風疹制御のワクチン戦略
(IASR Vol. 44 p47-48: 2023年4月号)風疹は風疹ウイルスによる感染症で, 症状は比較的軽微である。しかし, 妊娠初期の女性に風疹ウイルスが感染すると, ウイルスは胎盤を通して胎児に感染し, 流産, 死産, あるいは出生児の視覚, 聴覚, 心臓等に先天性風疹症候群(CRS)と呼ばれる障害をもたらすことがある。世界保健機関(WHO)等が風疹の排除, 根絶を目指す目的はCRS例の発生をなくすことにある。
風疹制御のためのワクチン戦略 2つのアプローチ
2000年にWHOが公表した「Rubella vaccines: WHO position paper」では, CRS例の発生をなくすためのワクチン戦略として, 1)思春期の少女, または妊娠可能年齢の女性(または両方)に予防接種を実施することで, 直接, 妊娠可能年齢女性が風疹に罹患するリスクを軽減する方法, 2)妊娠可能年齢の女性の免疫保有状況を確認したうえで, 乳幼児の定期予防接種プログラムに風しんワクチンを加え, 人々に普遍的に免疫を付与することで風疹ウイルスの伝播そのものを阻止(つまり排除)し, 結果としてCRS例の発生をなくす方法, の2つを挙げ, 妊娠可能年齢女性における風疹感受性者の割合, 接種インフラの整備の程度, ワクチン供給可能量等を考慮のうえ, 各国で選択すべきとしていた。また, 戦略1)は妊娠可能年齢の女性が風疹ウイルスに感染するリスクを比較的短期間に減少させる効果はあるが, 風疹患者の多くが思春期以前の小児であることから, ワクチン導入による風疹の流行への影響は小さく, 何らかの理由で風疹に対する免疫を持ない妊娠可能年齢の女性はいつまでもCRS児を生むリスクが残ること, 戦略2)は, 乳幼児へのワクチン接種を導入したことで, 環境中の風疹ウイルスが減少し, ワクチン未接種等による感受性者がウイルスに曝露される機会が減少することから, 成人になっても風疹に対して感受性である者の割合が増加し, その状況で風疹が流行すると, 妊婦における感受性者が風疹に罹患し, CRS例の発生が増加する可能性があることが指摘されている1)。以下は, “ギリシャの悲劇”と呼ばれる, 不十分な接種率で実施された乳幼児への定期ワクチン接種によりCRSの発生率が増加した事例である2)。
ギリシャの悲劇
ギリシャでは1975年に, 1歳の男女乳幼児を対象に麻しん・おたふくかぜ・風しん混合(MMR)ワクチン接種を開始した。しかしワクチン接種率を高める適切な施策がとられず, 接種率は1980年代を通じて50%を下回った。また, 思春期の少女, 妊娠可能年齢女性への選択的ワクチン接種も行われなかった。ワクチン導入後, 成人における感受性者の割合は徐々に増加し, 1980年代後半においては妊娠可能年齢女性の20-35%が風疹に対して感受性であった。1993年に風疹の流行が発生すると, 主に15歳以上の成人の間で風疹が広がり, 妊娠中の女性が感染した例もあった。少なくとも25例のCRS例の発生が確認され, 過去の風疹流行時より高いCRS発生率(24.6人/100,000生児出生数)であった。CRSをなくすことを目的として風しんワクチンを導入したが, 不十分な接種率のまま長期間ワクチン接種を継続したため, 妊娠可能年齢女性における感受性者の割合が増加し, ワクチンを導入する前より高い割合でCRS例が発生した。不十分なワクチン接種率により, 期待される効果とは逆の効果が現れるこの現象は, ワクチンのparadoxical effectと呼ばれている2,3)。
2011年に改訂された「Rubella vaccines: WHO position paper4)」では, 乳幼児の定期予防接種プログラムに風しんワクチンを導入する際には, ワクチンのparadoxical effectによるCRS例の増加を防ぐため, ワクチン接種率を高く維持することを求めた。乳幼児に対して80%以上のワクチン接種率を長期間, 継続して維持できる状況にあるかを評価したうえで, 必要に応じて思春期の少女や感受性者の多い年齢コホートへのワクチン接種を組み合わせることも検討することを推奨している。また, 南北アメリカ大陸で麻疹排除に用いられた2つ集団接種(catch-up:幅広い年齢層の子供に対する1回だけの集団接種, follow-up:定期的に行う集団接種)と高い接種率を維持した定期接種(keep-up)の3つを組み合わせる方法5)は, 高いワクチン接種率を維持でき, 風疹排除にも有効な方法である可能性を指摘している。接種費用の低減, 接種率の維持のため麻しん含有ワクチンである麻しん風しん混合(MR)ワクチン, MMRワクチンを用いることは合理的だとしている。
上記のように, 状況に応じた風疹対策が各国でとられてきた。その結果, 米国を含む南北アメリカ大陸地域(AMR)では2015年に地域全体からの風疹排除を達成した。また, 2020年までにヨーロッパ地域(EUR)では53カ国中46カ国, 東地中海地域(EMR)では21カ国中3カ国, 南東アジア地域(SEAR)では11カ国中2カ国, 日本が所属する西太平洋地域(WPR)では27カ国中4カ国が風疹・CRSの排除を達成したと認定されている6)。
日本では1976年に風しんワクチンを定期接種とした。当初は戦略1)を採用し, 中学生女子のみを接種対象としていたが, 1989~1993年, 希望する男女幼児はMMRワクチンでの接種が可能となった。1995年に接種対象が幼児に変更されると, 1995~2003年には時限措置として中学生男女への接種が行われた。2006年からはMRワクチンによる1歳児, および小学校就学前の幼児を対象とした2回接種が行われている。また, 2008~2012年には5年間の時限措置として当時の中学1年生, 高校3年生相当年齢者に対して2回目の接種機会が設けられた。さらに2019年からは近年の風疹症例の多くを占める, 過去にワクチン接種機会がなかった1962(昭和37)年4月2日~1979(昭和54)年4月1日に生まれた男性の感受性者を対象とした補足的ワクチン接種を, 時限措置として実施している7,8)。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大による海外渡航者・入国者の激減や感染症予防策の習慣化等によってか, 2021年, 2022年に届出された風疹患者数は12人, 15人と大きく減少したが(特集図1), 現在のところ, 風疹が排除された状態にあるとの認定を受けていない。COVID-19にかかわる規制が緩和される中, 今後の風疹発生状況に注意を払うとともに定期ワクチンの接種率を高く維持すること, また, 風疹に対して感受性を持つ集団等が明らかになった時には適切な対策をすみやかに実施すること, が風疹排除を達成し, 新たなCRS例の発生を防ぐために重要であると考えられる。
参考文献
- Rubella vaccines: WHO position paper, WER 75(20): 162-175, 2000
- https://www.bmj.com/content/319/7223/1462
- Panagiotopoulos T, et al., Eurosurveillance 9(4): 17-19, 2004
https://www.eurosurveillance.org/content/10.2807/esm.09.04.00461-en - https://www.who.int/publications/i/item/WER8629
- https://www.paho.org/hq/dmdocuments/2010/FieldGuide_Measles_2ndEd_e.pdf
- https://www.cdc.gov/mmwr/volumes/71/wr/mm7106a2.htm
- https://www.niid.go.jp/niid/ja/typhi-m/iasr-reference/2468-related-articles/related-articles-474/9037-474r02.html
- https://www.mhlw.go.jp/content/000474416.pdf