国立感染症研究所

(IDWR 2001年第14号)

 ヒト以外の動物を固有宿主とする寄生虫の幼虫がヒトに侵入した場合、成虫には発育できずに幼虫のまま体内を移動し、さまざまな症状を引き起こす症 候群を幼虫移行症と呼んでいる。わが国では生鮮魚介類について、加熱をしない調理法(刺身、すし、酢づけなど)により喫食することが一般に普及しているた めに、魚介類に由来する幼虫移行症の発生が多い。さきに述べたアニサキス症(2001年第5号掲載「感染症の話」)はその代表的なもののひとつである。ここでは、10 年程前から一般に出回っている「ホタルイカ」(写真1)の生食によって感染する事が明らかとなった旋尾線虫の幼虫移行症について述べる。この旋尾線虫幼虫移行症は、腸閉塞を含む急性腹症や皮膚に線状の爬行疹を引き起こすことで食品衛生上の新しい問題となっている。

 本種幼虫は、腸管壁への侵入移行のみならず、腹、背、腰部の皮膚組織内への移行を引き起こす点で軽 視できない危険な寄生虫であると考えられる。ホタルイカは3月から8月が漁期で、本症の発生時期が例年4月、5月に集中していることから、この時期、発生 予防に注意を喚起することが必要である。

写真1. ホタルイカ(上二つはボイルしたもの)

疫 学
 1974 年に秋田県で大鶴らが、腸閉塞の疑いで摘出された小腸の炎症部から虫体断端を発見し「旋尾線虫目のある種幼虫による2 例」として報告していたものが最初である。原因食品は当初 から生の魚あるいはエビと考えられていたが、原因不明のままその後15 年間は報告が途絶えていた。ホタルイカの生食を原因とする旋尾線虫幼虫による皮膚爬行症や腸閉塞の患者発生は1987 年以後であるが、その要因は、主産地であった富山湾から生きたままのホタルイカを遠隔地発送 することがこの年に始まったことである。ホタルイカは元来限られた産地でのみ賞味され、その調理法も加熱か内臓除去後の生食が主であったと云われている。 それが生きたままでの遠隔地発 送の実現によって、ホタルイカのいわゆる「踊り食い」や内臓付きの刺身という新しい喫食法が流 布されて、本症の全国的発生に至ったものである。本症は当初、皮膚科領域からの新たな皮膚 爬行症の原因として報告が数多くなされたが、他方で急性腹症(腸閉塞)の原因としても注目されるところとなり、1988 年から1994年までの7年間に本虫が原因の皮膚爬行症32例、腸閉塞20例、眼寄生1例の報告がなされた。この1994年に、ホタルイカの内臓付き生食 が危険であることが一 般新聞等で大々的に報道され、生産者が加熱あるいは冷凍処理後に出荷したこともあり、翌1995 年には本症の報告が激減した。しかしながら最近に至って、食材としてのホタルイカが一般化す るとともに虫体の不活化処理が徹底されず、本症の発生はあとを断たない状況にある。近年、ホ タルイカは富山湾だけではなく、兵庫、福井、鳥取、京都、石川、新潟など日本海沿岸各県の漁 港でも水揚げがなされ、取り扱い業者が増加したことも背景にある。

病原体

 病原となる線虫は、終宿主と成虫が不明であるために旋尾線虫typeX 幼虫(写真2)と仮に名付けられているものである。この幼虫はホタルイカ、スルメイカ、ハタハタ、スケソウダラ、アンコウなどの海産魚介類の内臓に寄生し、体長:5 〜10mm 、体幅:0.1mm で、アニサキス幼虫と異なり肉眼では認めがたい。1990 年頃から頻発した皮膚爬行症を示す患者から本種幼虫の断端が病理組織学的に検出されていたが、その原因食材について当初は不明であった。

写真2. 旋尾線虫typeX 幼虫(スケールは1mm)

 しかし、続発した症例のなかにホタルイ カを生食した患者があり、ホタルイカを検査したところ 旋尾線虫typeX 幼虫の寄生が確認され、当時から出 回っていたホタルイカを内臓ごと生食することが本症の原因となっていることが明らかとなった。現在まで の調査によれば、本種幼虫の寄生率は2 〜7%で、寄生部位は主として内臓部分であると見られている。

