(IDWR 2001年第48号掲載)
エキノコックス属条虫の幼虫(包虫)に起因する疾患で、人体各臓器特に肝臓、肺臓、腎臓、脳などで包虫が発育し、諸 症状を引き起す。ヒトには、成虫に感染しているキツネ、イヌなどの糞便内の虫卵を経口摂取することで感染する。わが国のエキノコックス症には、その原因寄 生虫種により単包性エキノコックス症(単包条虫)と多包性エキノコックス症(多包条虫)がある。近年、多包性エキノコックス症が、北海道東部から北海道全 域へと伝播域を拡大しつつあり、国民の健康に脅威を与える感染症となっている。そのために感染症法では、エキノコックス症を4類感染症全数把握疾患に指定 し、全患者発生例の報告を義務付けている。
疫学
現在問題となっている多包性エキノコックス症の病原である多包条虫は、もともと北海道に分布していたのではなく、20 世紀になってからのヒトとモノの盛んな交(流)通を背景として、北方諸島から侵入してきたものであると考えられている。最初の流行は、毛皮と野ねずみ駆除 とを目的として移入されたキツネに多包条虫感染個体がいたことから、礼文島で発生した。1937 年から1965年までの間に、島民約8,200のうち患者数114名を記録したが、1950年代以後の徹底した対策によりこの流行は終焉した。一方、 1965 年の患者発見から始まる根室・釧路を含む北海道東部地方での流行は、北方諸島を中部千島まで人為的に移動させられたキツネが流氷を介して北海道に侵入し、 その中に感染キツネが含まれていた事に端を発していると推定される。この流行は1997年までに累計患者数146 名を数え、現在でも毎年数名の新しい患者が見出されている。また、礼文、根室・釧路地方を除く北海道の東北、中央、西部地域にあっては、1965年から 1988 年の間に30名の患者が発見されていたが、1989 年から1997 年までの間に66名もの新患者の発生を見ており、特に中央部・西部地方で新たな流行のフォーカスを築きつつある事が示唆されている。1998年までに北海 道エキノコックス症対策協議会で認定された患者数は累計で383名であった。
図1 .多包性エキノコックス症患者の地域分布
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図2 .多包性エキノコックス症の感染経路
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多包性エキノコックス症の北海道以外での患者発生数は、図1 に示すように現在までの累計 で77名である。そのうち51名については、北海道かシベリア・満州など国外での感染であると推定され、その他は感染ルートが不明である。北海道に隣接す る青森県での患者数は22 名であるが、そのうち9名が居住地での感染以外に説明が困難な例と見られている。最近、青森県のブタ3頭の肝臓から多包虫病巣が発見された事により、青森 県への本症の伝播が疑われ、家畜および野生動物を対象に検査が行われているが、新たな感染動物は現在まで発見されていない。また、2001年8月に青森県 で届け出のあった1 例に関しては、北海道東部からの移住者であることが確認されている。
1999年4月からの感染症法の下で届け出られたエキ ノコックス症は、全国で40例である(2001年11月30日現在)。年度別では1999年4〜12月が7例、2000年1〜12月が22例、2001年 1〜11月が11例であった。病原別内訳では多包条虫が35例(北海道からの届け出34例、他県1例)、単包条虫が5例(北海道からの届け出3例、他県2 例)となっている。なお、届け出都道府県は必ずしも感染した都道府県を意味しない。
単包性エキノコックス症については、1881 年に熊本で日本最初の症例が報告されて以来、現在までの症例総数は70 数例に止まっている。その三分の一は国外での感染が示唆され、国内感染が疑われる患者の分布地域は主として、九州、四国、近畿などの西日本であった。感染 症法下での本州の届け出2例は、それぞれアルゼンチン、旧満州での感染と推定されている。
病原体
図2で示すように、エキノコックス症は虫卵を経口摂取することでのみ感染する。
多包条虫は、自然界ではキツネ、イヌを終宿主(成虫が寄生)とし、中間宿主(幼虫が寄生)を野ネズミとして生活環が維持されている。この生活環で、ヒト やブタは中間宿主にだけなりうる。したがってヒトからヒトへの感染、あるいは、例えば多包虫寄生のブタ肉の摂食を介してヒトに感染することはない。ヒトが 虫卵を口から摂取すると幼虫が虫卵から出て腸壁に侵入し、血流あるいはリンパ流に乗って身体各所に運ばれて定着・増殖する。
臨床症状
本症の感染初期(約10年以内)は、無症状で経過することが多い。
単包性エキノコックス症では、孤立性の嚢胞がゆっくりと増大して肝腫大や腹痛を認め、周囲の諸臓器を圧迫し、胆道閉塞や胆管炎を併発したり、ときに破裂する。
多包性エキノコックス症では、約98%が肝に一次的に病巣を形成する。肝に生着した微小嚢胞が外生出芽によってサボテン状に連続した充実性腫瘤を形成 し、進行すると肝腫大、腹痛、黄疸、肝機能障害などが現れる。さらに進行すると胆道、脈管などの他臓器に浸潤し、閉塞性黄疸、病巣の中心壊死、病巣感染を きたして重篤となる。末期には腹水や下肢の浮腫が出現する。
肝肺瘻をきたすと胆汁の喀出、咳嗽が認められ、脳転移をきたすと意識障害、けいれん発作などを呈する。
病原診断
上のような臨床症状をもつ患者について、画像検査(超音波、CT など)により病巣部の所見が得られたとき、または上記の患者で免疫血清学的検査(ELISA 法、Western Blot 法等)により陽性となったとき、本症と診断される。あるいは、臨床症状がないまま免疫血清学的検査により陽性となった場合には、継続観察の必要がある。流 行地での居住歴、キツネ、イヌなどとの接触の有無は重要な参考となる。確定的な診断は、手術材料から包虫を検出することによる。生検は病巣の腹腔内や穿刺 創への播種、定着をきたすので、他の肝腫瘍性病変との鑑別上必要な場合を除き、原則として行わない。
1998年までの北海道エキノコックス症対策協議会同判定委員会では患者認定を、臨床所見、居住歴、病巣の画像所見、免疫血清検査を参考として最終的には病理組織所見により行っていた。
1999年4月からの感染症発生動向調査での届け出例を診断根拠別に解析すると、組織検査(病原体)と血清検査(抗体)の両方あるのが10例 (25.0%)、組織検査はあるが血清検査がないのが7例(17.5%)、血清検査はあるが組織検査がないのが19例(47.5%)、組織検査、血清検査 のどちらもないが4例(10.0%)であった(当研究所感染症情報センターによる)。報告に関しては組織検査あるいは血清検査が前提とされるので、疑い症 例については、確定診断に関して北海道立衛生研究所または当研究所寄生動物部などに御相談頂きたい。
治療・予防
外科的切除が唯一の根治的治療法であり、早期診断された時の予後は良好であるが、進行病巣の完全切除は困難なことがある。したがって、なによりも予防に 重点が置かれなければならない。個人のレベルでの予防は、感染源となるキツネやイヌなどの保虫宿主に接触しないようにし、虫卵に汚染されている可能性のあ る飲食物の摂取を避けることである。
公衆衛生上では媒介動物対策、上水道対策が基本となる。
感染症法における取り扱い(2012年7月更新)
全数報告対象(4類感染症)であり、診断した医師は直ちに最寄りの保健所に届け出なければならない。
届出基準はこちら
(国立感染症研究所寄生動物部 川中正憲)