これまで国内のマイコプラズマ肺炎の疫学調査は多数あるが, 古くは1960~1970年代に仙台市で行われた大規模な調査がある1)。この調査では1964, 1968, 1972, 1976年の4年間隔でマイコプラズマ肺炎の流行が報告されており, オリンピックの開催年と重なっていたため, 日本でマイコプラズマ肺炎がオリンピック病と呼ばれるきっかけにもなった。マイコプラズマ肺炎が3~7年程度の間隔で大きな流行を起こすことは, 諸外国の疫学調査でも多数報告されており2), 数年ごとの大きな流行は, この感染症の特徴の1つだと考えられる。その理由は明確ではないが, おそらくは, 病原体のMycoplasma pneumoniae(M. pneumoniae)とヒトの集団免疫との相互作用にあると思われる。一度マイコプラズマ肺炎の大きな流行が起これば, 不顕性感染も含め感染者が増加し, ヒトの集団の中には防御免疫を持つ者が増える。しかし, これはそれほど長く続かず, 数年たてば防御免疫が低下するとともに, ヒトの集団の中に防御免疫を持たない若年層が育ってくる。このような状況でM. pneumoniaeは活動しやすくなり, 次の流行を起こすのであろう。