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2012国際エイズ会議に参加して

(IASR Vol. 33 p. 237-239: 2012年9月号)

 

はじめに
「Turning the tide together」を合い言葉に、第19回国際エイズ会議が、2012年7月22~27日までの6日間開催された(写真1)。世界183の国と地域から2万4,000人の参加者が、ワシントンDCに集結した。アメリカでの開催はなんと1990年以来22年ぶりで、DCでの開催となると実に四半世紀ぶりとなる。久々の開催となったためか、のっけからかなり気合いの入ったイベントや有名人の登場が目白押しであった。開催前夜のオープニングセッションでは、プレゼンターとして女優のシャロン・ストーン(「氷の微笑」などに出演)が華やかに登壇し、それからDCのGay Men'sコーラス隊(壇上での姿は壮観でした)による美しい歌声の披露があった後に、市長、南アフリカの副大統領、世界銀行や国連の関係者らが次々と挨拶を行った(事前のプログラムでは、ジョージ・ブッシュの名前もあったが、これは直前に差し替えられていた。残念)。クリントン夫妻や、エルトン・ジョンなども登場し、なかなか話題の多い学会だった。また、「AIDS Free Generation」、「The End of AIDS」、「Treatment for Prevention」などなど、いくつかの象徴的なフレーズが繰り返し使われていたのも、この学会の大きな特徴の一つであった。

AIDS Free Generation
少なくない発表者が2009年のDCでのHIV陽性の赤ちゃんの出生数が0(ゼロ)であったことを、誇らしげに報告していた。母子感染を防ぐことにより、感染していない子供の世代をつくることが、AIDSの拡大を防ぐ最良の方法であることが繰り返し述べられていた(どうして今ごろという気がしないではないのだが)。オープニングセッションで、HIV陽性のお母さんと、母親の受けた治療のおかげで感染阻止できた娘が2人連れ立って登壇し、「どうしてまだHIV陽性の赤ちゃんが生まれるの?みんな感染せずに生まれてこられるはずでしょう?だって、ほら、私がその生きた証拠なのだから」と、13歳の少女が切々と壇上で訴えた。演出といえば演出ではあるのだが、感染者から直に発せられる言葉は、それなりの重みを持って聞く者の気持ちを揺さぶるものだと思い知らされた。

The End of AIDS
初日(7/22)の朝一番のPlenary Sessionで、米国NIAID 所長のAnthony S. Fauci博士が、1980年代自分が感染者を診ていた頃の暗黒の時代(半年で約半分は死亡していた頃)からすると、隔世の感があるとしみじみと語っていた。今は、多剤併用療法+予防+ワクチンで感染者をゼロにできると断言していた。ただ、そのためには、これまで以上に基礎研究は重要になるであろうし、すべての関係者の一層の努力が必要とも述べた。ヒラリー・クリントンは、やはりはっきりと「感染ベビーを0(ゼロ)に、新たな感染を0に、治療を受けてない感染者を0にする」と高らかに宣言した。そのために、これと、これと、これの予算は組んであるわよと自信たっぷりに語っていたのが印象的であった。

Treatment for Prevention
治療イコール予防?という問いかけに、ほぼ全員の意見が「YES」であったという意味では、今回は大きく潮目が変わった(まさにturned the tide)学会だったといえるかもしれない(科学的にはかなり早い段階から「YES」だったと思うが、政策として行うことに皆が諸手を上げて賛成したのは、初めてではないだろうか)。これにより、特にアフリカにおいて、感染している母親に適正な抗ウイルス治療を受けさせることで、感染児を減らし、その子供の世話をする母親が元気に長生きできるようにするという施策に疑問を差しはさむ余地がなくなった。しかも、女性差別撤廃や、人権に対する配慮等もこれらのことと密接にリンクして議論がされていた。このため、今後も次々と「治療による予防」政策が各国に広がっていくのではないだろうかと、期待を抱かされた。

Development of Medical Equipment
とにかく、早期発見早期治療の流れが加速して来ているため、現場で求められるものが薬のみならず、簡易診断キットや末梢血中のCD4数を簡単に調べることのできる機器などへとシフトしていることが、今回の学会場の特設ブースを見て一目瞭然であった(写真2)。数分で感染が判定できるものや、唾液で測定できる簡易キット等とともに、CD4カウント用に特化された非常に軽量コンパクトな機械が、数多くのブースでデモされていた。これだけ見ても、感染多発地域での早期発見・治療にかける各国(特に米国)の、本気度がうかがいしれる気がしてならなかった。

おわりに
2012年の秋がアメリカ大統領選挙であることを割り引いても、今回の国際エイズ学会のハイテンションな雰囲気はこれまであまり感じられなかったものであった。しかもかなりはっきりと具体的な数値目標を設定していたのも大きな特徴といえる。そこまで、強気にさせているものが、これまで積み上げて来た、基礎、臨床研究両方の成果の賜であることを心から願ってやまない。次回、2年後にオーストラリア(メルボルン)で開催される第20回の会議で、世界中から数多くの勝利宣言がなされる様子を夢見つつ今回の学会報告を終えたいと思う。

 

国立感染症研究所エイズ研究センター第一室 吉村和久

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