2013年7月29日

国立感染症研究所

 

背景

 以下のリスクアセスメントは、現時点で得られている情報に基づいており、新たな情報により内容を更新していかなければならない。事態の展開にあわせてリスクアセスメントを更新していく予定である。なお、症例情報は、基本的にはWHOからの公式情報を使用してまとめた。

 

事例の概要

 2012年9月22日に英国より中東へ渡航歴のある重症肺炎患者から後にMiddle East Respiratory Syndrome Coronavirus(MERSコロナウイルス)と命名される新種のコロナウイルス(以下、MERS)が分離されたとの報告があって以来、中東地域に居住ないし渡航歴のある者において、このウイルスによる重症呼吸器疾患の症例が継続的に報告されている。医療機関での集団発生や濃厚接触者における発症が見られ、限定的なヒト-ヒト感染が確認されている。

 

疫学的所見

  • 2013年7月21日までに、ヒト感染の確定症例90名(死亡45名:致命率50%)が世界保健機関(WHO)に報告された。
  • 中東地域からの報告症例数(死亡数)は78名(40名)であり、サウジアラビアの70名(38名)が大多数を占め、他にヨルダン、カタール、アラブ首長国連邦にて症例が見られた。
  • 中東地域以外では欧州(英国、フランス、ドイツ、イタリア)および地中海沿岸部(チュニジア)にて症例が認められた。中東地域外のすべての症例は、中東地域への渡航歴のあるもの、もしくはその接触者であった。
  • 感染源や感染経路は判明しておらず、調査中。発症前に動物との接触が明らかに分かっている症例はごくわずかである。
  • 症例の多くは男性で(64%;性別の報告された81名中52名)、年齢は2歳から94歳(中央値50歳)であった。
  • 情報が得られた範囲では、症例の多くが併存症(糖尿病、がん、慢性の心・肺・腎疾患など)を持っていた。
  • 臨床症状に関して、呼吸器症状は軽症から重症なものまで多様であるが、多くの症例が入院の必要な重症肺炎を呈していた。下痢を伴うことが多く、腎不全やDICなどの合併例もあった。なお、免疫抑制状態の患者においては、初期には下痢だけを呈する可能性も指摘されている。現時点で、このウイルス感染症に特異的な治療法はない。
  • 無症候の検査確定例はサウジアラビアとアラブ首長国連邦から報告あり。サウジアラビアから報告された8例のうち4例は医療従事者の女性、他の4例は確定例との接触歴のある小児(7~15歳)であった。アラブ首長国連邦は2名の医療従事者。
  • 2012年4月にヨルダンの医療機関で集団発生事例が発生していたことも明らかになっている(確定症例2名と疑い症例11名、うち10名は医療従事者)。

 

※ 学術論文から得られた疫学情報
  • 2013年4月1日から5月23日の間に、サウジアラビアの東部地域において23例の確定例(それ以外に11例の可能性例も存在)の報告があったが、これは4つの医療施設が関与したアウトブレイクであった。確定例23例のうち21例が、透析室、集中治療室、入院病棟においておこり、その中にはヒト—ヒト感染が確認された例もあったが、その感染様式は特定することができなかった。200名以上の医療従事者が接触者として経過観察がなされ、確定症例の治療に携わった医師と、確定症例との接触が明らかでなかった管理職看護師の計2名が確定診断された。一方217名の家族が経過観察され、うち3名が確定診断された。潜伏期間は中央値5.2日(95%信頼区間:1.9-14.7日)、世代間隔(感染源の発症から二次感染者の発症までの期間)は、中央値7.6日(95%信頼区間:2.5-23.1日)と推定されている。なお、分離ウイルス4株の遺伝子解析では、単一のクレードであることが示された[1]。
  • イギリスにおいて2013年2月に発生した二次感染者2名の家族集積例における潜伏期間は1-9日と推定されている[2]。
  • サウジアラビアで2012年10-11月に発生した家族内集積事例の報告では、同居家族のうち男性のみに感染伝播が起こり(確定例2名、可能性例1名)、入院前のみに濃厚接触があったこれらの症例の配偶者は感染していないことから、病初期においては感染性が低い可能性が推察されている[3]。
  • フランスではドバイから帰国して発症した1例とこの患者から院内感染した1例の計2例が報告された。本事例では、ウイルス検出のためには下気道からの検体が必要であることが指摘され、また潜伏期間は9-12日と推定されている[4]。
  • 6月21日までの64症例から計算された基本再生産数(R0)は、低めの推計値(集団発生内に複数の初感染例を仮定)で0.60 (95% CI 0.42–0.80)、高めの推計値(集団発生ごとに一つの初感染例を仮定)で0.69 (0.50–0.92)といずれも1.00を下回った。2003年のSARSのR0が0.80 (0.54–1.13)であり、MERSのR0はこれより低く、パンデミックは起こしがたいと推察されている[5]。

