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公衆衛生対策を促進する病原体ゲノムサーベイランス体制の整備

(IASR Vol. 43 p275-276: 2022年12月号)
 

 従来, 感染症アウトブレイクにかかわる行政対応のため, 病原体ゲノム情報がリアルタイムに利活用された実例は限定的で, 後に研究レベルで実態解明が報告されることが多い。新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)発生以前においては, “全国レベルでリアルタイムに”ゲノム情報が公衆衛生対策に利活用される仕組みはなかった。SARS-CoV-2発生と国内流入をきっかけに, 従前から準備してきた結核アウトブレイク対応(クラスター対策)のためのゲノム追跡システム1)を活用して, 第1波の様々なSARS-CoV-2感染クラスターの感染リンクを推定し, 実証例を報告してその実用性を関係各所に提案した(第1波2020年3月~, ダイヤモンドプリンセス号2), ナイル川クルーズ3), 国内4))。

 SARS-CoV-2発生当時, 全国で散見された陽性者クラスターをいち早く収束させるためにはゲノム情報が不可欠であると感じ, 令和2(2020)年3月16日発出の厚生労働省結核感染症課長通知(健感発0316第3号)「新型コロナウイルス感染症における積極的疫学調査について(協力依頼)」にて, 現場自治体から検体RNAのご提供を期待した。国立感染症研究所(感染研)実地疫学研究センター実地疫学専門家養成コース(FETP)職員からも自治体へゲノム情報解析の実用性について周知いただき, 現場の積極的疫学調査を感染研から支援する体制が続いた。その後, 2020年8月に首都圏を中心に当時のゲノム解析能力を超える陽性者が増加して, 検体輸送(1, 2日間)のロジスティクスの遅延も生じて全体的な迅速対応を妨げることになった。

 そこで, 新型コロナウイルスゲノム解読標準作業手順書(Illumina社5), Nanopore社6))を整備し, AMED研究班等7)の研究協力者でゲノム解読実績のある地方衛生研究所(地衛研)に現場で独自解読できるよう依頼した。さらに感染研病原体ゲノム解析研究センター(ゲノムセンター)でゲノム情報解析プラットフォームを開発し(2020年10月), 現場のゲノム解読データを迅速に情報解析できるようシステムを構築した。この段階で, 検体輸送の時間ロスを省きかつweb解析によるリアルタイムな情報解析が可能となり, COVID-19 Genomic Surveillance Network in Japan (COG-JP)の基盤を確立した。COG-JP構築以前は「検体輸送(1, 2日)+ゲノム解読・解析(2日)+自治体へ報告(1日)」にて, ゲノムセンター数名で検体ロジと結果報告を業務分担し, およそ1週間を要していた。その後, 地衛研の独自解読の貢献により最短2日間で検体受領からゲノム情報解析まで完了するCOG-JP体制を整備した(図左上)。COG-JPのさらなる普及と運用を目指し, “現場による”ゲノム解読と“感染研による”ゲノム情報解析のこれら一連のシステムを習熟する技術研修会(第1回2020年10月~2022年3月まで計9回。図左下)を開催し, 現在, 計67カ所の地衛研から自治体独自のデータ情報が提供されている。

 自治体現場から提供されるゲノム情報を集約したCOG-JPは国内の施策決定に貢献するのみならず, (感染研が代行して)GISAID8)にゲノム情報を登録し, 世界への情報発信にも貢献している(図右下)。GISAIDデータを二次利用した情報発信サイトが多数運用されており, Our World in Data, covSPECTRUM, outbreak.infoなどが代表サイトである。

 COG-JPが目標とする本質は“現場主導の感染症対策の高度化”にある。目下発生中のクラスターをゲノム情報による分子疫学で視覚化し(図右上), 実地疫学情報により確定した感染リンクをさらに補強するだけでなく, 不明瞭な散発症例の感染リンクの提示にも貢献している。本稿では個別の実施例や成功事例は紹介しないが, 数多くの地衛研が定期的にゲノムネットワーク図を作成し, 管轄地域の実態を保健所・行政にブリーフィングして実態把握に努めていることをうかがっている。

 さらに, 得られたゲノム情報を解釈する実力も求められる。次々と押し寄せる変異株のゲノム特性の多くが感染性上昇と中和抗体の逃避変異である。スパイクタンパク質のreceptor binding domain(RBD)のアミノ酸変異9)を中心に地衛研に情報還元し, 注視すべきポイントを常に監視を怠らないよう依頼した。感染研の一部の担当者で監視するだけでなく, 全国の地衛研の実力者を養成し数多くの専門家が育っており, 重厚な監視網による全体の公衆衛生対応の底上げに繋がっている。

 感染症発生の封じ込めには迅速対応が肝要である。拡大してから対応するのでは費用対効果が低いため, ゲノム情報の取得もおのずと迅速性が求められる。世界保健機関(WHO)は世界パンデミックを発生し得る病原体への備えとして, 10年計画で世界各国がゲノムサーベイランスを遂行できる体制整備を提案し, 検体採取から1週間以内の情報公開が望ましいとも述べている10)

 ゲノム解読・情報解析は画一的な作業であるが, 得られたゲノム情報の解釈の仕方によって現場単位(病院, 自治体・政府, 世界)で様々な利活用へ発展できる。患者の診療方針, 自治体・国の施策決定, 世界の病原体発生動向の把握に貢献し, 個人にも全体にも期待に応えるサイエンスとしてさらに推進すべきだと考える。

 謝辞: 検体採取等調査にご協力いただきました医療機関, 保健所および行政機関, ゲノム解読にご尽力いただきました地方衛生研究所の関係者に深謝する。

 

参考文献
  1. 日本医療研究開発機構(AMED)新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業「結核対策困難化要因に対する総合的基礎研究」代表: 御手洗 聡(分担: 黒田 誠)
  2. Sekizuka T, et al., Proc Natl Acad Sci USA 117(33): 20198-20201, 2020
  3. Sekizuka T, et al., Front Microbiol 5; 11: 1316, 2020
  4. Sekizuka T, et al., mSphere 11, 5(6): e00786-20, 2020
  5. 新型コロナウイルスゲノム解読プロトコル(Qiagen社 QiaSEQ FX編)version 1.4(2022/01/27)
    https://www.niid.go.jp/niid/images/lab-manual/SARS-CoV2_genome_analysis_manual_QIASEQFX_ver_1_4_220127.pdf
  6. 新型コロナウイルスゲノム解読プロトコル〔Oxford Nanopore Mk1c & NEB 社 ARTIC SARS-CoV-2 Companion Kit(ONT)編〕version 1.6(2022/01/27)
    https://www.niid.go.jp/niid/images/lab-manual/SARS-CoV2_genome_analysis_manual_Nanopore_NEB_ver_1_6_220127.pdf
  7. 日本医療研究開発機構(AMED)新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業「病原体ゲノミクスを基盤とした病原体検索システムの利活用に係る研究 H31-R3」代表: 黒田 誠
  8. Global Initiative on Sharing All Influenza Data(GISAID)
    https://gisaid.org/
  9. CoVariants
    https://covariants.org/shared-mutations
  10. WHO, Global Genomic Surveillance Strategy for Pathogens with Pandemic and Epidemic Potential 2022-2032
    https://www.who.int/initiatives/genomic-surveillance-strategy

国立感染症研究所病原体ゲノム解析研究センター
 黒田 誠 関塚剛史 佐々木直文 橋野正紀 谷津弘仁
 田中里奈 染野里紗 

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