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沖縄県のハンセン病の動向

(IASR Vol. 39 p18-19: 2018年2月号)

沖縄とハンセン病

日本人でのハンセン病の新規発症は, 最近では非常に稀であるが, 例外的に沖縄では, いまだ数年で1~2例の新規発症や再発のハンセン病患者が生じる。沖縄が戦前からハンセン病の多発地域であったことや, 療養所の設置が遅れたことなど様々な要因が絡み合った結果と考えられる。

沖縄のハンセン病患者数の推移

世界のハンセン病患者の発症の状況をみると, 赤道地域を中心に熱帯, 亜熱帯地方に主に集中している。亜熱帯地方である沖縄も, ハンセン病患者の多発地域の一つであった。1906(明治39)年の統計資料によると, 沖縄以外の日本のハンセン病有病者が23,149人(対人口1万比4.95)であったのに対し, 沖縄は670人(対人口1万比13.4)と, 沖繩の有病率は2.7倍であった。新規発症の患者数も, 1950年の調査では, 沖縄県以外の日本が604人(対人口10万人比0.72)であるのに対し, 沖縄は96人(13.75)と非常に多かった。この傾向は1965年頃まで続き, その後, 新規発症数は徐々に低下している。2005年に初めて沖縄での新規発症数が0となり, その後は年に0~2人の発症程度に減少した。

沖縄のハンセン病の歴史的側面

1931年, 宮古島にハンセン病療養所である宮古保養院(現在の宮古南静園), 1938年には沖縄愛楽園が開園され, ハンセン病患者の収容隔離が開始された。地元住民の反対運動が非常に強かったため, 沖縄県外よりも30年近く遅れての療養所の設置となった。戦後, 治療薬が広く使えるようになったため在宅での治療も可能となり, 治療体制が行き届いた結果, 未治療のままの感染源となる患者が減少し, 新規患者数が減少に転じた。

沖縄のハンセン病新規発症例

2008年以降, 琉球大学皮膚科では, 在日外国人1例を含む7例のハンセン病の新規発症患者と1例の再発症例を経験した。外国人症例は, ミクロネシア出身の米国男性で四肢に結節が多発しており, LL型(多菌型) ハンセン病と診断した(図1)。本国にて治療するとのことで帰国された。

沖縄出身者6例のうち, 男性が2例, 女性が4例であった。年齢は, 58~82歳で病型はBL型5例(図2), BT型1例であった。ハンセン病が蔓延, 流行している指標の一つが, 小児の発症である。近年の沖縄の新規患者に小児例はなく, このことからも沖縄においてハンセン病が制圧されたことは明らかである。

1例は多剤併用療法にて現在も治療中であるが, 他の症例は多剤併用療法が終了し, ハンセン病は治癒している。日本ハンセン病学会によるハンセン病治療指針に基づいて治療を行っているが, その経過は様々である。男性のBL型患者において, 治療開始2年後に, 突然の発熱と多発性の結節性紅斑が出現し, 2型らい反応と判断し, サリドマイド, ステロイド, その他の免疫抑制剤の併用を要した。また, 女性のBL型患者で, 多剤併用療法が終了した2カ月後に突然, 四肢の皮膚の激しい疼痛としびれが出現し, 1型らい反応と診断した症例など, 治療に難渋する症例を経験してきた。いつ, なぜ生じるかわからないらい反応をどうコントロールするかが, ハンセン病治療の難しいところである。また, ハンセン病治療の主軸となるDDS(ジアフェニルスルホン:ダプソン・レクチゾール)によるメトヘモグロビン血症を2例経験し, いずれも入院加療が必要であった。

最後に

世界全体でのハンセン病の新規患者数は, この12年で半減しているものの, 南アジアや東南アジアの開発途上国を中心に, 今なお世界では年間20万人超の新規発症がある。ハンセン病の多発地域であった沖縄も, 現在では収束し制圧できた経験は, 活動性の患者の治療をしっかり遂行することができれば, 開発途上国でのハンセン病制圧も可能である良いモデルと考える。ハンセン病の治療が確立された今, らい反応を生じさせない治療法, 予防法の開発と, この病態の理解を切望する。

 

琉球大学医学部皮膚科 山口さやか

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