タイにおける豚レンサ球菌感染症
(IASR Vol. 33 p. 217-218: 2012年8月号)
豚レンサ球菌(Streptococcus suis )感染症は、グラム陽性・通性嫌気性菌である豚レンサ球菌が人に感染し惹起される。本菌は豚の扁桃腺を中心とした上気道や消化管に常在し、時に豚自身にも病気を惹起する人獣共通感染菌である。本菌は羊血液寒天培地ではα溶血を示すが、馬血液寒天培地上ではβ溶血を示す。人臨床分離株の血清型としては血清型2が世界的に主要であるが、血清型14もタイにおいては多く分離される1) 。感染経路としては、生豚肉製品や不十分な加熱処理を行った豚肉の摂食による経口感染と、豚との接触を機に皮膚創傷から感染する創傷感染が考えられている。本感染症の主要な感染病態は敗血症と髄膜炎である。特に髄膜炎の発症率は比較的高く、ベトナムでは成人の髄膜炎の最も頻度の高い原因菌として報告され、特徴的な所見である半永久的な難聴が後遺症として問題となっている。本感染症が注目を集め始めたきっかけは、2005年に中国の四川省で発生した集団感染事例である。これ以降、症例報告件数がアジア・東南アジアを中心に年々増加しているが、その増加の要因は医療従事者の認知度が高くなったことにあると考えられている。
タイにおける本感染症の現状
タイにおいても1987年に初めて症例報告がなされ、2007年5月には北タイのパヤオ県にて29例の確定症例を含めた100人規模の集団感染事例が発生した。このように大きな社会問題となっているにもかかわらず、同国における本感染症の疫学的特徴および臨床病態は不明であったため、我々は2009年からその解明を目的として実地疫学調査を開始した。我々はタイNational Institute of Healthの協力のもと、2006~2008年の間の臨床分離株について本菌の同定を行い、同定症例の疫学および臨床情報を後ろ向きに収集し解析した。結果、179症例が同定され、そのうち92%が血清型2による症例であり、血清型14による症例が6.7%と、他国と比較し多い結果であった。さらに未報告の血清型5や24による症例も同定され2) 、タイにおける臨床分離株の特徴が明らかとなった。症例発生の月別変動と地理的分布をみてみると、発生のピークを6~8月の雨季に認めるとともに、多くの症例が散発例で北タイ由来であった3) 。
北タイパヤオ県における本感染症の現状
これらの事実を踏まえ、より詳細な情報の収集と解析を目的とし2010年に北タイのパヤオ県にて地域住民を対象とした前向き疫学調査を実施した(図1A)。同県は人口約50万人の県で9つの地区からなっている。上述した2007年の集団感染事例は同県のPhu Sang地区で発生しており、後ろ向き疫学調査の結果を考慮しても本感染症の蔓延地域であると推察された。そこで同県の2つの中核病院と5つの地域病院、そして同県公衆衛生局の協力のもとに本感染症サーベイランスネットワークを構築した。その上で血液および髄液から菌が検出された侵襲性感染症例を調査対象とし、臨床および疫学情報を回収した。結果、同年には31症例が同定され(図1B)、同県の一般人口における本感染症罹患率は10万人に対して6.2人と算出された。この値は他国からの報告(10万人に対して、香港では0.09人、オランダでは0.002人)と比較しても非常に高い結果であった。また死亡例は5例認められ、致死率は16.1%と高い結果であった。危険因子としては71%にあたる22例において生豚肉製品の摂食歴があり、推測される潜伏期間は2日と非常に短期間であった。このことから同地域では経口感染が主要な感染経路となっていることが判明した。摂食場所としては自宅だけでなく幾つかのレストランが挙げられ、公共の場における食事にも感染の危険性があった。豚肉は地域の市場から購入されており、共通の汚染源であると推察された。さらに臨床疫学的情報と分離菌の分子疫学的手法を用いた解析から症例発生様式を検討した結果、3例が同じPulso type A2由来のクラスター症例であったが、他の28例はすべて散発例であった4) 。
北タイパヤオ県における公衆衛生学的介入とその効果
罹患率を考慮すると、北タイ全体では年間700症例が発生していると推察され、地域住民の大きな健康被害となっていることから公衆衛生学的介入が必要であった。そこで2011年からタイ厚生省の協力のもと、パヤオ県にて食の安全キャンペーンを開始した。生豚肉製品摂食の危険性と豚肉を扱う際のグローブの着用を地域住民に伝えることがキャンペーンの内容であった。同県には同県公衆衛生局を起点として地方公衆衛生局、地域ヘルスボランティア、地域住民と扇状に広がる情報ネットワークが存在し、これを活用することで口頭もしくはパンフレットによる知識の普及を行った他、病院や街中にキャンペーンの内容を記したポスターを掲げてキャンペーンを促進した。結果、2010年に31例あった同定症例が2011年には13例へと減少し、死亡例も1例のみとなった(図1B)。感染経路は依然として経口感染が主であるが、摂食場所からレストランが消えて自宅での曝露のみとなり、感染様式にも変化が確認された。本年度も継続して調査を行っているが、症例数のさらなる減少が期待されており、順調にキャンペーンが機能していると考えられた。
おわりに
本感染症は近年注目を集めている疾患であり、地域によっては主要な感染症起因菌となっているが、その疫学的特徴や臨床病態はまだ不明な点が多く、今後のさらなる解明が期待される。
参考文献
1) Kerdsin A, et al., J Med Microbiol 58: 1508-1513, 2009
2) Kerdsin A, et al., Lancet 378: 960, 2011
3) Kerdsin A, et al., Emerg Infect Dis 17: 835-842, 2011
4) Takeuchi D, et al., PLoS ONE 7: e31265, 2012
大阪大学微生物病研究所感染症国際研究センター 竹内 壇
国立感染症研究所感染症情報センター 大石和徳