国立感染症研究所

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乳房膿瘍の膿汁からチフス菌が分離された腸チフス症例

(IASR Vol. 38 p.84-85: 2017年4月号)

腸チフスは, Salmonella Typhiによって起こる全身性感染症であり, ここ数年は日本国内で年に40~60例の届出がされている。インドへの渡航後, 1カ月以上にわたって発熱, 下痢の症状を認めたが, 便からは病原体が検出されず, 乳房膿瘍の膿汁から病原体が検出され, 腸チフスと診断された非常に稀な症例を経験したので報告する。

症例:28歳女性 飲食業

既往歴に気管支喘息, その他特記すべきことはなし。2016(平成28)年8月中旬から20日間一人でインドへ旅行した(今回で5回目)。旅行14日目から39℃台の発熱と下痢があり, 帰国翌日の9月2日に医療機関Aを受診した。抗菌薬の効果なく, 9月7日に医療機関Bを受診した。肺炎, 腸炎の診断でホスホマイシン(FOM)を7日間内服した。9月14日の便培養は陰性であった。9月中旬から2週間程度は体調不良であったが, やや改善していた。9月24日再度発熱あり, 医療機関Cを受診した。レボフロキサシン(LVFX)内服でいったん解熱したが, 10月1日より発熱あり。マラリアの検査, 便培養ともに陰性であった。10月9日に発熱, 乳房のしこりと疼痛が出現し, 翌日夜, 医療機関Dの救急外来を受診した。受診時, 体温39.4℃, 右乳房の外側上下部領域に圧痛および周囲発赤を伴う硬結を触知した。血液検査で炎症所見, 胸部CTで右乳房蜂窩織炎を認め, 同日入院となった。腹部CTで軽度の腸炎を疑う所見があり, 血液培養は陰性であった。10月11日の乳腺超音波検査では, 蜂窩織炎はあったが膿瘍形成はなかった。入院時から抗菌薬点滴を開始したが, セファゾリンは無効であり, スルバクタム/セフォペラゾンに変更後速やかに解熱し, 乳房の発赤と疼痛は改善した。10月13日の血液検査で炎症所見は改善したが, 10月17日の乳腺超音波検査で20×8×8mmの楕円形腫瘤の残存があった。悪性腫瘍等の鑑別も考慮して穿刺したところ, 約1mLの膿汁が得られ, 培養検査を実施した。経過良好で, 10月18日に抗菌薬をLVFX内服に変更し退院した。10月20日膿汁からS. Typhi(LVFX耐性)が検出され, 主治医は直ちに患者への連絡と便検査を実施し, 保健所に発生届を提出した。

感染症発生動向調査の腸チフスの届出基準では, 症状や所見から腸チフスを疑い, 血液, 骨髄液, 便, 尿, 胆汁のいずれかから分離・同定による病原体の検出があって, 腸チフスと診断された場合となっている。本症例では, 病原体は乳房膿瘍の膿汁からのみの検出であったため, 届出の要否の確認と就業制限の必要性の検討を行った。石川県保健環境センターを通じて国立感染症研究所へ相談し, 発生届の受理, NESIDへの入力, 便培養が陽性なら追加報告するよう指示があった。就業制限とその解除基準については厚生労働省へ相談し, 就業制限の要否は感染症診査協議会で決定するよう助言された。検討の結果, 病原体が便から検出されなければ感染性は低いと考え, 抗菌薬治療中であるが, 便培養の連続3回陰性を確認後に就業制限を解除する方針とし, 10月20日の便検査を1回目, 以後保健所にて2回検査することとした。

10月20日受診時, LVFX耐性菌であったため, 抗菌薬をクラブラン酸/アモキシシリンに変更し, 治療継続となった。10月26日には2回目の便からS. Typhi(LVFX耐性)が検出された。ここで初めて便から病原体が検出されたことから, 就業制限解除は抗菌薬治療終了後の判断とすることとし, 患者および主治医に連絡した。10月27日に3回目の便からもS. Typhiが検出された。10月31日の受診では発赤や疼痛はなく, 乳腺超音波検査で膿瘍は消失していたが, 1cm程度の硬結が残存しており, 治療継続された。腹部超音波検査で胆石は認めなかった。11月7日受診時には硬結は消失しており, 治療終了, 終診となった。便培養3回がすべて陰性であったため, 11月16日に就業制限解除とした。

本症例ではインドへの渡航歴, 40℃近い発熱が続く, 下痢等の症状から, 当初腸チフスは鑑別診断として挙がったが, 便から病原体が検出されなかったため, 診断に至らなかったと考えられる。乳腺膿瘍は妊娠や授乳中の女性でStaphylococcus aureusによるものがほとんどであり, 腸チフスの腸管外合併症としての発生は非常に稀1-3)で, どのような条件で起こるのかはっきりわかっていない4)。今回, 妊娠, 授乳中でなく, 糖尿病等に罹患していない健康な女性にチフス菌による乳腺膿瘍が発症しており, 流行地域への渡航歴, 高熱や下痢等の症状があれば, 起因菌のひとつとして鑑別に挙げてもよいのではないかと考えられた。また, 流行地域への渡航者が帰国後に発熱, 下痢の症状を訴えた場合には, 便検査を実施し, 病原体が検出されなかったとしても, 症状が継続する場合には輸入感染症を疑って全身の精査や治療薬の選択をする必要があると考えられた。

 

引用文献
  1. 小山田逸雄, 日本傳染病學會雜誌 2(6): 609-610, 1928
  2. Singh S, et al., Indian J Med Microbiol 27(1): 69-70, 2009
  3. Singh G, et al., J Glob Infect Dis 3(4): 402-404, 2011
  4. Huang DB, et al., Lancet Infect Dis 5(6): 341-348, 2005

 

金沢市保健所地域保健課 北岡政美 大松由紀子 木曽啓介
同 試験検査課 林 初栄
石川県立中央病院乳腺内分泌外科 金子真美

Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan

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