国立感染症研究所

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ウイルス遺伝子配列による伝播クラスタ解析による国内MSM集団におけるHIV伝播の動態

(IASR Vol. 40 p167-169:2019年10月号)

あるウイルスの伝播の動態は, そのウイルス感染の予防に重要な情報となる。発症率の集積の観察による流行クラスタは, ウイルス伝播そのものをみてはいない。伝播の動態を知るには, 通常ヒアリング等の積極疫学調査による社会的ネットワーク解析が使われるが, HIV/AIDSでは対象リスク集団に存在するスティグマの問題がこれを困難にしている。近年の遺伝子解析技術の向上によって, ウイルス遺伝子配列から推定した遺伝的伝播クラスタが, 社会的ネットワークを代替する方法として一般的になってきた。

わが国のHIV感染者の約30%はAIDSになってから感染が判明していることは, わが国のHIV検査体制, すなわち90-90-90 targetの「最初の90」に問題があることを浮き彫りにしている。検査の対象を絞り込むためには, わが国のHIV感染のキー集団であるMSMを中心とする集団における伝播動向を詳細に把握する必要がある。MSM集団ではHIV-1サブタイプBが流行していることはよく知られているが, 伝播クラスタの時間的・地理的動態は明らかになっていない。そこで, 筆者らは日本医療研究開発機構(AMED)エイズ対策事業のHIV-1薬剤耐性サーベイランスネットワークで得られたウイルス遺伝子の塩基配列データを用いて, 国内で伝播を広げた遺伝的伝播クラスタ(domestic transmission cluster: dTC)の同定を行った。

伝播クラスタの同定方法

解析には, 薬剤耐性サーベイランスに2003~12年に登録された5,018症例の未治療症例のうちサブタイプBに感染した4,398例(87.6%)のpol領域の塩基配列データを用いた。dTCは, 近隣接合法・最尤法・Bayesian MCMC法の3つの系統樹解析の結果から伝播クラスタを判定する方法で同定した。海外から国内への侵淫を示すノードを特定するための海外参照症例は, 症例の塩基配列を12の遺伝的グループに分類したうえで, グループごとに国内症例の塩基配列でLos Alamos HIV databaseをBLAST検索して得た最も近縁の51~82エントリを用いた。症例の感染時期の推定には, BED法を用いた。

dTCの主要な伝播リスクはMSMである

4,398症例のうち3,714(84.4%)症例が, 同定された312個のdTCのいずれかに所属し, 残り684症例は国内に伝播関係にある他症例のない「孤発例」であった。最も大きなdTCは, 256名もの主に日本国籍のMSMで構成されていた。20症例以上を含む大きなdTC(dTC≥20)は44個あり, そこに所属する症例数は2,441で全症例の55.5%であった(図1A)。dTCに属する症例の感染者は, 60%がMSMであることを来院時に自ら告げている一方, 孤発例でそうした感染者は45%であった(図1B)。また, dTCに属する症例の97.6%は男性だったが, 孤発例では68.8%しかいなかった。dTC内の異性間接触を感染理由とした感染者も, 系統樹上最も近縁なウイルスはほとんど男性に感染していた。これらのことは, サブタイプBは主に男性同性間の接触で国内伝播していることを明確に示している。

大きなdTCは同一の大都市圏で感染初期に検査を受けた若者を多く含む

dTC≥20は, 関東・東海・近畿・北海道・九州地方のいずれかを主な診断地域とする5つのカテゴリに分類された(図2)。これは, 大きなdTCが主に単一の大都市圏で伝播していることを表している。dTCの発生時間を示すtMRCAは80年代後半~90年代前半で, 地域間で異なっていない。すなわち, サブタイプBの本邦MSM集団への流行は, 3大都市圏および北海道・九州においてほぼ同時期に多起源的に生じていた。一方, dTCの構成メンバは, 孤発例に比べて若年層で早期に診断された症例を2倍多く含んでおり(図1B), dTCの大きさとその平均年齢には負の相関がみられた(R2=0.002, p=0.001)。また, dTCに所属する症例は孤発例に比べて男性・MSM・そして早期の診断傾向が高く(表A), サイズが10名以上のdTCに所属する症例の平均年齢や主要感染地域の国内総人口に対する人口比はそれ以外より低かった (表B)。年齢と人口比の間に観察された交互作用(表B:p=0.077)は, 関東地方と近畿地方の感染者が他より若いことを示すと思われる。地域ごとにみると, 東海・九州地方の感染症例はdTC≥20への所属に正の関連性を示す一方で, 関東・近畿地方は有意な関連性を示さず, それ以外の人口非密集地域は負の関連性を示した。このことは, dTCが域内で伝播を広げるために適当な規模の都市圏が存在することを示唆する。

サブタイプBの近年の伝播動態とその予防対策への活用

薬剤耐性サーベイランスの約40%という高い捕捉率と動的分子系統樹解析の組み合わせは, わが国におけるHIV-1サブタイプBの全国規模の伝播動向の解明を可能にした。サブタイプBは, 本邦MSM集団に80年代後半~90年代前半に数百もの異なる起源ウイルスによって侵淫し, 各グループで異なる背景に沿って流行を広げていったと示唆される。ウイルス伝播という観点でみると, MSMは多数の地域グループを作り地域内外のほかのグループとはあまり交流がない。特に若いMSMはdTC, すなわち地域内の仲間にHIVを伝播させやすい。名古屋・福岡という中規模都市圏を抱える東海・九州地方では, この仲間が同じ都市圏に大きく広がりがちである。これに対して, 首都圏や近畿では, より多様で活発なMSMグループが多く, 他地域からの流入もあるため, HIVの他地域への伝播がより起きやすい。一方, 人口非密集地では, MSM行動の場が少ない・地元での通院に不安がある等の理由で, 大都市圏に移動しての行動や受診が頻繁となり, dTCが成長しにくいのかもしれない。

研究結果は, MSMグループの規模が大きいほどそのメンバは早期に検査を受けやすいことを示唆する。「最初の90」の向上のためには, 規模の小さい地域MSMグループを検査にどう誘導していくかが重要である。小さなMSMグループは地方の比較的高齢者に多い傾向にあるが, 大都市圏にも存在する。また, 大きなMSMグループ中のサブグループにおける突発的な伝播の再燃も観察されている。MSMにおけるHIV伝播が様々な背景に沿って広がっている以上, こうした個々の地域集団をきめ細かくモニタリングする必要がある。このためには, 新規感染者のウイルスがどのdTCに所属するかを同定し, 伝播クラスタの急速な拡大や, 特定の地方集団の集積を現場で迅速に検知し, 医療機関や地方自治体等に還元できる機構の開発が望まれる。今後, こうした機構の開発を進め, わが国のHIV感染予防対策を改善していきたい。

 

 

国立感染症研究所感染症疫学センター
 椎野禎一郎

Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan

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