算機の進歩によって、大量のウイルス塩基配列を用いてその進化過程を確率分布も含めて解析することで、採集されたウイルスが過去に辿った進化過程として尤も妥当なものを推定することができるようになった。こうして得られた「動的分子系統樹」は、実地疫学における伝播ネットワークに近いものとされ、これをさらに解析することでR0のような基本的な疫学パラメータの推定が可能となる。我々は、距離行列法、最尤法、Bayesian Markov Chain Monte-Carlo法(ベイズMCMC法)などの複数の分子系統樹を組み合わせて、感染クラスタを高精度で同定する手法を開発した1)。同定された感染クラスタについて、祖先ウイルスの存在時期(tMRCA)を同じくベイズMCMC法で推定した。さらに、この手法で推定した動的分子系統樹と生死モデルによるR0推定2)を組み合わせることで、各ウイルス集団のR0を推定することができる。我々は、この方法を用いて、前述のデータベースにあるpol領域(HXB2: 2253‐3269)が連続して取得可能な4,393検体を解析し、感染クラスタごとのR0を推定した。

3.本邦HIV-1感染者集団のサブタイプごとの疫学的特徴
データベースにある検体のサブタイプごとの数は、B=3,899、01_AE=344、C=46、02_AG=36、G=15、 F=9、06_cpx=3、07_BC=2、12_BF=2、33_01B=2、D=1、08_BC=1、28|29_BF=1であり、残りの32配列はユニークな組換え体であった。比較的多くの検体が得られたサブタイプB、C、F、G、CRF01_AE、 CRF02_AGについて感染クラスタを同定し、各々のtMRCAを推定した(図1)。同定された個々の感染クラスタをHIV-1の本邦への侵淫事例とみなすと、HIV-1は1990年代にまずCRF01_AEの小規模な流行が起こり、続いて1990年代終わりから多くのサブタイプ B株が侵淫したことがわかる。CRF01_AEは当初異性間およびIVDU(注射薬物使用者)関連集団への感染が多かったが、2000年代に入ってからMSM(男性と性交渉する男性)が初期感染の主体になっている1)。また、サブタイプ Bの感染クラスタはほとんどMSM由来である。その他のサブタイプは、異性間接触を主体に稀に流行している。感染クラスタのR0推定値をサブタイプごとに平均すると、B、AE、C、Fはそれぞれ3.2、3.7、3.2、2.1である一方で、02_AGとGはそれぞれ7.7、6.9と高かった(図2)。これらのサブタイプは、一人の外国人男性と多数の女性で構成された感染クラスタが頻繁に観察されている。これは、これらのサブタイプではきわめて感染リスクの大きい男性感染者を中心に異性間接触ネットワークが展開されていることを示している。

4.MSM感染クラスタに観察されるR0の差異
多数のMSM関連感染クラスタが観察されたサブタイプBは、平均R0は比較的低い。しかし、クラスタのR0推定値の分布を調べると、1.2~5.8の範囲で差異が大きかった。また、R0の分布はクラスタのサイズおよびtMRCAの分布とは相関しなかった(図3)。感染サイズの大きな4つのクラスタはいずれもR0が比較的低く、クラスタサイズとR0が相関しない大きな要因となっている。HIV-1の感染クラスタのR0を推定した過去の研究でも、R0は国ごと、transmission groupごとに大きく異なることが示唆されている2)。この原因についてはよくわかっていないが、少なくとも大きな感染者ネットワークを持っていることだけが、HIV-1の伝播能力に関わっているわけではない。

5.最後に
近年PrEP(曝露前予防投薬)やPEP(曝露後予防投薬)などのHIV/AIDS流行に対する公衆衛生上の施策が提案され、一定の成果をあげている一方で、失敗例も報告されている3)。こうした予防策は、効率的な介入が可能な集団とそうでない集団が明確に分かれるのであろう。今回紹介したサブタイプGのようなR0が高く、感染ネットワークの構造が単純な流行事例は、格好の介入標的かもしれない。一方、本邦における主要な感染源であるサブタイプB/MSM集団については、個々の社会的コミュニティの状況でウイルスの感染性が異なることが予測され、より介入が難しいといえよう。

 

参考文献
  1. Shiino T, et al., PLoS ONE 9(7): e102633, 2014;
  2. Stadler T, et al., Mol Biol Evol 29: 347-357, 2012
  3. Damme LV, et al., N Engl J Med 367: 411-422, 2012
国立感染症研究所感染症疫学センター 椎野禎一郎

 

Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan