(IDWR 2005年第6号)
中国南部の広東省を起源とした重症な非定型性肺炎の世界的規模の集団発生が、2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS: severe acute respiratory syndrome)の呼称で報告され、これが新型のコロナウイルスが原因であることが突き止められた。わが国においては、同年4月に新感染症に、ウイルス が特定された6月に指定感染症に指定され、2003年11月5日より感染症法の改正に伴い、第一類感染症としての報告が義務づけられるようになった。前回 の集団発生は2002年11月16日の中国の症例に始まり、台湾の症例を最後に、2003年7月5日にWHOによって終息宣言が出されたが、32の地域と 国にわたり8,000人を超える症例が報告された。
疫 学
SARSは2002年11月16日に、中国南部広東省で非定型性肺炎の患者が報告されたのに端を 発し、北半球のインド以東のアジアとカナダを中心に、32の地域や国々へ拡大した。中国では初期に305人の患者(死亡例5人)が発生し、2003年3月 の始めには旅行者を介してベトナムのハノイ市での院内感染や、香港での院内感染を引き起こした。同年3月12日にWHOは、全世界に向けて異型肺炎の流行 に関する注意喚起(Global Alert)を発し、本格的調査を開始した。3月15日には、原因不明の重症呼吸器疾患としてsevere acute respiratory syndrome(SARS)と名づけ、「世界規模の健康上の脅威」と位置づけ、異例の旅行勧告も発表した1)。
その後、流行間期の2003年9月にシンガポール、12月に台湾と続いて孤発の実験室内感染が報告され、2004年1月に入り、中国広東省において3例の 市中感染が疑われる症例が報告された。さらに、2004年4月に中国北京および安徽省において、実験室内感染と思われる例をきっかけに、合計9例(死亡1 例)の患者発生が確認されたが、大規模な拡大はくいとめられた。
SARS-CoV流行の中心は院内感染であったこともあり、症例のほとんどは成人で小児の患者数は少ない。2003年5月末における中国のデータでは、罹 患率は20〜29歳で最も高く、人口10万人当たり2.92、次いで40〜49歳(2.15)、30〜39歳(1.87)の若年成人に高く、50歳以上の 年齢群ではすべて1.8以下、10歳未満は0.16であった2)。発症者の約80%は軽快し、およそ20%が重症化したが、予後は年齢や基礎疾患の有無により異なっていた。男女差や人種差は、各集団 発生が生じた地域の状況によって異なり、疾患特性を指摘することは難しい。
SARSの起源、感染経路、病原性、不顕性感染の有無、病態生理、季節的流行の可能性など、依然として不明な点が多い。集団発生においては「スーパー・ス プレッディング事例」と呼ばれる、ひとりの有症状の患者が多数への感染伝播に関与した事例が注目されているが、そのメカニズムは解明されていない。
わが国では、集団発生期間中に報告のあった可能性例16例と疑い例52例すべてが、他の診断がつき取り下げられたか、あるいはSARS対策専門委員会でSARSの可能性が否定されている3)。
病原体
コロナウイルス科ヒトコロナウイルスは一本鎖RNAウイルスで、軽症のかぜ様症状の約30%の原因となっていると考えられていたが、重症化の報告はほとんどなかった。SARSは、この科に属する新型のSARSコロナウイルス(SARS-CoV)(図)により引き起こされる、全身性の感染症である4)。 | |
図. SARSコロナウイルスの電子顕微鏡像(国立感染症研究所SARS診断グループ提供) |
このウイルス種は、杓子状の突起を表面に有するエンベロープを持ち、ウイルス核酸そのものに感染性が有ることが知られ、29,000〜31,000ヌクレオチドの塩基を持つとされている5)。 ブタ、マウス、ニワトリ、七面鳥などに呼吸器系、消化管、肝臓、神経系などの病気をおこす動物コロナウイルスのあることも知られているが、SARS- CoVは、これらとは遺伝子的にも大きく異なる。一般的に、コロナウイルスは変異しやすいことも知られており、ワクチンや治療薬の開発上の今後の問題点と されている。
感染経路は、飛沫および接触(糞口)感染が主体とされるが、空気感染の可能性を含め依然議論の余地がある。最も一般的には、感染性のある飛沫への曝露を伴 う密接なヒト−ヒトの接触で伝播していると考えられ、医療従事者や介護者などの場合は、感染性のある血液を始めとした体液への直接的接触も考えられる1)。 ヒトで感染源となるのは有症者だけで、現在までのところ発症前の患者が感染源となったという報告は確認されていない。動物の媒介(ハクビシン、タヌキ、ネ ズミ他)、食品の媒介も示唆され、消化器症状を伴う例も多く見られることから、糞口感染が主体ではないかとの議論もある6)。野生動物の感染伝播に果たす役割については、依然結論は出ていない。
臨床症状・徴候
潜伏期は2〜10日、平均5日であるが、より長い潜伏期の報告もまれにはある2)。SARSの自然経過としては、発 病第1週に発熱、悪寒戦慄、筋肉痛など、突然のインフルエンザ様の前駆症状で発症する。疾患特異的な症状や症状群は確認されていない。発熱歴が最も頻繁に 報告されるが、初期の検温ではみられないこともありうる。発病第2週には非定型肺炎へ進行し、咳嗽(初期には乾性)、呼吸困難がみられる。下痢は発病第1 週にもみられるが、一般的には第2週目により多く報告されている。最大70%の患者が、血液や粘液を含まない大量の水様性下痢を発症する6)。発症者の約80%はその後軽快するが、なかには急速に呼吸促迫と酸素飽和度の低下が進行し、ARDS(急性呼吸窮迫症候群)へ進行し死亡する例もある。約20%が集中治療を必要とする。感染の伝播は主に発症10日目前後をピークとし、発症第2週の間に起こる6, 7)。
