2015年夏に千葉県で発生した日本脳炎の乳児例
(IASR Vol. 38 p.153-154: 2017年8月号)
はじめに
わが国では毎年日本脳炎患者が発生しており, 2016年には1992年以降最も多い11例が報告された。疫学的特徴として, (1)西日本に多い, (2)8~9月に発生のピークがある, (3)60歳以上の高齢者に多く小児例は少ない(2007年以降5例のみ)があげられる。予後は不良であり, 発症者における致命率は20%以上, 生存例の約50%が後遺症を残すとされている。今回, 2015年8月に千葉県で発生した日本脳炎の乳児例を報告する。
症 例
10か月男児。主訴:発熱, ずっと左を見ている。既往歴:成長・発達に異常指摘なし。生活歴:自宅近くには水田が多く, 児は頻繁に蚊に刺されていた。また, 自宅から10km以内に養豚ファームが点在し, 約500m離れたところにブタの食肉工場があった。
現病歴:入院3日前より発熱, 入院前日より傾眠となり, 覚醒時は眼球が左を向くことが多くなった。入院当日(第4病日)外来受診時, 発熱, 意識障害, 左眼球偏位を認め, 脳炎・脳症疑いで入院した。入院時, 体温38.6℃, 心拍数 144/分, 呼吸数 48/分, SpO2=96%(室内気), 下腿を中心に, 四肢に虫刺痕を多数認めた。神経学的所見では, 乳児用グラスゴーコーマスケール 8(E3V2M3), 左共同偏視, 右優位の四肢麻痺(右上下肢:抗重力運動不可。左上下肢:抗重力運動は可能だが普段より弱い), 両側深部腱反射亢進, Babinski徴候を認めた。髄膜刺激徴候は認めなかった。血液検査では, WBC 15,100/μLと軽度の上昇を認めたが, CRP 0.04 mg/dLと炎症所見は乏しかった。肝・腎機能, 電解質に異常を認めなかった。髄液検査では初圧180 mm H2O, 細胞数43/μL(単核球93%), 蛋白33 mg/dL, 糖70 mg/dLと軽度の細胞数増多を認めた。ウイルス性脳炎の可能性を考慮し, 千葉県衛生研究所に髄液, 咽頭ぬぐい液, 便のウイルス学的検査を依頼した(本号4ページ)。入院当日の脳MRIでは, 左視床にT2強調画像 (T2WI), 拡散強調画像 (DWI) で高信号域, Apparent diffusion coefficient map(ADC map)で低信号域を認めた。脳波では全般性高振幅徐波を認めた。入院後, セフトリアキソン, アシクロビルを開始したが, 高熱が持続し左四肢麻痺が増悪したため, 入院2日目より, ステロイドパルス療法とマンニトール投与を開始した。3日目より徐々に共同偏視は消失, 意識レベルも改善したが, 四肢麻痺の改善は乏しかった。入院8日目のMRIでは右視床にもT2WI, DWIで高信号域, ADC mapで低信号域を認めた。入院後, SpO2低下, 頻呼吸に対し酸素投与を, また嚥下障害に対し経鼻経管栄養を行った。
入院21日目, 入院時に採取された髄液からRT-PCR法にて日本脳炎ウイルスRNAが検出され, 日本脳炎と診断した。後に判明した日本脳炎ウイルス血清抗体価はHI(hemagglutination inhibition, 赤血球凝集抑制)法にて, 第5病日10倍未満, 第14病日80倍, 第82病日160倍と有意に上昇しており, 日本脳炎の診断を裏付けた。入院35日目にX線透視下で両側横隔膜の挙上, および奇異性運動を確認し, 両側横隔神経麻痺の合併が考えられた。呼吸窮迫が持続したため, 入院41日目より17日間ネーザルハイフロー酸素療法を使用したが, その後は徐々に改善し, 入院69日目に酸素投与を中止した。入院103日目, リハビリテーションセンターへ転院した。経過中けいれんは認めなかった。退院時(入院14週目)のMRIでは大脳萎縮, 両側視床に壊死性変化を認めた。発症から約1年半の時点で, 定頚, 発語はなく, 重度の四肢麻痺が残存しリハビリテーションを継続している。
考 察
日本脳炎の潜伏期間は6~16日とされ, 発熱, 頭痛, 意識障害, 麻痺, けいれんなどがみられるが, 日本脳炎に特徴的な症状はない。髄液検査では細胞数増多, 蛋白上昇を認めるが, 血液検査では異常所見を認めないことが多い。画像検査では, 両側視床病変が日本脳炎の特徴とされており, MRIが診断に有用である。本症例では, 入院時のMRIで左視床に病変を認めたが, 入院8日目には右視床にも明らかな病変が出現しており, 発症初期のMRIで視床病変が片側性でも日本脳炎は否定できない。脳炎患者に視床病変を認めた場合, 日本脳炎は重要な鑑別診断である。
日本脳炎の診断には, ①抗体検査, ②髄液からのウイルス分離, ③RT-PCRによるウイルスRNAの検出, の3つの方法がある。しかし, ウイルス分離は通常困難であり, RT-PCRの感度も低いため, これらが陰性の場合には抗体検査が有用になる。本症例では, 髄液から日本脳炎ウイルスRNAが検出され日本脳炎と診断できたが, 第5病日の抗体価は10倍未満であった。日本脳炎を強く疑った際には, ウイルス分離, RT- PCRが陰性の場合でも積極的にペア血清を評価することが診断に重要である。
日本脳炎に特異的な治療法はなく, 発症すると予後不良であるため予防が重要である。完全な防蚊対策は困難であり, ワクチン接種が最善の予防策である。現在, 日本脳炎ワクチンの標準的接種時期は3歳以降であるが, 2016年3月, 日本小児科学会は, 罹患リスクの高い者に対しては生後6か月からの接種開始を推奨する旨の接種スケジュールを公開した1)。WHOも日本脳炎発生地域(日本を含む)において不活化ワクチンを接種する場合には, 生後6か月から4週間あけて2回接種するスケジュールを推奨している2)。標準的接種年齢が3歳であることの科学的根拠は乏しく, 有効性(免疫原性)は同等とされていることより, 各自治体は, 地域のリスクを評価し生後6か月からのワクチン接種を積極的に検討すべきと考える。
日本脳炎の患者発生は少数ながら東日本からも報告されている。東日本では, 千葉, 茨城, 群馬は県別ブタ飼育頭数が多く, 特に千葉, 茨城では毎年夏にはブタの日本脳炎抗体保有率が高くなる3)。これらブタの日本脳炎抗体保有率が高い地域(高リスク地域)が自治体や住民に周知されているとは言い難く, 短期滞在や転居などによる感染機会の可能性を考慮すれば, より早期に日本脳炎に対する免疫を獲得することは国内全体の課題ともいえる。
結 論
日本脳炎はワクチン接種により予防可能な脳炎である。発生頻度は低いものの, 小児が罹患した場合の予後は不良であり, 特に高リスク地域では生後6か月以降早期にワクチン接種を行うべきである。