臨床症状
 旋尾線虫幼虫の前眼房内寄生が1例報告されているが、旋尾線虫幼虫移行症は腸閉塞を含む急性腹症、あるいは皮膚爬行症などがその症状の大部分を占めている。
1 )急性腹症型
 急性腹症を起こすものでは、腸壁が肥厚して腸閉塞として手術適応になるものと、麻痺性イレウス症状を呈して対症療法で軽快するものとがある。ホタルイカ 摂食後数時間〜2日後より腹部 膨満感、腹痛が出現する。腹痛の持続時間は2 〜10日で、嘔気、嘔吐を伴う事が多い。
2 )皮膚爬行症型
 皮膚症状はホタルイカ摂食後2 週間前後の発症が多い。皮疹の大多数は腹部より始まり、爬行 速度は比較的速く、線状の皮疹は1 日2 〜7cm 伸長する。数ミリ幅の赤い線状の皮疹が蛇行して 長く伸び、浮腫状にわずかな隆起を伴う部分もある。また、虫体が真皮の比較的浅いところを移 行するためか、水疱をつくることが多い。

病原診断
 診断上、3 〜8月に生鮮ホタルイカを内臓ごと摂取した食歴の有無がポイントとなる。皮膚爬行症においては、皮膚組織の採取と組織学的検索による虫体断端を証明するこ とが確実で、その 形態的特徴から病原幼虫の同定が可能である。他方で、急性腹症を起こすケースにあっては、 アニサキス症と異なり虫体が微細であるために、内視鏡による虫体確認や摘出は不可能である。 腸閉塞の疑いにより手術適応になったものについては、皮膚爬行症の場合と同様に組織学的検 索により虫体断端を証明し、形態的特徴から病原幼虫を同定する。しかしながら、腸閉塞様症状から対症療法により軽快するものに関しては病原診断は困難であ る。旋尾線虫typeX 幼虫を抗原 とする免疫血清学的診断が試みられ、患者ペア血清での抗体価の変動により感染の推定が行われている。

治療・予防
 治療法としては、皮膚爬行症の場合は虫体の摘出、急性腹症の場合は対症療法が行われている。
予防としては、ホタルイカの「踊り食い」や、内臓付き未冷凍のものの刺身を絶対に避けることである。これまでに知られているホタルイカでの旋尾線虫typeX 幼虫の寄生部位は内臓であるので、 内臓を除去した上での生食は危険性が少ないと考えられている。
 厚生省は平成12 年6月21日付けで、生食用のホタルイカの取り扱いと販売に関して、次の内容で不活化処理が実施されるように各都道府県へ通達した。
 1.生食を行う場合には、次の方法によること。
  (a) −30 ℃で4日間以上、もしくはそれと同等の殺虫能力を有する条件で凍結すること(同等の 殺虫能力例:−35 ℃(中心温度)で15時間以上、または−40 ℃で40 分以上)
  (b) 内臓を除去すること、又は、製品にその旨表示を行うこと。
 2. 生食用以外の場合は、加熱処理(沸騰水に投入後30秒保持、もしくは中心温度で60℃以上の加熱)を行うこと。

食品衛生法での取り扱い
 食中毒が疑われる場合は、24 時間以内に最寄りの保健所に届け出る。

 1999 年12 月28 日に食品衛生法施行規則の一部改正(厚生省令第105 号)が行われ、食中毒事件票の一部が改正された。旋尾線虫はアニサキスのように食中毒原因物質として例示はされていないが、「食品媒介感染 症の疑いの者が発生した場合には、保健所長の一元的指揮のもと、現行の食中毒事件票に明示された病原 体のみを対象とするのではなく、食品保健部門が一次的原因究明を行うことが効果的である」(公衆衛生審議 会意見、平成9 年12 月24 日)という観点から対応する事が求められている。


(国立感染症研究所寄生動物部 川中正憲 杉山 広)

Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan

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