国立感染症研究所

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計算・情報科学の利活用による論理的創薬の基盤開発

(IASR Vol. 37 p.176-177: 2016年9月号)

1. 計算・情報科学とウイルス感染症対策研究

病原体ゲノム解析研究センター第二室では, ゲノム情報の活用を念頭に置き, 計算・情報科学を取り入れてウイルス感染症を研究している(図A)。これまでにウイルスの感染・増殖, 免疫逃避, 薬剤耐性, 病原性, 流行, 進化など, ウイルスがもたらす様々な現象の構造基盤を解き明かしてきた。また, 変異ウイルス分子のリスク評価, 将来生じうるリスク変異の予測など, リスク管理の支援に役立ててきた。本稿では, AIDS対策研究に焦点を絞り, 「創薬シーズ探索研究」の活動を紹介する。

2. 治療による予防

2015年のHIV感染者は約3,670万人, AIDS死者は約110万人に達する(http://www.who.int/gho/hiv/en/)。有効なワクチンは無い。HIV感染症の制御は, 依然として公衆衛生上の極めて重要な未解決課題である。近年, 抗HIV治療は, 感染者のAIDS発症阻止に貢献するのみならず, 感染伝搬の予防効果があることが科学的に証明され, 「Treatment as Prevention」, あるいは「Pre-Exposure Prophylaxis」などの新しい感染予防戦略が提唱されている (http://aids29.umin.jp/index.html)。薬剤治療は, ワクチンと共に個人・集団レベルの重要なHIV制御法となりうる。しかしこの治療・予防戦略は, 薬剤耐性HIVの発生と流行により破綻しうる。有効性を保つには, 常に新しいクラスの抗HIV薬の開発を推進することが重要となる。

3. 創薬シーズ創出とin silico構造解析

創薬シーズ創出は, 長らく独自のライブラリーを保有する製薬会社が主体となってきた。一方, 構造生物学, ゲノム科学, 計算・情報科学等の進展に伴い, 論理的な手段で創薬標的を発見し, 候補物質の設計・選別を進める 「論理的創薬」 の実施環境が整ってきた。ウイルス感染症を対象とする論理的創薬においては, まず第一にウイルスの感染・増殖を担う分子間相互作用(創薬標的)の同定が鍵を握る。機能的な相互作用が同定されれば, 結合様式を解明し, その結合に介入して感染・増殖の連鎖反応を遮断する物質を設計・選別できる。しかし構造解析を含む一連の作業を実験のみに依存しては膨大な時間を要する。分子構造の詳細を解明する分子モデリング, 変異による物性変化を解明するin silico変異導入解析, 分子の物性・相互作用を解明する分子動力学解析などのコンピュータシミュレーション技術を導入することで解析期間を大幅に短縮できる。有機合成化学・ウイルス学の専門家と連携すれば, 選別した候補物質の合成と活性評価を1つの研究組織で推進できる(図B)。このように, 独自の化合物ライブラリーを所有しなくても, 基礎研究者が能動的に創薬シーズを創出することが可能な時代が到来している。

4. HIV Gag研究班の発足と成果

我々は, 平成25~27年度の間, 厚生労働科学研究費補助金の支援を受け, HIV Gag蛋白質を標的とする論理的創薬の基盤開発を進めた(エイズ対策研究事業:HIV Gag蛋白質と関連因子の治療標的構造の解明に向けた統合的研究)(図B)。Gag蛋白質は, 新しい創薬標的として, 以下の利点をもつ。(a)HIVの生活環全体に関わる構造蛋白質である。適切な標的を選定すれば, ウイルスの感染・増殖の双方を阻止する新しいクラスの創薬シーズ同定が期待できる。(b)Gagを標的とする認可薬はまだ無い。Gag阻害剤には, 既存の薬剤耐性HIVの制御が期待できる。(c)HIVのエンベロープ蛋白質や不定形アクセサリー蛋白質に比べ変異の許容度が低い。耐性発現の蓋然性が相対的に低いと予想できる。(d)宿主分子を標的とするより副作用のリスクが小さいことが期待される。

研究班では, 論理的創薬の第一段階として創薬標的同定を目標とし, ポイントとなる機能的相互作用(HIVの感染・増殖につながる相互作用)の同定を進めた(図B)。HIV感染・増殖機構を研究する基礎ウイルス学研究者と連携して, HIV感染初期・後期における未解明の相互作用とその役割について解析した。部分(相互作用の実態)と全体(相互作用の役割) の双方を理解しながら生理的意義のある相互作用を同定する体制を構築し, 複数の候補標的を同定することに成功した。

成果の1例を紹介する。HIV-1成熟コア1)のカプシド蛋白質二量体のin silico変異導入解析により, コア安定性維持の鍵を握る相互作用を1箇所見出した。HIV/SIV Gag前駆体全長配列(n=6,225)の情報エントロピー解析により, この相互作用を司るアミノ酸残基は霊長類レンチウイルスにおいて高度に保存されていることを見出した。この部位の変異はコア形成異常と粒子感染能の消失を招く2)。以上の知見より, 本研究で見出した相互作用は, HIVの流行と進化の間に変化できない有力な創薬標的候補と考えられる。

おわりに

平成28年度より, Gagを標的とする論理的創薬の第二相の研究を開始した(AMEDエイズ対策実用化研究事業:HIV Gag蛋白質の機能と進化能の構造生物学研究に基づく次世代の創薬シーズ創成)(図B)。第1相の研究成果をもとに設計・選別・合成した物質第1号は, 実際に抗HIV活性を示した(EC50=7.6μM)。現時点では, 論理的創薬によるシーズ創出の有用性が期待出来る結果となっている。研究の継続により, 新しいクラスの候補物質のさらなる発見と論理的創薬の基盤強化が期待される。

 

参考文献
  1. Zhao G, et al., Nature 497: 643-646, 2013
  2. von Schwedler UK, et al., J Virol 77: 5439-5450, 2003

国立感染症研究所病原体ゲノム解析研究センター 第二室室長
 佐藤裕徳

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