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トキソプラズマ症のPCRによる診断

(IASR Vol. 43 p60-61: 2022年3月号)

 

 トキソプラズマ(Toxoplasma gondii)はネコ科動物を終宿主とし, 人獣共通感染症であるトキソプラズマ症を引き起こす細胞内寄生性原虫である。ヒトへの感染は, ネコから排泄される便に含まれるオーシストの経口摂取および加熱処理が不十分なシスト感染肉を食することで成立する。ヒトでは世界人口の1/3がトキソプラズマに感染していると推定されているが, 健常者ではほとんど症状を呈さない。一方, 後天性免疫不全症候群(AIDS)や臓器移植, 妊娠などにより免疫抑制状態に陥ると症状が現れる。この場合, 時に重篤な症状を呈し死に至ることもあるため, トキソプラズマ症が鑑別にあがった時点で迅速な確定診断が望まれている1)

 トキソプラズマ症の主な診断法は, トキソプラズマ特異的抗体の検出(血清診断), 画像診断, およびトキソプラズマ特異的抗原, または特異的遺伝子の同定, である。本原虫特異的抗体の検出は, 他の感染症と同様に, 実施方法の簡便性と経済性から臨床で多用されている。この際, 感染時期を絞るためにトキソプラズマに対するIgMおよびIgG抗体価を測定することが肝要である。血清診断は簡易に実施できることが利点であるが, 産生する抗体量に個人差があることや, 免疫抑制状態では抗体価の評価が難しいことなどの問題点もある。また, 画像診断では本症に特異的な特徴が確認できる症例数が少なく, 鑑別が困難である場合が多い。そこで, 上述した診断法でトキソプラズマ症が疑われた際に有効な確定診断法と考えられているのが, 本原虫に特異的な抗原・遺伝子の同定である。

 今までのところ, トキソプラズマの抗原検査については, 検出に有効な特異的抗原がみつかっておらず実用化されていないが, 遺伝子の検出については研究が進んでおり, 現在最も信頼のおける確定診断法となっている。本原虫に特異的なDNA断片の増幅にはPCRが利用される。トキソプラズマは, ほぼすべての有核細胞に感染可能であることが知られているため, PCR検査を適用できる試料は広範囲にわたる。例えば, 炎症像が確認された場合は, その臓器の病変部位の生検試料や洗浄液からDNAを抽出し, また, トキソプラズマが活性期にあると考えられる場合は, 末梢血からDNAを抽出し検査に供する。さらに妊婦の初感染が疑われる場合は, 末梢血に加え羊水や母乳も検査対象となる。これらPCR診断の問題点としては, 検査のコストが高いこと, 1回の検査に供するDNA量が微量であり検査試料すべての精査が困難であること, および, 大量の宿主細胞DNAの混入によってトキソプラズマを標的としたPCRの効率が低下すること, が挙げられる。当研究室では, これらの問題点のうち, PCR効率の低下を改善することを目指してPCR標的遺伝子の検討を行っている。

 PCR標的遺伝子を検討する際に重視しているのは, (1)ゲノム上の標的領域の繰り返し(コピー)数, および, (2)複数の分離株間での標的領域の塩基配列の保存性, である。(1)については, ゲノム上のコピー数が多ければ多いほどPCRで増幅できるDNA断片量が多くなるため検出感度が上がる。これまでにトキソプラズマのゲノム上の繰り返し領域を利用したPCRについて, B1遺伝子や18S rRNA遺伝子領域, AF146527領域などが主な標的候補として挙げられている。(2)については, PCRプライマーの設計時の注意点である。PCRプライマーの塩基配列がトキソプラズマゲノム上の塩基配列と異なってしまった場合, 標的とするDNA断片が増幅されない, もしくは, PCR効率が低下してしまうことになるため, 世界中のトキソプラズマを比較した時に保存性の高い領域にプライマーを設計する必要がある。

 当研究室では, 一般的にコピー数が多いことが知られているミトコンドリア(mt)DNAがPCRの有用な候補領域の1つであると考えている。トキソプラズマのmtDNAには, シトクロムc酸化酵素サブユニットⅠとⅢ(cox1およびcox3)およびシトクロムb(cob)の3つのタンパク質コード遺伝子が存在する。これら3つの遺伝子のうちcox1はトキソプラズマの株間で塩基配列の保存性が高いことがわかっていたため, この遺伝子に焦点を絞って検討を進めている。その一環で, これまでにトキソプラズマにおいて1細胞当たりのコピー数が多いとされている遺伝子またはゲノム領域のコピー数をリアルタイムPCRによって評価した()。その結果, AF146527と命名された領域が最もコピー数が多いことがわかった2)。しかしながら, AF146527領域はトキソプラズマの株間で塩基配列の変異が多く入っていることも報告されており, PCRで増幅できない分離株があることが示唆されている。cox1はコピー数が多く株間の塩基配列の保存性も高いため, トキソプラズマのPCR診断における標的遺伝子として優れていると考えられるが, 臨床診断に用いるにはデータ数がまだまだ少ない。今後は臨床試料を用いた検証を積み重ねていく必要がある。

 

参考文献
  1. Kitahara M, et al., Transpl Infect Dis 23: e13726, 2021
  2. Feng X, et al., J Microbiol Methods 141: 82-86, 2017

千葉大学大学院医学研究院感染生体防御学     
 彦坂健児 

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