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東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会における感染症対策としての麻しんワクチン接種

(IASR Vol. 42 p185-187: 2021年9月号)

 
はじめに

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行(パンデミック)により, 2020年に予定されていた東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(東京2020大会)は2021年に延期され, オリンピックは2021年7月23日~8月8日の日程で, パラリンピックは同年8月24日~9月5日の日程で行われた。オリンピック競技は開催自治体である東京都および8道県の会場で行われ, およそ200の国と地域から選手団が参加した。東京2020大会では, 海外からの観客を受け入れないことが決定され, オリンピックでは1都1道4県においては無観客, 3県では有観客による開催となった。

 このように今大会においては, 同一期間, 同一場所に多くの人が集まるマスギャザリングという状況は生じにくく, さらにCOVID-19に対する飛沫・接触感染対策の徹底により, 大会期間中の感染症発生のリスクはCOVID-19流行前と比較し低くなった。

 一方で, こうした状況下であっても, 感染伝播や, 大規模事例の懸念, 高い重症度などから, 麻疹, 侵襲性髄膜炎菌感染症, 中東呼吸器症候群, 腸管出血性大腸菌感染症は, 東京2020大会において十分に注意すべき感染症であることに変わりはない1)。参考として, 国の通知に基づき都が2017年度に実施したリスク評価の結果(一部改変・追加あり)をに示す2)

 麻疹については, 2021年時点において国内外での流行状況は低調であるものの, 海外の一部地域では発生がみられており, 輸入例を発端にワクチン接種率の低い集団での感染拡大のリスクがある1)。今回, 東京2020大会での感染症対策の一環として実施された大会関係者等への麻しんワクチン接種の取り組みについて報告する。

麻しん風しん混合ワクチンの接種

 国では, 麻しん・風しんに関する特別対策を2020年に打ち出し3), 30歳以上でかつ, 罹患歴・予防接種歴の確認できない大会関係に従事する者等(*)に対し, 国の費用負担により麻しん・風しん混合(MR)ワクチンの接種を実施した。

 *大会関係業務に従事する者(警察官, 税関・検疫等職員等), 大会運営等に著しい悪影響を及ぼす可能性のある者(官邸職員・スポーツ庁職員・内閣官房オリパラ事務局職員等), 大会運営関係者(組織委員会職員, 日本オリンピック委員会職員等, 選手, コーチ, スタッフ, 審判等競技関係者), 選手村・競技会場内等で多くの訪日外国人と接触する機会のある者(民間警備員, 誘導員, 食堂接客スタッフ等, 大会ボランティア)

 次に東京都におけるボランティアへの接種の取り組みについて述べる。東京都で採用したボランティアは, 空港や多数の都内競技会場周辺等で, 多くの訪日外国人等と接触する機会のある業務に従事する。都ではこのボランティアに対し, 国の特別対策を踏まえ, 観客および大会関係者等への麻疹の感染拡大を防ぐために麻しん含有ワクチンの接種を実施することとした。

 シティキャスト(空港や競技会場の最寄り駅などで, 会場への道案内や観光案内を担う「都市ボランティア」のこと)のうち, 麻疹・風疹の罹患歴および予防接種歴が確認できない, 2021年4月2日時点で満31歳以上の者を対象とした。なお, 風疹の抗体保有率が低い40~50代の男性(1962年4月2日~1979年4月1日生まれの男性)へは, 国の「風しんの追加的対策」の制度活用によるMRワクチン接種を案内した4)。接種対象の想定数は12,000人とした。対象者のうち接種を希望する者に, 2021年5~7月にかけて接種を実施した。

 実施方法としては, 都の費用負担によりMRワクチンの接種を実施し, 接種業務については東京都医師会に委託した。東京都医師会の協力を得て接種を実施する都内医療機関を設定し, 接種希望者にはクーポンを発行して, 個別に最寄りの医療機関にて接種を受ける仕組みとした。従前, 2021年5~6月のシティキャストの研修時期と合わせ集団接種により実施する予定であったが, 「3つの密(密集, 密接, 密閉)」の発生を回避するため個別接種に変更した。

考 察

 麻疹は, 極めて感染力が強いウイルス性疾患であり, 麻疹に対する免疫がない者が感染した場合にはほぼ100%が発病する5)

 国の「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けた感染症対策に関する推進計画」では, 東京2020大会に向けた具体的な取り組みが示された。この取り組みの1つとして, 水際対策や訪日外国人を中心に多数の者と接する機会のある大会関係者等に対し, 麻疹・風疹への感染リスクを低下させるための特別な対策を講じるとされ, 接種歴が確認できない者に対する, MRワクチン接種の推奨が明記された6)。これを根拠として大会関係者等への麻しん含有ワクチン接種の実現につながったことは注目に値する。

 東京都麻しん・風しん対策会議では, 行政・医療・教育・企業などの関係者間で, 麻疹・風疹対策について議論を進めており, 麻疹対策の1つの取り組みとして今回の麻しん含有ワクチン接種について共有し, 今後の対策につなげていくことが重要となる7)

 麻疹が1例発生すると感染拡大のリスクは高く, 麻疹の集団発生は過去にも冬季オリンピックを含む様々なイベントで報告されている8)。今回の大会関係者等への麻しん含有ワクチン接種は, 大会中の麻疹発生のリスクを下げるという点で非常に意義のあるものと考えられた。また, 希望する対象者は接種の費用負担なくMRワクチンを受けられ, 接種の促進につながるものと思われた。国内では, COVID-19の流行に伴う麻しんワクチン接種率の低下が懸念される中, マスギャザリングでのイベントにおける麻疹発生を防ぐだけでなく, 大会に従事する者が積極的にワクチンを接種することで, わが国全体の麻疹予防接種率の上昇の契機になることも期待したい。

 

参考文献
  1. 国立感染症研究所, 東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に向けての感染症リスク評価(更新版), 令和3(2021)年6月23日
    https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/10471-covid19-45.html
  2. 事務連絡 厚生労働省健康局結核感染症課,「2020 年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けての感染症のリスク評価~自治体向けの手順書~」について, 平成29年10月5日
    https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10601000-Daijinkanboukouseikagakuka-Kouseikagakuka/sanko10.pdf
  3. 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けた感染症対策に関するワーキンググループ(第4回), 資料1, 資料2, 令和2年2月7日
    https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/kansenshyou/dai4_wg/gijisidai.html
  4. IASR 40: 127-128, 2019
  5. IASR 41: 53-55, 2020
  6. 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けた感染症対策に関する関係省庁等連絡会議, 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けた感染症対策に関する推進計画, 2019年8月1日
    https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/kansenshyou/pdf/suishin_honbun.pdf
  7. 東京都福祉保健局ホームページ, 東京都麻しん・風しん対策会議
    https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/measles-rubella/mrkaigi/index.html
  8. 関場慶博, Modern Media 65(12): 263-269, 2019
    https://www.eiken.co.jp/uploads/modern_media/literature/2019_12/002.pdf

 

東京都福祉保健局感染症対策部  
 杉下由行

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