国立感染症研究所

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人体エキノコックス症に対する治療薬開発研究の現状と展望

(IASR Vol. 40 p39-40: 2019年3月号)

エキノコックス(多包条虫)の生活環は, 成虫期と幼虫期に大別される。成虫期には, キツネや犬など終宿主動物の小腸内腔に寄生して虫卵を産生するが, 多くの場合, 宿主への病害は一過性の軽い消化器症状にとどまる。成虫期のエキノコックスにはプラジクアンテルが著効を示し, 終宿主動物の駆虫に広く用いられている。成虫が産出した虫卵は終宿主の糞便とともに環境を汚染する。この虫卵が中間宿主に経口摂取されると, その体内で孵化して幼虫(多包虫)へと発育する。自然界における主要な中間宿主はげっ歯類であるが, ヒトもエキノコックスの中間宿主に位置付けられる。ヒトが幼虫の寄生を受けた場合, 虫体は肝臓など主要臓器の組織内でガンのように無秩序・無制限に増殖し, 重篤なエキノコックス症(多包虫症)をもたらす。人体エキノコックス症の原因となる幼虫に対しては, これを完全に死滅させる駆虫薬(治療薬)は未開発である。このため, エキノコックス症を根治するには, 病巣の外科的摘出に頼らざるを得ないのが現状である。病態が進行して外科的治療が難しいケースではアルベンダゾールなどベンズイミダゾール系薬剤の長期投与が試みられるが, 虫体殺滅効果は不安定かつ十分ではない場合が多い。また, 肝毒性や白血球減少など副作用の発現も報告されている。このように, 安全かつ効果の高い治療薬がない現状が, エキノコックス症の脅威を一層深刻なものにしている。

こうした現状を打破するために, 国内外の研究者が新規治療薬開発に取り組んできたが, 過去10年あまりの間に特記すべき2つの進展があった。1つは, 新薬開発の標的となる幼虫期エキノコックスの試験管内培養法が進歩し1), 幼虫を用いた実験的解析手法が格段に洗練されたことである。もう1つは, エキノコックスのゲノムプロジェクトが終了し, その成果が世界中で共有されたことである2)。これらの進展が追い風となって, エキノコックスがもつ代謝機構の特性や, 宿主との相互作用が分子レベルで説明されるようになり, 新薬開発への期待も一層高まっている。なお, エキノコックスのゲノム情報は, 他の蠕虫類のゲノム情報とともに, WormBase ParaSite3)にて公開されている。

ここで, 日本から発信された研究成果を紹介したい。東京大学の北 潔教授(現・長崎大学)らのチームは, 抗寄生虫薬開発の標的として, 宿主体内の嫌気的環境に適応した寄生虫のミトコンドリア呼吸鎖に注目して研究を進め, 多くの優れた研究成果を発信してきた。例えば, 豚回虫のミトコンドリアが低酸素環境でも機能してATPを合成できることを明らかにするとともに, 宿主のものとは異なる特殊なミトコンドリア呼吸鎖が駆虫薬開発の標的として有望であることを示した4,5)。この知見にヒントを得て, 北海道大学・東京大学・北海道立衛生研究所などの共同研究チームは, エキノコックスに対する創薬の標的としてミトコンドリア呼吸鎖に着目し, その機能特性の解明に取り組んだ。解析の結果, 幼虫期のエキノコックスが, 豚回虫と同様に, 酸素なしで機能する嫌気的ミトコンドリア呼吸鎖を利用していることが明らかとなった。また, この呼吸鎖に対する阻害剤が, 試験管内で培養された幼虫に対して実際に殺滅効果を発揮することも, 実験的に示された6,7)。さらに次のステップとして, 北海道立衛生研究所の特殊感染実験施設において感染動物モデルを用いた治療試験も行われており, これまでの解析では一定の駆虫効果が確認されている(孝口ら, 私信)。エキノコックスのミトコンドリア呼吸鎖は, 虫体の生命維持に必須でありながら宿主とは異なる仕組みで機能することから, 副作用の少ない治療薬開発の標的として有望であると期待される。

エキノコックスが自己の生命維持のために利用するエネルギー代謝機構には, 呼吸鎖の他にも未解明な部分がまだ多く残されている。筆者らは, エキノコックスが宿主からグルコースを奪い取る際に機能するグルコーストランスポーターや, 虫体に取り込まれたグルコースを嫌気的代謝系へと導くための鍵酵素であるホスホエノールピルビン酸カルボキシキナーゼ(PEPCK)にも注目し, それらの発現動態や機能の解析に取り組んでいる8)。その結果, エキノコックスが特殊な生命維持機構を利用して寄生適応している姿が, 1つずつ明らかになっている。エキノコックスは多細胞生物であるがゆえに, ウイルス・細菌・原虫など他の病原微生物と比較して体の構造や機能が複雑であり, 解析技術の進歩が遅れがちであることは否めない。しかし先述の通り, 新規治療薬開発に向けた研究を力強く後押しする技術は確実に進歩している。さらに, 近年普及してきた生物ゲノムの編集技術がエキノコックスにも安定的に応用できるようになれば, 新たなブレイクスルーも期待できる。克服すべき課題は多いが, 人類をエキノコックス症の脅威から解放する新薬が1日も早く生み出されることを期待したい。最後に, 本稿でご紹介した研究を一緒に進めてくださってきた共同研究者の皆様に, 厚く御礼申し上げます。

 

参考文献
  1. Spiliotis M, et al., In Host-Pathogen Interactions, pp. 245-262, 2009
  2. Tsai IJ, et al., Nature 496: 57-63, 2013
  3. WormBase ParaSite
    https://parasite.wormbase.org/Echinococcus_multilocularis_prjeb122/Info/Index/
  4. Kita K & Takamiya S, Adv Parasitol 51: 95-131, 2002
  5. Kita K, et al., Curr Med Chem 10: 2535-2548, 2003
  6. Matsumoto J, et al., Antimicrob Agents Chemother 52: 164-170, 2008
  7. Enkai S, et al., In Echinococcosis, IntechOpen, 2017
    https://www.intechopen.com/books/echinococcosis/medical-treatment-of-echinococcus-multilocularis-and-new-horizons-for-drug-discovery-characterizatio
  8. Kashiide T, et al., Mol Biochem Parasitol 225: 7-14, 2018
 
 
日本大学生物資源科学部獣医学科 松本 淳

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