SARSに特異的な血液学的、生化学的パラメーターはないが、病状とともに進行するリンパ球減少、血小板減少、APTTの延長、LDH上昇、血清電解質の異常などが複数の研究により報告されている。ALT、AST、CPKの上昇の報告はあまり多くない7)。
無症候の場合もほとんどの患者で、最も早期で第3〜4病日に胸部レントゲン、あるいはCT上の変化がみられる。典型的な所見では、細葉の変化の所見や斑状 影が片側の末梢肺野に始まり、陰影の増多またはすりガラス様陰影へ進行する。移行性の陰影もある。さらに進行した病期では、時に自然気胸、気縦隔、胸膜下 線維症や嚢胞性変化などを含む所見がみられることがある8)。
病理組織像は間質性浮腫や線維化、細葉への間質液の浸潤、下肺野の無気肺などが主体のARDSの所見を示す9)。
成人例では胸部所見、症状から、インフルエンザ、マイコプラズマ、レジオネラなどをはじめとした肺炎が鑑別対象となる。また、既知のコロナウイルスの活動 期は季節的にこれらの患者が増加する時期と重なることから、診断時には十分な注意が必要である。小児例ではこれ以外にも、RSウイルス感染なども鑑別対象 となる。
SARSの致死率は感染者の年齢、基礎疾患、感染経路、曝露したウイルスの量、国によって大きく異なる。全体としてはおよそ9.6%(2003年9月)と 推計されているが、24歳未満では1%未満、25〜44歳で6%、45〜64歳で15%、65歳以上で50%以上となっている。男性であること、基礎疾患 の存在も高致死率のリスク因子とされている10)。SARSの可能性があると判断された人のうち、10〜20%が呼吸不全などで重症化しているが、80〜90%の人は発症後6〜7日で軽快している。1カ月以上人工呼吸治療を続けても死亡する例がある。
無熱の発症や、細菌性の敗血症または肺炎の併発のような非定型的な発症の仕方が、高齢者における問題点として特に取り上げられている。一般にこの年齢層 は、免疫力の低下や基 礎疾患を伴っていることが多く、他の年齢層より頻繁に医療施設を利用するなど、院内感染伝播の事例の発生につながっている。また、小児におけるSARSの 報告頻度は低く、12歳未満では咳嗽、鼻汁のみなど、より軽症なことが多い。妊娠中のSARS感染は、妊娠初期では流産の、妊娠後期では母体の死亡の増加 につながる例のあることが報告されている。
病原診断
SARS-CoV検査法としては、ウイルス分離、RT-PCR法、LAMP法、血清抗体測定が実施可能であるが、病原体診断によるSARSの早期診断は 現段階では困難である。病原体検査陰性がそのまま感染を否定するものではなく、診断は臨床所見に加え、感染曝露歴の有無、他疾患の除外により行われなけれ ばならない。臨床検体としては、糞便、喀痰、鼻咽腔ぬぐい液、血清などを用いるが、検体採取時期により検出率に影響が出る。また、各検査法には下記のよう な特徴があり11)、安全上の問題から、P3施設以外でのSARS-CoVの取り扱いは行わないこととなっている。
- ウイルス分離:検体からウイルスそのものを分離検出するため、確実な診断が可能であるが、感度が低く、時間を要する。
- RT-PCR法:SARS-CoVのRNAを検出する迅速な検査法で、特異度も高いとされるが、感度が十分と言えず、陰性結果がただちにSARSの否定にはならない。病期によりウイルス排泄量が異なるため検出感度が影響され、発症後10日前後が最も高い。
- 血清抗体価測定:ELISA、IFA、NTの3種類があり、いずれも急性期と回復期のペア血清を用いて検査を行う。現在使用可能な方法では、第20病日で約60%、第30病日で95%程度の陽性率であるため、回復期血清の採取は発病3週目以降が推奨される。
治療・予防
有効な根治療法はまだ確立されていない。病初期には鑑別診断を急ぐとともに、症状の緩和と胸部レントゲン所見の改善を目的として、一般の細菌性肺炎を対 象に、広域スペクトルの抗菌薬療法を行う。肺病変が進行する場合は、酸素投与や人工呼吸器などによる患者管理が必要となる。海外では抗ウイルス剤であるリ バビリンの静脈内注射、ステロイド剤の併用療法、インターフェロン療法などに効果が期待できるとの報告もあるが、治療効果が確認されていない1)。
患者の早期検知と即時隔離と、接触者の自宅隔離(検疫)以外には、特に有効な予防措置はない。一般的呼吸器感染症の予防策として手洗い、うがい、マスク着用、体力や免疫力の増強をはかる、人混みへの外出を控えるなどがあげられる1,7)。
感染症法における取り扱い (2012年7月更新)
全数報告対象(2類感染症)であり、診断した医師は直ちに最寄りの保健所に届け出なければならない。
届出基準はこちら
学校保健安全法における取り扱い (2012年3月30日更新)
第1種の感染症に定められており、治癒するまで出席停止とされている。
また、以下の場合も出席停止期間となる。
・患者のある家に居住する者又はかかっている疑いがある者については、予防処置の施行その他の事情により学校医その他の医師において感染のおそれがないと認めるまで。
・発生した地域から通学する者については、その発生状況により必要と認めたとき、学校医の意見を聞いて適当と認める期間
・流行地を旅行した者については、その状況により必要と認めたとき、学校医の意見を聞いて適当と認める期間
1)CSR, WHO: Severe acute respiratory syndrome(SARS): Status of the outbreak and lessons for the immediate future. WHO, Geneva, 2003(May) (http://www.who.int/csr/media/sars_wha.pdf)
(国立感染症研究所感染症情報センター 重松美加、岡部信彦)