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抗HIV薬治療下のHIV潜伏感染症:非致死的病態について―HIVと脳梗塞

(IASR Vol. 37 p.172-173: 2016年9月号)

はじめに

昨年までの3年間のHIV/AIDS特集において, 『抗HIV薬治療下のHIV潜伏感染症:非致死的病態について―HIVと骨粗鬆症』, 『抗HIV薬治療下のHIV潜伏感染症:非致死的病態について2―HIVとHAND』そして『抗HIV薬治療下のHIV潜伏感染症:致死的病態について―HIVとNADCs』の報告を行った(興味のある方は国立感染症研究所のホームページ<http://www.niid.go.jp/niid/ja/>からバックナンバーをご覧ください)。今年度は, 初めに治療開始基準の変遷の説明をし, 後半はHIVの長期持続感染と脳梗塞の発生について, 最新の知見をもとに紹介したい。

治療開始の基準

治療をいつ始めたらいいのかという議論は, 多剤併用療法(ART)が始まって以来ずっと続けられてきた。当初は, 「Hit Early & Hard」のかけ声のもと診断即治療だった。その成果は驚くべきもので, それまで手の施しようがなかったAIDS患者がみるみる回復していく様子を目の当たりにして, 医療関係者は世界中で快哉を上げた。ところが, 始まった当初のART(当時はHAARTと呼んでいた)に用いることのできる薬剤は, 数が少ない上に副作用が強く, 飲み続けることが困難な場合が多かったため, 耐性ウイルスの出現による治療不成功が大きな問題となっていった。その後は, 治療指針の中で, CD4の値によって治療開始をいつにするのかが毎年のように変わっていった。薬剤の選択肢が少ないうちは, なるべく開始を遅らせる方向に進んでいたが(2000年代初めまではCD4数が200 cells/mL以下で開始), 薬剤の選択肢が増えるにつれ, 徐々に治療開始の時期が早まっていった。

治療開始の基準としてのCD4の値を決めるのに重要な意味を持つトライアルが2つある。一つ目は, 2002年1月~2006年1月まで行われたSMART Studyである1)。ここでは, CD4数が250 cells/mLを切ったら治療を開始し350 cells/mLを超えたら中断するグループと, CD4数にかかわらず治療を継続する群で比較が行われた。5年の予定が4年に繰り上げられる程, 明らかに治療継続群が良い結果だった。というよりは, 中断群の日和見感染症や心, 腎, 肝疾患が多発したことからそれ以上の継続はできなくなったというのが真相だった。

もう一つは, 2009年12月~2013年12月まで行われたSTART Studyである2)。このトライアルでは, CD4数が500 cells/mL以上で即治療する群と, 350 cells/mLまで待ってから開始する群で比較した。この結果も衝撃的で, あらゆる面で500 cells/mL以上で即治療開始群が治療待機群に比べて勝っていた。また, 感染予防の面でも明らかに優位であった。この結果を受け, すぐにWHOの治療ガイドラインが, 診断がついたら速やかに治療を開始することと改訂された3)

HIVと脳梗塞

ART開始時のCD4数により, 短期的だけでなく長期的にも死亡率の低下が認められることが分かってきた4)。また, UNAIDSが2014年に掲げた, 2020年までに感染症例の90%を診断し, そのうち90%を治療し, 治療を受けた90%で完全にウイルスを抑え込むことを目指すというエイズ流行終結に向けた数値目標, いわゆる「トリプル90」宣言もあり5), 診断後即治療の流れは年々加速している。これは, 抗HIV薬の開発が長足の進歩を遂げ, 副作用が少なく, 飲みやすい薬が臨床の現場に次々と投入されたことが大きな力となっている。

昨年のこの特集で, HIV感染者と肺癌の関係で, 明らかに非感染者に比べると10歳以上若年で肺癌を発症しており, また, 非感染者に比べ進行が早く, 予後不良となる症例が多いことを報告した。一方で, CD4数が高く保たれている症例は, 低い症例に比べ明らかに肺癌の危険率は低下することも, 合わせて報告した(IASR 36: 170-171, 2015)。

脳梗塞の発生は, 心血管疾患と同様にHIV陽性患者で多いことがこれまでも知られており6), 大きな問題となっていた()。ただ, 発症リスクがHIV感染のどの指標と関与しているのか, 性差はあるのか, また出血性の梗塞と虚血性の梗塞に関連する因子に違いがあるかどうかは, あまり分っていなかった。今年の2月にボストンで開催されたCROI 2016で, HIV感染と脳梗塞に関する報告がいくつかあった。その中で, HIV感染者の女性の脳梗塞発症が男性に比べて高いことが報告された。また, ウイルス量が200コピー/mL以上の場合は脳卒中のリスクが実年齢より15年前倒しになることも合わせて報告された7)。一方, 同じグループのポスター発表では, ほとんどは非感染症例と同様に, 出血性は高血圧と関連が強く, 虚血性はいわゆる心血管疾患の危険因子(男性, 脂質異常症, 心血管疾患の既往, 糖尿病, 喫煙)との関連が深かったとする報告があった。比較したほとんどの因子は, 統計学的に優位な差はみられなかったが, 唯一差があったのは, 男性に虚血性脳梗塞が多かったことと, 麻薬注射常習者に出血性脳梗塞が多かったことであった。また, どちらのタイプもCD4数が低い程, 脳梗塞の発症率が高くなった8)。いずれにしても早期治療によりウイルス量を下げて, CD4を高く保つことが脳梗塞の発症を防ぐ有効な方法だとする結論に変わりはなかった。

おわりに

2015年のWHOのガイドラインの改訂は, HIV感染症の治療の歴史の上では, 非常に大きな出来事と言える。これまでは, 副作用や耐性ウイルスの発生などの心配から, そして何よりも費用の問題からなかなか診断即治療へと踏み出せないでいた。しかし, 2つの大規模トライアルの結果, 早期治療のベネフィットが大きいことが誰の目にも明らかになったことから, 即治療への動きが急激に進み始めた。この結果, 感染症例のCD4を高く保つことができれば, 脳梗塞や肺がんなど多くの非AIDS疾患を予防できるようになる可能性が高い。ただし, 今後アドヒアランスが保てないことによる耐性ウイルスの蔓延や, 資金の問題など, 予想される問題は山積している。実際, 既にアフリカでは治療失敗例の多くで薬剤耐性ウイルスが発生していることが報告されている9)。今後, どのような薬剤を使い, 耐性が出たときにどのように対処するかを, 世界規模で真剣に考えていかないといけないであろう。

 

参考文献
  1. The SMART Study Group, N Engl J Med 2006; 355: 2283-2296
  2. The INSIGHT START Study Group, N Engl J Med 2015; 373: 795-807
  3. WHO guideline on when to start antiretroviral therapy and on pre-exposure prophylaxis for HIV, September 2015
  4. May MT, et al., Clin Infect Dis 2016, 62: 1571-1577
  5. 90-90-90 An ambitious treatment target to help end the AIDS epidemic, 8 October 2014 http://www.unaids.org/sites/default/files/media_asset/90-90-90_en_0.pdf
  6. Rasmussen LD, et al., AIDS 2011, 25: 1637-1646
  7. Hatleberg CI, et al., CROI 2016, Boston, Feb 22-25, 2016, #43
  8. Hatleberg CI, et al., CROI 2016, Boston, Feb 22-25, 2016, #637
  9. TenoRes Study Group, Lancet Infect Dis 2016, 16: 565-575

国立感染症研究所エイズ研究センター
 吉村和久

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