トキソプラズマ感染とげっ歯類の行動変容およびヒトの精神・神経疾患
(IASR Vol. 43 p62-63: 2022年3月号)
寄生虫が宿主の行動を変化させ, 自身の生存および繁殖を有利にするという“宿主操作”は様々な寄生虫-宿主間で認められる1)。トキソプラズマは哺乳類や鳥類を中間宿主とし, ネコを終宿主とする偏性細胞内寄生原虫である。本原虫は中間宿主の脳や筋肉にシストを形成し, 慢性感染する。近年の研究により, 本原虫の慢性感染は, げっ歯類の行動変容やヒトの精神疾患の発症リスクを高めることが報告され, 動物やヒトの神経機能に様々な影響を及ぼすことが明らかになりつつある。
トキソプラズマ感染とげっ歯類の行動変容
げっ歯類はネコの捕食対象であり, トキソプラズマが生活環を回す上で重要な中間宿主である。げっ歯類は嗅覚などを介してネコの存在を認識すると, 逃避行動や静止行動などの防御応答をとる。しかし, 本原虫に感染したげっ歯類ではネコに対する防御応答が低下するとされる。この他, 不安, 自発運動, 新奇環境への反応性, 記憶・学習能力, 社会性, 運動協調性など, げっ歯類を用いた様々な行動実験において, 感染による影響が検証されているが, その影響については統一見解が得られていなかった。しかし近年, 本原虫に感染したげっ歯類における防御応答の低下は非ネコ科捕食者や非捕食者に対してもみられることが報告され2), これまでのネコに限定した“宿主操作論”に一石を投じるものとなった。さらに, これらの行動変容の程度と脳内シスト数は正の相関を示し, トランスクリプトーム解析ではインターフェロン-γ(IFN-γ)などの炎症関連遺伝子やドパミン受容体などの神経関連遺伝子の発現量とシスト数が相関することが示された2)。
行動変容と神経機能の異常
トキソプラズマ感染によってげっ歯類の行動変容が生じる機序には不明な点が多いが, 神経機能の異常説が有力である3,4)。本稿では, 神経機能の異常説の根拠とされる免疫応答と神経伝達物質の変化に関する知見を紹介する。
免疫応答:トキソプラズマ脳炎ではミクログリアやリンパ球からIFN-γが産生される。IFN-γは原虫に対する免疫機構の重要なサイトカインであるが, 一方で長期ストレス下や実験的自己免疫性脳脊髄炎モデルでは, IFN-γシグナルの増加によって空間認識記憶の低下や, カンナビノイド受容体CB1を介したGABAの放出抑制が確認されている。また, 感染マウスの脳では古典経路の開始に関与する補体C1qの発現が増加しており, シストや神経細胞様の細胞にC1qの局在が観察される。C1qはアルツハイマー病や多発性硬化症などの神経変性疾患におけるシナプス可塑性に関与していることから, 本原虫の感染においても同様の神経変性が生じていると推測される。
神経伝達物質量の変化:ドパミンは, 主に運動機能や認知機能の調節を行う神経伝達物質であり, ドパミン神経の異常はパーキンソン病やアルツハイマー病などの神経変性疾患や統合失調症などの精神疾患に関与する。トキソプラズマ感染によるドパミンの増加は1985年にStibbsらによって報告され, 以降, ドパミンやその代謝産物量に関する論文が多数報告されるが, 統一見解は得られていない。本原虫のゲノムにドパミン合成の律速酵素であるチロシン水酸化酵素がコードされていることから, 本原虫が直接的に宿主細胞のドパミン合成に関与すると推測されたが, これらの遺伝子を欠損させた原虫株を感染させてもドパミン量に変化は認められなかった。一方で, アルツハイマー病などの神経変性疾患との関連が報告されているmicroRNA132の発現が本原虫の感染によって増加し, ドパミンが増加することが報告されている。
セロトニンは精神安定の維持を行う神経伝達物質で, トリプトファンから合成される。鬱病や統合失調症の原因の1つにセロトニンの減少が知られている。トリプトファンの代謝経路にはセロトニン経路に加え, キヌレニン経路が存在する。トキソプラズマ感染に伴ってIFN-γが産生されると, インドールアミン-2, 3-ジオキシゲナーゼ(IDO)の産生が誘導され, IDOの作用によりキヌレニン経路が活性化する。結果的に局所的なトリプトファンの枯渇が生じ, セロトニン欠乏に至る。さらにキヌレニン経路の代謝産物であるキノリン酸やキヌレン酸には神経毒性があり, 我々の研究グループでは, 本原虫の再活性期におけるキヌレニン経路の活性化が, マウスの鬱様症状を引き起こすことを明らかにしている。
トキソプラズマ感染とヒトの精神・神経疾患との関連性
精神・神経疾患は遺伝的要因, 免疫, 感染, 環境などが病態発生に関与する多因子疾患であり, トキソプラズマ感染もその一因子と考えられる。トキソプラズマ抗体価の高いヒトでは統合失調症5), 双極性障害6), 強迫性障害7), 鬱病8), アルツハイマー病9), パーキンソン病10)の発症リスクが高いことが報告されている。特に統合失調症との関連に関する報告は多く, 本原虫感染による統合失調症の発症のオッズはオッズ比(OR)2.73, 95%信頼区間(95%CI)2.10-3.60と, 単一遺伝子の変異 (OR:1.09-1.24, 95%CI:1.06-1.45)や外傷性脳損傷(OR:1.65, 95%CI:1.17-2.32)よりも高い5)。統合失調症の病態の1つにドパミンの増加があり, 前述の本原虫感染によるドパミン増加とも共通する。また, 統合失調症の病態メカニズムの1つにグルタミン酸神経系の抑制が挙げられるが, 本原虫感染によってNMDA型グルタミン酸受容体(NMDAR)に対する抗体価の増加が報告されている11)。興味深いことにデータベースを用いた解析では, 本原虫の全タンパク質のアミノ酸配列とNMDARのアミノ酸配列には共通のエピトープ配列が多く, 本原虫に対する抗体がNMDARに交差した結果, グルタミン酸神経系が抑制される可能性が示唆されている。
終わりに
近年の研究により, トキソプラズマ感染によるげっ歯類の行動変容や脳の病態に関して多くの報告がなされた。今後さらに, 本原虫感染が宿主の中枢神経系に与える影響の具体的なメカニズムが解明されることを期待したい。
参考文献
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