国立感染症研究所

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職域における麻疹対策の課題と在り方について―産業医の立場から

(IASR Vol. 38 p.56-57: 2017年3月号)

当社の取り組み

筆者が産業医を務める小売業は, 不特定多数の顧客に日々対面で接するという業務特性上, 麻疹等の感染症対策が喫緊の課題となっている。当社の場合, 海外でも事業展開している他, 訪日外国人を対象としたインバウンド事業にも注力しており, また本社は海外からの玄関口である成田空港にも比較的近いことから, 常に主要な感染症の動向を注視している。2016年8~9月に関西地区で麻疹の集団感染が発生した際には, 発生地区に所在する店舗の労働者に対して注意喚起するとともに, 店舗管理者による勤務前の体調確認を実施している。事業継続マネジメント(BCM: business continuity management)の観点から, 感染症に係る総合的な対策本部が本社総務部門内に設置されており, 人事部門とも連携の上, 社内規程・社内通達等で流行状況に応じた対策を周知徹底している。

 職域における麻疹対策の重要性と課題

麻疹に限らず, 職域における感染症対策は労働者の健康管理, ならびに生産性の維持向上の観点からも重要である。経済産業省の『健康経営銘柄』においても, 企業の健康経営の取り組み評価項目として, 「健康診断時の麻しん・風しんなどの感染症抗体検査の実施」, 「予防接種の費用補助」等の項目が設定されており, 企業の社会的責任(CSR: corporate social respon-sibility) の一環として, 職域での対策強化が期待されている。

他方, 産業医として実際に企業でそのような対策を行っていくにあたり, 以下に挙げるような点で人事労務担当者とともにしばしば逡巡している。

1)安全配慮義務の拡大

労働安全衛生法に基づいて, 労働者に対して実施されている一般定期健康診断は, 「適正配置・就業措置」を目的として実施されており, 健康診断の受診のみならず, その結果に基づく事後措置までが事業者(企業)に求められている。

一般定期健康診断の項目は法令(労働安全衛生規則第44条)で規定されており, 法令で規定されていない項目(法定外項目)については労働者の個人情報という位置づけとなることから, 事業者が法定外項目を取得するに際しては, 利用目的の通知および労働者からの同意取得が必要となる。

法定外項目であっても, 事業者が健康情報を取得する以上, その内容に応じた安全配慮義務が生じる。例えば, 抗体検査等で麻疹の免疫が得られていないと判明していた労働者が麻疹感染のリスクの高い業務に新たに従事することにより, 麻疹に感染して重篤化したような場合, 麻疹感染のリスクの低い業務に配置しなかったという対応不備について, 事業者の民事上の責任が問われることにつながる(訴訟リスクの発生)。

2)適正配置実施上の課題

法令上は前述の通り, 健康診断結果に基づく適正配置が求められているが, 業務を特定して雇用した労働者に対する就業上の措置については限界がある。

例えば, 対面接客業務に限定した企業求人に応募して採用された労働者が, 入社後の健康診断で麻疹抗体価が低値で, 当該業務従事に適さないと判断されたような場合, 本来増員の必要のない別の部署に配置せざるを得なくなり, 労働者も本来希望していた処遇で勤務できないということが起こる。

予防接種を希望しない労働者に対してどこまで指示できるか, 免疫獲得までの待機期間中の勤怠・給与の取り扱いをどうするか, 入社や配置替えのために受けた予防接種によって重篤な副作用が発生した場合の事業者の責任はどうなるか, 当初の予定業務にどうしても就かせることができない場合に採用取り消しで対応することは容認されるか(採用取り消しはトラブルとなるのが必至)等の検討課題が生じることとなる。

3)予防接種実施に係る課題

予防接種についても事業者の責任にて実施を義務化すべき, という意見も耳にすることがある。健康診断のように比較的低侵襲の内容であれば, 事業者のコスト負担を検討すれば済む単純な話かもしれないが, 非常に稀ではあるにせよ, 重篤な副作用が生じる場合がある。予防接種健康被害救済制度があるとはいえ, 逸失利益分まですべて補償されるとは限らず, また事業者の指示で受けた予防接種に起因する事象となると, その後の当該労働者の生活全般について, 事業者が責任を負わなければならなくなる。

よりよい取り組みに向けて

一般定期健康診断は前述のように, 事業者の健康管理の責任範囲を定めるものでもあることから, 抗体検査を一般定期健康診断の項目として事業者に法令で一律に義務づけるのではなく, 麻疹感染のリスクが高い業務が存在するかどうか, 個人情報である検査結果を一律事業者に提供してもよいかどうか等, 実施の妥当性について各々の企業で労使を交えて十分協議した上で決定すべきと考えられる。

抗体検査や予防接種の機会の提供という観点からは, 例えば健康保険組合が実施する福利厚生事業(人間ドック)の一環として実施する, あるいは前述の経済産業省の『健康経営銘柄』評価項目で示されているように「費用補助」に留めるのが現実的な対応となる。

そして, 入社してから適正配置に苦慮しなくて済むようにする上では, やはり入社する前から麻疹の免疫を獲得しておくのが望ましいのは言うまでもない。幼児期~学童期のワクチン接種の推奨, 確実な実施が職域における対策をも後押しするはずである。

麻疹対策に関して, 職域での取り組みはもちろん重要であるが, 事業者のみに過度の責任を負わせないような工夫や配慮も求められる。医療機関や行政とも適切に連携, 役割分担する等, 社会全体で麻疹対策を展開していくことが, 実効性のある取り組みとする上で重要であると考えられる。


イオン株式会社 グループ人事部 増田将史

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