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抗HIV薬治療下のHIV潜伏感染症:非致死的病態について―HIVと心疾患

(IASR Vol. 38 p.184-186: 2017年9月号)

はじめに

2017年現在の日本におけるHIV感染者に対する治療の状況は, 診断が確定して薬剤投与が開始となれば, ほぼ100%近くウイルスを測定感度以下に抑制することができ, 発症前であればAIDSまで進むことはほぼないと言っても過言ではない。そのぐらい現在の治療薬は強力で耐性ウイルスが出にくく, かつ副作用も以前と比べると問題にならないくらい少なくなっている。ただし, このシリーズで毎回述べているが, いまだにいったん開始した治療は中断することができないことに変わりはない。つまり, 最新の強力な抗HIV薬をもってしてもウイルスを体内から駆逐することはできないのである。また, 長期間HIV感染が継続するということは慢性炎症状態が持続することを意味しており, 心血管系疾患発症のリスク因子となり得るし, 骨代謝異常, 高血圧, 脂質異常, 癌の発生リスクの上昇, そして, HAND(HIV-associated neurocognitive dysfunction)と呼ばれる認知機能低下も, 脳内での残存ウイルスによる慢性持続感染に起因するものと考えられている。

昨年度までの4年間のHIV/AIDS特集において, 私が担当した『抗HIV薬治療下のHIV潜伏感染症』のシリーズで, 「HIVと骨粗鬆症」(IASR 34: 261-262, 2013), 「HIVとHAND」(IASR 35: 212-214, 2014), 「HIVとNADCs」(IASR 36: 170-171, 2015), そして「HIVと脳梗塞」(IASR 37: 172-173, 2016)について報告してきた。今年度は, HIVの長期持続感染と心血管疾患の発生について紹介する。

HIV感染と心血管疾患

前回も紹介したが, 治療開始の基準としてのCD4の値を決めるのに重要な意味を持つトライアルであるSMART Study1)の報告で, CD4の値により治療を中断したり開始したりした群は, 治療継続群に比べ心血管疾患の発生リスクがなんと60%も上昇したことがわかった。これまでも, HIV感染症例における心血管疾患の発生に関しては, 同年齢の非HIV感染者に比べて心筋梗塞や心血管関連死のリスクが高いことが報告されている(心筋梗塞発生率の調整相対危険度は1.78)2)。また, Veterans Aging Cohort Study(VACS)でも, 急性心筋梗塞の発生リスクが感染者では50%上昇するという報告がされている3)。また, HIV感染そのものによる影響だけでなく, 治療に使用した薬剤の影響も無視できない。たとえばHIV感染症例を対象に行ったData Collection on Adverse Events of Anti-HIV Drugs(D:A:D)Study Groupの報告では, プロテアーゼ阻害剤による心筋梗塞のリスクが他の治療薬に比べ高かったことが報告されている4)

前述したSMART Studyによると, CD4数が増加するほど心血管系のイベントの発生が低下していくことがわかった。つまり, 治療を行うことでHIV感染による炎症を抑え込むことができ, 結果的に心血管のダメージを低減できていることを示しているのである。これまでは, HIVの治療薬(特に核酸系逆転写酵素阻害剤や第1世代のプロテアーゼ阻害剤)が心血管系の副作用の原因としてやり玉に挙げられることが多かった。しかし, 最近の治療薬は, 強力な抗ウイルス作用があり, かつ心血管系の副作用が低いもの(非核酸系逆転写阻害剤や第2世代のプロテアーゼ阻害剤, そしてインテグラーゼ阻害剤など)が主流となってきている。2017年の7月にパリで開催された国際AIDS会議(IAS2017)でも, プロテアーゼ阻害剤(PI/r)ベースの治療からインテグラーゼ阻害剤(DTG)ベースの治療に変更することで, 脂質代謝の改善が明らかとなり(), 心血管系イベントの発生リスクが明らかに低減したとする報告がなされ, 話題となった5)。つまり, これまで問題になっていた心血管系への副作用よりはウイルスの抑制による効果の方がはるかに勝ってきているのである。そのため心血管系のイベントの発生リスクにおいて, 非感染者との差は年々小さくなってきている6)。それよりも, 禁煙や普段の生活習慣の改善がより心血管系のイベントの発生減少に寄与することが, 現在のHIV診療の世界では半ば常識となってきているのである。

おわりに

『抗HIV薬治療下のHIV潜伏感染症』というタイトルで執筆を始めて早いもので, 今回で5年目を迎えた。2013年に書き始めた時と現在で最も変わったのは, 初回治療のHIV治療薬の組み合わせが, ほぼインテグラーゼ阻害剤中心のものに置き換わったということであろう7)。それにより, これまで薬剤の副作用により治療継続ができなくなっていた問題の多くが解消されたというと言い過ぎだろうか(もちろんすべてではないが)。またそれと同時に, STR(single tablet regimen, 1日1回1錠処方)が一般化し, 2015年以降世界的に診断即治療が治療開始の基準となったことで8), 処方する側もされる側も治療開始に関するハードルが一気に下がり, 飲み忘れや治療の遅れなどは以前に比較すると圧倒的に少なくなったといえる。このような治療環境の劇的な変化は, これからの『抗HIV薬治療下のHIV潜伏感染症』に大きな影響を与えることは間違いないであろう。今後新しい治療が5年10年続いた後にどのような統計結果が出るであろうか。個人的には, かなり良い方向へ変わるのではないかと密かに期待している。ただし, 禁煙や普段の生活習慣の改善を行うことが大前提であることは, すべての関係者が肝に銘じておかないといけないことである。

 

参考文献
  1. The SMART Study Group, N Engl J Med 355: 2283-2296, 2006
  2. Triant VA, et al., J Clin Endcrinol Metab 92: 2506-2512, 2007
  3. Freiberg MS, et al., JAMA Intern Med 173: 614-622, 2013
  4. D:A:D Study Group, et al., N Engl J Med 356: 1723-1735, 2007
  5. Gatell JM, Abs. # TUAB0102, IAS2017, Paris, July 23-26, 2017
  6. D:A:D Study Group, HIV Med 15: 595-603, 2014
  7. HIV感染症「治療の手引き」第20版 2016年12月発行; http://www.hivjp.org/guidebook/hiv_20.pdf
  8. Yoshimura K, J Infect Chemother 23: 12-16, 2017
 
国立感染症研究所エイズ研究センター 吉村和久

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