国立感染症研究所

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産婦人科医からみた風疹予防啓発運動

(IASR Vol. 43 p13-15: 2022年1月号)

 

 わが国では, 2004年に先天性風疹症候群(CRS)児の多数の出生例があり, 「風疹流行および先天性風疹症候群の発生抑制に関する緊急提言」が同年9月に発信された。しかしながら, その効果が十分に得られない中で2013年に再度の風疹流行が起こり, 多くのCRSの児が再び出生するに至った。一方で, 2014年3月に発出された「風しんに関する特定感染症予防指針」によれば, 2020年度までに本邦における風疹排除の目標が掲げられているが, やはり十分な効果がみられないまま今日を迎えている。そして, 残念ながらコロナ禍にある2020年も2021年もCRSの発生報告がなされている。

 先天異常の原因は多彩であり, 多くは多因子遺伝と考えられ, 内因的な因子によるものであるが, 感染症や母体疾患, 薬剤, 放射線などの外因的な因子による異常は防ぎ得るものである。とりわけ, 風疹は, 特異的な治療法はないものの, 風しん含有ワクチンにより予防が可能な疾病である。

 そこで, 2017年2月に, 日本産婦人科医会や国立感染症研究所を中心に具体的な行動を起こすべく「“風疹ゼロ”プロジェクト」が立ち上げられ, 風疹の完全抑制を目標に掲げた。さらに, 当面の間, 2月4日を語呂合わせで風疹の日と定め, 2月を風疹ゼロ月間として, 情報発信, 啓発活動を関係学会・団体とともに進めていくこととした。このときに掲げられた具体的なメッセージは図1に示すとおりである。

 定期的に感染が繰り返される主な原因としては, 風疹に対する十分な抗体が獲得できていない世代があることが指摘されている。さらに, その集団へ海外より風疹ウイルスを持ち帰ってしまうことで国内の散発的な流行が生じているのが実状である。行政としても妊娠を希望する女性とそのパートナーを対象とした抗体検査やワクチン接種の助成, 職場における風疹対策ガイドラインの発行, 多くの啓発ポスターの掲示など, 一定の施策は行っている。しかし, 定期接種歴のない男性の抗体保有率は上がらないまま, 2018年に再流行に至ってしまった。

 わが国における現在の風疹流行を防止するためには, 30~50代の男性の感受性者を減少させることが肝要である。このため, 厚生労働省は2019~2021年度の3年間をかけて, これまで風疹の定期接種を受ける機会がなかった1962(昭和37)年4月2日~1979(昭和54)年4月1日生まれの男性を対象に, 風疹の抗体検査を行ったうえで第5期接種として定期接種を行うこととした。残念ながら, 現時点で対象者の検査率は22%にとどまっており, さらなる模索が続いている。

 “風疹ゼロ”プロジェクトでは, これまでイベントを通して啓発活動を行ってきた。2018年には, 海外流行地への渡航が風疹ウイルスに感染するリスクを上げるという考えから, 成田空港にブースを置いて, ビデオ放映, 講演, パンフレットなど資材配布, 希望者に対する抗体検査などを行った。2019年には, 主に働き盛りの世代の男性が多く行き交う大手町の地下街の一角を借りて, ミス・ワールド日本とともに同様のキャンペーンを実施した。さらに, 2020年には, 横浜港にダイヤモンドプリンセス号が寄港のニュースの傍らでタレントのはるな愛さんとともに, 有楽町の駅前広場で大勢の見物者の前でトークセッションを含めたイベントを開催した。残念ながら, 2021年はコロナ禍の中で各学会・団体のホームページなどを活用した啓発(図2)にとどまったが, 対象男性の抗体検査が進まない現状を鑑みて新たな打ち手を構築中である。

 そもそも, 有効性や安全性が高いワクチンでも, それだけで高い接種率を達成することはできない。接種対象者が, ワクチンを接種したいと思わなくてはならないし, ワクチンの意義や価値を十分に理解する必要がある。現状打破のためには, 改めてワクチン接種が阻まれている箇所を明らかにして, 解決策を見出す必要があり, マーケティングの視点も参考にしたい。マーケティング理論のフレームワークの1つである, Product(製品), Price(価格), Place(流通チャネル), Promotion(コミュニケーション)の4Pで論じると, Product(製品)としてはワクチンそのものであるが, 中核となる根本的な効果・効能だけではなく, 付随する仕様(保管しやすい, 接種が簡単, 痛くない, 接種前の抗体検査が簡易, など)や保証(健康被害救済制度, 次回接種の案内など)も重要である。ワクチンが市場に出てからの時間軸を考慮し, 導入期, 成長期, 成熟期, 衰退期に分けたライフサイクルに分けて戦略を立てることもある。一般的には成長期に移行するためにはキャズム(深い溝)を越える必要があるとされているが, この部分にはナッジ理論もエッセンスとして加えるのが良いように感じる。ナッジとは, さりげなくきっかけを与え, 自発的に行動する方向へと導くことである。近年注目されている概念で, 検診などの啓発に環境省や厚生労働省も活用を始めている。英国のBehavioral Insights Team(BIT)は, ナッジ理論のわかりやすいフレームワークとして「EAST」を提唱しており, 行動変容につながる効果的な施策を考慮する際に役に立つ。リーフレットを作成する場合でも, 表現に工夫を凝らす「フレーミング効果」や, 初期設定を選択しやすいように「デフォルト」を使ってみる, 接種することが周りの役にも立っているのだという利他性を刺激し「社会的選好」を促す, あるいは接種を済ませた集団がインフルエンサーとして「同調効果」として機能する, などが考えられる。Price(価格)については自己負担の程度などが考えられるが, 定期接種の場合はそれほど大きな問題とはならない。Place(流通チャネル)とは, 接種を進める側と接種対象者の間にある, 距離や時間, 知識などの様々なギャップを解消させる手段である。抗体検査をはさむのか, 職場やその周辺で接種できるのかなどを再考する必要がある。また, Promotion(コミュニケーション)としては接種者が接種に至るまでの意思決定のプロセスを考慮する必要がある。様々なモデルが提唱されているが, ここではAttention(注意), Interest(興味), Desire(欲求), Memory(記憶), Action(行動)の頭文字をとったAIDMAモデルを紹介する。接種対象者は, ワクチンを詳しく知らない, 聞いたことはあるがイメージがわかない, 興味がない, 特に必要性を感じない, 接種しようと思ってもどのように行動したらいいかわからない, 接種しようか悩んでいる, といったプロセスの途上にいないだろうか。これらを克服できる広告やプロモーション手段はないだろうか。産婦人科医として, 働く世代の男性に対するワクチン接種勧奨はハードルの高い活動であるが, CRSの発生をゼロにするために, 多職種のお知恵を借りながら引き続き推進していきたい。


横浜市立大学産婦人科学講座
 倉澤健太郎 

Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan

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