 

ウイルス学的所見

 英国(n=2)、サウジアラビア(n=1)、ヨルダン(n=1)、ドイツ(n=1)の患者検体から計5株のウイルスが分離され、それらの遺伝子の塩基配列が公開されている。これらの株間では99%以上の遺伝子塩基配列の相同性がみられた。最近の報告ではMERSと非常に近いコロナウイルスがSouth Africa batから分離されている[6]。

 

WHOによる対応

国内対応

  • 感染研ウイルス第三部より検査試薬(PCR用プライマー・プローブ、陽性対照等)が各地方衛生研究所および政令指定都市の保健所計72箇所に配布された。
  • 2012年9月26日付で、MERS感染症が疑われる事例について厚生労働省への情報提供をするようにとの通知が出されている。その後2012年11月30日付で症例定義が、発症前10日以内にアラビア半島またはその周辺国に渡航または居住していた者と変更されている。2013年5月24日には、MERSによる感染症疑い患者が発生した場合の標準的対応フローが厚生労働省から自治体等に向けて発出された。
  • l感染研はWHO等からの情報の翻訳をし、ウェブサイトを通じて情報提供している。

 

リスクアセスメントと今後の対応

  • 現時点で、医療機関内や家族間などにおいて、限定的なウイルス伝播が確認されている。医療従事者における感染事例が確認されているが、感染様式については明らかになっていない。
  • いずれの事例においても感染が市中へ急速に拡大しているという疫学的所見はなく、人-人感染は限定的と考えられている。
  • 一部のクラスターを除くと、中東の比較的広い地域において散発的に患者が発生しているが、その感染源は依然として不明である。コロナウイルスの特性から、自然宿主とは別にヒトに感染を起こしている中間宿主が存在する可能性が指摘されている。
  • 報告された症例のうち多くが死亡の転帰をとっているが、新たな感染症が出現した際には最も重症な症例から発見される傾向にあり、不顕性感染者や軽症例がつかめていない可能性がある、当該疾病の真の病態像や重症度といった全体像については、十分な検討が行えていない。
  • 昨年9月に本疾患が初めて報告されて以来、世界各国においてサーベイランスが強化されてきたところであるが、現時点では、中東外ではヨーロッパとチュニジアにおいて帰国者(輸入例)とその接触者感染が少数確認されているのみである。
  • 日本においても、今後、中東からの輸入例が探知される可能性はありうると考え、関係機関は海外での発生状況などの情報に注意し、国内において輸入例が発見された際には院内感染対策等に細心の注意を払う必要がある。

参考文献

 

  1. Assiri A, McGeer A, Perl TM, Price CS, Al Rabeeah AA, Cummings DA, Alabdullatif ZN, Assad M, Almulhim A, Makhdoom H, Madani H, Alhakeem R, Al-Tawfiq JA, Cotten M, Watson SJ, Kellam P, Zumla AI, Memish ZA; the KSA MERS-CoV Investigation Team. Hospital Outbreak of Middle East Respiratory Syndrome Coronavirus. N Engl J Med. 2013 Jun 19. [Epub ahead of print]
  2. Health Protection Agency (HPA) UK Novel Coronavirus Investigation team. Evidence of person-to-person transmission within a family cluster of novel coronavirus infections, United Kingdom, February 2013. Euro Surveill. 2013 Mar 14;18(11):20427.
  3. Memish ZA, Zumla AI, Al-Hakeem RF, Al-Rabeeah AA, Stephens GM. Family cluster of Middle East respiratory syndrome coronavirus infections. N Engl J Med. 2013 Jun 27;368 (26):2487-94.
  4. Guery B, Poissy J, El Mansouf L, Séjourné C, Ettahar N, Lemaire X, Vuotto F, Goffard A, Behillil S, Enouf V, Caro V, Mailles A, Che D, Manuguerra JC, Mathieu D, Fontanet A, van der Werf S; the MERS-CoV study group. Clinical features and viral diagnosis of two cases of infection with Middle East Respiratory Syndrome coronavirus: a report of nosocomial transmission. Lancet. 2013 Jun 29;381 (9885):2265-72
  5. Breban R, Riou J, Fontanet A. Interhuman transmissibility of Middle East respiratory syndrome coronavirus: estimation of pandemic risk. doi:10.1016/S0140-6736(08)61345-8
  6. Ithete NL, Stoffberg S, Corman VM, Veronika M. Cottontail VM, Richards LR, Schoeman MC, Drosten C, Drexler JF, Preiser W. Close Relative of Human Middle East Respiratory Syndrome Coronavirus in Bat, Emerg Infect Dis . 2013 Oct 19(No.10) 

 

 

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