国立感染症研究所

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日本におけるHIV関連神経認知障害(HAND)の有病率と関連因子:J-HAND研究結果報告から

(IASR Vol. 38 p.182-184: 2017年9月号)

HIV感染症はもはや死の病ではなくなり, 感染者の高齢化が急速に進んでいる。これに伴い, エイズ指標疾患以外の心血管障害や腎障害, 骨密度低下など様々な合併症が問題になっている。かつて極めて予後不良であったHIV脳症は治療の進歩により激減したが, 最近では治療が比較的順調でウイルスが抑えられているにもかかわらず, 軽度の認知障害を呈する患者の存在が明らかとなった。こうした軽度の認知障害も含めた包括的な疾患概念としてHIV関連神経認知障害(HIV-associated neurocognitive disorder; HAND)が提唱され, 重症度分類としてFrascati criteriaが考えられた1)表1)。全米のCHARTER研究では, 約47%の患者で認知機能低下が認められると報告されたが2), HIV感染者では, 中枢神経系日和見感染や薬物使用, うつ病など, 認知機能低下の交絡因子が多いうえ, どの神経心理検査を行うかによって成績も変わるため, 正確なHAND有病率はまだ不明である。日本では疫学研究が諸外国に比べて立ち遅れていたため, 全国17施設共同で, 統一神経心理検査を用いたHAND疫学のための多施設前向き横断研究(J-HAND研究)が行われた。J-HAND研究では厳格なランダムサンプリングを行い, 認知機能低下をもたらす交絡疾患や薬物使用を丁寧に除外したうえで, 8領域を網羅する14心理検査(表2)を行い, HAND重症度分類を行った。年齢や学歴, HIV感染診断時期, CD4数, ウイルス量, 多剤併用療法(antiretroviral therapy; ART)の内容や施行期間などとの関連を調査した。

J-HAND研究は2014年7月~2016年7月までの2年間にわたってデータが収集された。全17施設で1,399例がリクルートされ, うち研究参加への同意が得られ検査を終了したのは728例, 407例が除外(同意後に除外を含む), 215例が拒否, 35例が同意撤回, 14例が検査未実施であった。728例の患者背景は, 男性が94.8%, 平均年齢は45.6歳, 教育歴が高卒以下53.3%, 男性同性間性的接触(MSM)83.4%。非就労者は18.4%, 独居も46.6%であった。AIDS発症既往32.0%, HIV診断時の平均Nadir CD4数は163.4/μL, HIV診断から検査までの期間は平均91.4カ月であった。ARTは97.0%で導入されており, ART施行期間は平均81.7カ月, インテグラーゼ阻害薬内服者は51.8%であった。

HANDは全体の184例(25.3%)に認められ, うち無症候性神経認知障害(ANI)が98例(13.5%), 軽度神経認知障害(MND)が77例(10.6%), HIV関連認知症(HAD)が9例 (1.2%)であった(図1)。領域別の神経心理テストで, 1標準偏差以下の割合は, 言語6.2%, 注意5.6%, 遂行機能22.5%, 視空間構成22.4%, 学習13.3%, 記憶11.0%, 情報処理速度11.0%, 運動技能6.1%であった。年齢ごとの分布を詳しくみると, HADもしくはMNDの割合は20~40代まではほぼ同等だが, 50代, 60代になると急に増える傾向がみられた(図2)。また, HIV診断後年数とHAD/MNDの有病率をみると, HIV診断後2年未満で11.2%, 2~5年では6.3%に減少するが, 6~10年後では12.8%に上昇, 11年以上では17.3%であった(図3)。ARTの有無別では, 未治療の症例がわずか22例であったが, HAD/MND有病率は未治療例で高かった。HADおよびMNDに対するロジスティック多変量解析では, 50歳以上, blip(ウイルス学的失敗まで至らない一時的なウイルス量の増大現象)もしくはウイルス学的失敗がリスク因子であり, ART, 就労が良い成績と関連していた。

本研究の結果では, 日本人HIV感染者のHAND有病率は25.3%と推定された。これはCHARTER研究の約半分であるが, 英国3)やオーストラリア4), 韓国5)など最近の海外疫学報告とほぼ同様であった。領域別にみると, 遂行機能と視空間構成に関わる機能の成績が悪かった。遂行機能は海外の先行研究でもHIV感染者で成績が悪いことが報告されており3,5,6), 本研究もこれに合致する結果であった。一方, Rey複雑図形検査(ROCFT)は視空間に関わる構成能力や学習・記憶能力を検査するもので, 本研究ではROCFTすべての成績が悪く, HANDでは視空間に関わる能力が全般的に低下することが示唆された。日本人は漢字文化を背景として一見複雑な図形を体系的に把握する作業に慣れているため, HANDになるとこうした高度に訓練された分野が障害されやすいものと推測される。

HAD/MNDの有病率を年齢別にみると, 50代, 60代で急速に有病率が増えている。検査は年齢別に標準化されているので, 高齢者になるほど同年代に比べて認知機能が低下することが示された。HIV診断後年数別では, 診断後2年未満ではHAND有病率が高いが, その後いったん減少し, 5年目以降は徐々に再上昇するという二相性の変化が観察された。診断後初期のHAND有病率の低下にはARTが奏効している可能性が高いが, その後HAND有病率が再上昇する原因は不明である。さらに診断後年数と年齢を組み合わせると, 高齢者ほど診断後早期の有病率が若年者より有意に高く, 高齢者は感染初期のダメージが大きいことが示唆された。

本研究は日本で初めてのHANDに関する大規模疫学研究である。HANDの存在自体に対する懐疑的な見方も多かったが, HIV感染が加齢を加速させること, 適切なARTによってHANDリスクを軽減しうることが示唆された。しかし, この研究はあくまで横断研究にすぎず, HANDに関わる基礎データを提供したにすぎない。本研究のデータをもとに, より精度の高い研究や基礎研究が広がることに期待したい。

 

参考文献
  1. Antinori A, et al., Neurology 69: 1789-1799, 2007
  2. Heaton RK, et al., Neurology 75: 2087-2096, 2010
  3. McDonnell J, et al., J Acquir Immune Defic Syndr 67: 120-127, 2014
  4. Bloch M, et al., Clin Infect Dis 63: 687-693, 2016
  5. Ku NS, et al., HIV Medicine 15: 470-477, 2014
  6. Wright EJ, et al., HIV Medicine Suppl 1: 97-100, 2015
 
 国立国際医療研究センターエイズ治療・研究開発センター 木内 英

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