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余談1 Thudichumの著書とスフィンゴミエリン、スフィンゴシンの登場

 

 スフィンゴミエリンsphingomyelin、スフィンゴシンsphingosineという用語が初めて文献上で登場したのは、1884年に出版されたJohann Ludwig Wilhelm Thudichumの著書"A Treatise on the Chemical Constitution of the Brain"においてと思われます。この本の内容はwebで見ることも可能です(https://archive.org/stream/b23984570/b23984570_djvu.txt)。また、復刻版(by D.L. Drabkin, Archon Books, Hamden CT, 1962)も出ており、それを中古本として海外から購入することができましたので以下に写真付きで紹介します。

 Thudichumbook.png

この本の本文中でSphingomyelinsphingosine (この本ではsphingosinという表記)という用語が最初に出てくるのは第一章のイントロダクションです。そこでの記載によると、Thudichum自身が予備的な解析から1874年に報告していたapomyelinを本格的に解析し、この二窒素一リン酸含有脂質(dinitrogenized monophosphatidates)をsphinomyelinと名付け直したとのこと。ただし、ここでは何故sphingoという接頭辞のような言葉を思いついたのかには触れていません。その少し後にsphingomyelinの分解成分としてsphingosinという用語が登場しますがsphingoの意味はここでも記載されていません。そして、脳から抽出・分離した様々な脂質群の化学的性質を記載した「実験結果」に相当する章において、セレブロシドcerebroside(現在でいうところのガラクトシルセラミドgalactosylceramide を化学分解した後に得られる冷エーテル難溶性物質を以下のように記載しています(上図の右下パネル参照)。

“to which, in commemoration of the many enigmas which it presented to the inquirer, I have given the name of Sphingosin,”

「(アルカロイドとしての特性をもつこの冷エーテル難溶性物質に対して)探究者たる私に多くの謎を呈してきた記念として、Sphingosinという名を与えることにした」

Sphinxという語句こそ出てきませんが、この記載からSphingosin Sphinxにつながるネーミングであると考えてよいでしょう。

 先述した1874年に出版された予備報告の内容を知ることが今のところ私にはできません。よって、Sphingosinのネーミングとその説明の初登場はこの” Thudichum, J.L.W. (1874) Researches on the chemical constitution of the brain. Report of the Medical Officer of the Privy Council and Local Government Board, 3 :113 “のほうにあるのかもしれないことをお断りしておきます。 しかし、米国ジョージア工科大学のAlfred Merrill, Jr.博士(スフィンゴ脂質分野の著名な研究者の一人であり、その歴史に関しての造詣も深い)にメールで尋ねたことろ、同氏は1874年の報告の写しも持っており、その中ではまだsphingosinという文言は出てきていないと回答をくれました。 

ところで、写真の復刻本の本を編んだDrabkinが復刻当時(1962年)の知識をもって作成した用語説明GlossarySphingosinの項に以下の記載があります。

”The name is derived from the Greek, sphingein, meaning: to bind tight.”

「この名称は、固く結ぶを意味するギリシャ語のsphingeinに由来している」

Drabkinのこの記載の由来がThudichumの書いた文章のどこにあるのか私にはまだ見つけられておりません。一方、Sphinxという名詞そのものがギリシャ語のsphingeinという動詞に由来するという説は別途存在していて、また、この説への反論もあるようです。言葉の成り立ちからして謎めいているわけですね。

 

余談2 スフィンクス

 

女人の顔と獣の胴体をもつスフィンクスSphinxは、古代エジプトの神聖獣であり、王家を守るためにいまもピラミッドの近くに座っております。

少し時代が下がったギリシア神話中の怪物スフィンクスは、テーベThebes(古代地名はテバイThebai)の近くの山に住み、通りかかる旅人に謎々を質問して、答えられぬと食べていました。誰も正解を答えられずに大変迷惑していたところ、旅人オイディプスOedipusが二つの謎にあっさりと正解し、スフィンクスは自らを恥じて崖から身を投げました。オイディプスは、つい先ごろ王を失ったテーベ市民に認められ新しい王となり、未亡人たる王妃と結婚します。しかしなんと、オイディプスは先の王とその妃との実子なのです。その昔、神託によって自分の子供に殺されるから子供をもうけるなとされていた王は、それでも酔った勢いで妻を妊娠させてしまいます。王は、生まれたばかりの男の子を殺せと命じましたが、不憫に思った部下によって密かに他人の手にわたされたその子は、オイディプスと名付けられ、親子お互いを知らぬままに育ちます。青年オイディプスは、両親を殺すことになるからテーベには行くなと神託されていたにもかかわらずテーベに向かい、旅をしていた先王をふとした喧嘩がもとで刺殺してしまいますが、彼が下手人とは誰も知らないままに、スフィンクスの謎に答えてテーベの王になってしまうのです。つまるところ、オイディプスは実父を殺して王となり、実母と結婚したことになります。そのことをあとで知り、王妃は縊死し、オイディプスは気が狂って自分の両眼をつぶし街からも追い出されてしまうというのがこの物語の結末です。参考図書:串田孫一『ギリシア神話』(旺文社文庫など)

幾分なりともハッピーな結末が用意されている今どきの物語に比べると、オイディプスの物語はなんとも不条理に満ちたものですが、神の定めた運命には逆らえないと信じるならば、これはこれで条理なのかもしれません。

 

精神分析学者ジークムント・フロイトSigmund Freud, 1856-1939)は、幼い男子が母親を独り占めしたくて父親を憎みがちであることを指摘し、この状態をオイディプスの父親殺し・母親姦の物語にちなんで「オイディプス・コンプレックス(日本ではエディプス・コンプレックスとよくよばれる)」と名付けました。

 なお、スフィンクスがオイディプスに問うた二つの謎とは以下のようなものです。

「朝は四本足、昼は二本足、夕方は三本足。これは何か?」

「二人の姉妹で、一方が他を生み、また反対の一方も他方を生むものは何か?」

答えの気になる方はギリシア神話をひもといてみてください。

 

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