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国内における食肉を介したトキソプラズマのリスク

(IASR Vol. 43 p53-54: 2022年3月号)

 

 トキソプラズマは哺乳類, 鳥類など広範な動物に感染し得る重要な人獣共通寄生虫の1つであるが, ヒトへの感染において最も注意が必要な妊婦における抗体検査さえも自費診療であるため, 近年の国内での感染状況の把握は困難となっている。ヒトへの感染源としては, 終宿主であるネコから排出されるオーシストからよりも, 食肉を介する感染が主体と考えられ, 実際, 国内の妊婦を対象にした疫学調査でも, トキソプラズマ抗体陽性と生肉摂取の関連が強く示唆されている1)。食肉として流通する家畜については, 全国各地の自治体に設置されている食肉衛生検査機関において日々公務員獣医師によると畜検査が行われており, と畜場法上, トキソプラズマ症は食肉のすべてが廃棄の対象となる。ただ, 肉眼検査でトキソプラズマ症を疑うことができるのは, リンパ節や肝臓に病変が生じる感染初期, 急性期のブタだけであり, 筋肉内に潜むシストの検出は困難である。それゆえ, 厚生労働省の食肉検査等情報還元調査に計上されているトキソプラズマ症は年間数十例に過ぎない。しかし, 全国の食肉衛生検査機関で2000年代以降に行われたトキソプラズマの抗体検査をみると, 数-十数%程度のブタが陽性となっている2)。トキソプラズマ感染において, 抗体陽性は過去の感染を表すのではなく, その体内にいまだトキソプラズマがシスト化して潜んでおり, 次の宿主への感染源になることを示している。全国でのブタのと畜頭数は年間約1,600万頭, 抗体陽性率を5%としても, 年間約80万頭分の豚肉がトキソプラズマとともに市場に出回っていることになる。

 SPF豚〔specific pathogen(特定病原体)をfree(不在)にした豚のこと〕はテレビ番組などでレアで食べても大丈夫な無菌豚などと紹介されることもあるが, 無菌であるはずはなく, 特定病原体にはブタの健康を害し, 発育を遅延させるものが選定されているだけで, 人獣共通感染症に留意したものではない。日本SPF豚協会では, 排除対象疾病(常に排除すべき疾病)として豚赤痢, オーエスキー病, 萎縮性鼻炎, 豚マイコプラズマ肺炎を指定している。かつてはこの排除対象疾病にトキソプラズマも入っていたが, 2016年に監視疾病(排除に努めなければならない疾病)へと格下げされた。この背景として, 国内でも1970年代頃までは養豚場でのトキソプラズマ症の集団発生が報告されており, 特に子ブタにおいて豚コレラ(現在は, 豚熱)と鑑別が必要な重篤な症状を呈し, 生産性が著しく損なわれていたが, その後は飼養環境の改善など, 業界の努力により農場での発生がほぼ終息したこともあるのだろう。しかし, 2018年からの国内での豚熱再流行において, 今なお豚舎にネコやネズミ, その他野生動物が出入りしており, それらがウイルスのベクターとなった可能性が示唆されている。トキソプラズマも同様のルートで豚舎に侵入可能であることと, 食肉を介したヒトへの感染リスクもあることから, 生産現場においていまだ十分に注意が必要な疾病といえる。

 家畜のトキソプラズマ抗体検査は, 以前はラテックス凝集反応(LAT)キットを用いて, 簡便に行うことができたが, 現在は販売中止となっている。ELISAキットは販売されているものの, 試薬は割高で, 検査にはそれなりに時間がかかるうえに, 結果を読み取る高価な機材が必要である。LATは特別な機材も不要で, 抗原を貼り付けたラテックス粒子と血清を混ぜて静置しておくだけで結果が出るという利点があった。と畜検査現場は公務員獣医師の不足と輸出証明などの煩雑な業務の増加で逼迫している。この現状では, 今後は現場でのトキソプラズマ検査は期待できないのではないだろうか。研究機関や大学等と連携した新しいモニタリングの仕組み作りが望まれる。

 トキソプラズマというと, 豚肉とネコの糞便ばかりがヒトへの感染源のように思われているが, ウシ, ウマなど, その他の家畜でもトキソプラズマ感染が報告されており, 地域によって偏りはあるものの, おおむねブタと同じく抗体保有率は数-十数%程度である2-4)。トキソプラズマへの感受性が高いとされるヤギでは, 沖縄県で50%を超える抗体陽性率が報告されている5)本号4ページ参照)。牛肉では生食による腸管出血性大腸菌による食中毒で死者が出たことから, 生食用食肉(牛肉)の規格基準が設けられ, 肉塊の表面から深さ1cm以上の部分までを60℃, 2分間以上加熱することが義務付けられたが, これでは肉塊内部に潜むトキソプラズマは失活しない。また, 生ハムや冷燻法で加工された食肉製品中でもトキソプラズマは感染可能なまま生き残る。冷蔵技術の進歩から食肉のチルド輸送も増加しているため, 海外からトキソプラズマとともに食肉が輸入されている可能性も高い。

 そして近年, 生息数が増加し, ジビエとしての利用が推進されてきているイノシシやシカなどの野生鳥獣については, 衛生的な解体処理にかかるガイドラインが策定されてきてはいるものの, 上述した家畜から生産される食肉のようにと畜検査が行われている訳ではない。また, 野生鳥獣はどのような環境で何を食べて生きてきたかという背景が不明である。これまで報告のあるシカやイノシシのトキソプラズマ抗体陽性率は数-十数%と家畜と変わらない6)。ネコやネズミなど, その他中間宿主の多い農場周辺や人里近くに生息する個体では感染機会が増すため, 捕獲地域によって陽性率は大きく偏りが生じると考えられる。市販の鴨肉からもトキソプラズマが検出されている。陸上で排泄されたトキソプラズマオーシストが, ラッコやイルカといった海の生き物に感染し, 個体数を減らす一因となっているという報告もある7)本号8ページ参照)。どこで何からどのような動物がトキソプラズマに感染していても不思議ではない。肉の生食はトキソプラズマ感染のリスクをともなうことがあると思ったほうが良い。特に, 食肉由来感染症による胎児への影響が懸念される妊婦では, どのような肉であっても十分に加熱してから食することが勧められる(本号9ページ&17ページ参照)。

 

参考文献
  1. Sakikawa M, et al., Clin Vaccine Immunol 19: 365-367, 2012
  2. 松尾加代子ら, 獣医寄生虫誌 14: 93-96, 2015
  3. Matsuo K, et al., Parasitol Int 63: 638-639, 2014
  4. Masatani T, et al., Parasitol Int 65: 146-150, 2015
  5. Kyan H, et al., I Jpn J Infect Dis 65: 167-170, 2012
  6. Matsumoto J, et al., Parasitol Int 60: 331-332, 2011
  7. Dubey JP, et al., Vet Parasitol 288(5): 109296, 2020

熊本県阿蘇保健所   
岐阜大学応用生物科学部
 松尾加代子 

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