北海道のエキノコックス症診断体制
(IASR Vol. 40 p38-39: 2019年3月号)
1.はじめに
日本, とりわけ北海道で問題となるのは, 主に多包虫Echinococcus multilocularisの感染による多包性エキノコックス症(多包虫症)である。本症は, 4類感染症に分類されており, 診断した医師による届出が義務づけられている。北海道における感染症法施行以前からの患者数は2017年12月末現在で累積747名に達している。近年, ヒトへの感染源となる虫卵を排出する感染キツネは北海道全域に分布している。2001年度以降をみても, 年平均20名の新規患者が発生しており, 決して過去の風土病ではない。放置すれば死に至ることもあり, 外科的切除が唯一の根治的治療法である本症では早期発見が肝要であるため, 血清診断は身体への負担が小さい検出法として欠かせない。
2.ヒトの多包虫症血清診断
2-1.血清学的検査法の変遷
本症の血清学的検査法は, 皮内反応, 補体結合反応, 間接赤血球凝集反応および免疫電気泳動法などを経て, 1983年にスクリーニング試験法としてELISA法, そして1987年に確認試験法としてウェスタン・ブロッティング(WB)法を導入し, 今に至っている。それら2つの手法は, コトンラット等に実験感染・増殖させた幼虫組織より抽出した“粗抗原”を用いており, いずれも北海道立衛生研究所(道衛研)において開発された。
2-2.北海道の検査体制
行政試験:上記の血清学的検査法を基盤として, 北海道では世界でも類をみない一般住民対象のマススクリーニングシステムを構築した。すなわち, ELISA法で一次スクリーニングを行い, “疑陽性”または“陽性”判定となった者に対してWB法と超音波検査等の画像診断による確認検査(二次検診)を実施する体制を整え, 患者の検出に努めている。2001年度以降, 一次スクリーニングから二次検診受検対象者として選別された割合は平均0.15%で, マススクリーニングとして非常に良好な状態を保っている。
一般依頼検査:行政試験とは別に, ELISA法・WB法による検査を一般依頼検査(有料, 検査法は任意選択)としても常時実施している。依頼に際しては, 道衛研ホームページに掲載の記事「エキノコックス」にて詳細を確認願いたい。
2-3.ELISA法
ELISA法では, 陽性コントロール血清で観測した値(吸光度)を「1」とした場合の各検体の相対値をELISA値と定義する。判定基準はELISA値0~0.50を陰性, 0.51~0.99を疑陽性, 1.00以上を陽性とする。行政試験の一次スクリーニングでは, ELISA値0.51以上を二次検診の対象者とする。
本法の感度は, 約96%と見積もられている。世界保健機関(WHO)のマニュアルには, 世界で行われている多包虫症検出用の各種ELISA試験の感度も, 使用する抗原は異なるが概ね90~100%であることが記されている。特異性については, WHOのマニュアルにも“一般にとても高い”と記されているのみだが, 経験上, 他の寄生虫感染による交差反応や, 細菌・ウイルス感染などによる非特異的免疫応答, 自然抗体などの影響を受けると思われ, 道衛研においても, 偽陽性となるケースを稀に経験している。
2-4.WB法
WB法の主たる診断マーカーは分子量18kDaの抗原で, 多包虫に対して非常に特異性が高い。この反応を検出した場合, ほとんどの症例で26~28kDaおよび7~8kDaのブロードバンドも同時に検出され, 典型的な陽性(Type-A)とみなす。一方, 稀にこの18kDaバンドが出現しない患者もいる。2001~2006年度に新規登録された患者について行った追跡調査では, 道衛研で検出した患者81名のうち, 5名(6.2%)が18kDa陰性であった。これらの非典型的な患者は, Type-B(26~28kDa+7~8kDa)またはType-C(26~28kDaのみ)として検出された。また, 同じく2001~2006年度の期間に, 道衛研で検査した中に“血清学的に陰性”と判定された患者が2名いた。このことから, 現行法の感度は97.6%(81/83)と見積もられている。一方, 特異性に関して言えば, Type-Aであった場合, これまでの経験上, ほぼ患者であることを疑って間違いない。それに対してType-BやType-Cの場合は, 交差反応の場合もあるので注意を要する。特に7~8kDaの抗原は単包虫症(後述)診断に用いられるAgB関連抗原であり, 単包虫症患者の反応性も高い。
3.診断における留意点と取り組み
大半の患者が北海道の検査体制の中で陽性検出されていることは大きな成果である。ただし, いくつか留意点もある。2つの検査法は実験感染させたコトンラットの病巣から調製した“粗抗原”を用いているため, エキノコックス関連の多くの抗原抗体反応を同時に確認できる利点がある反面, 抗原のロット間差や他種との交差反応の影響を受ける場合がある。近年, これらの課題を克服するため, 感度と特異性に優れた遺伝子組換え蛋白質抗原を探索する試みが国内外の研究グループによってなされている。加えて道衛研では, 糖鎖抗原についての研究も進めてきた。手法としては, 世界的にも中心はELISA法とWB法であるが, イムノクロマト法による簡易診断法を確立する試みもなされている。
また, 多包虫症以外に日本で問題となるものとしては単包虫E. granulosusの感染が引き起こす単包性エキノコックス症(単包虫症)がある。ただし, 現在, 国内では単包虫症の流行は確認できず, 大半は海外居住歴や渡航歴のある人の輸入症例と考えられ, 発生は非常に散発的である。道衛研が行う検査は多包虫由来の抗原を使用するものであるため, あらかじめ海外居住歴等の情報がある場合には, 検査の際に注意を払っている。
いずれにせよ現状の血清診断は, 体内を巡るエキノコックス由来成分を直接検出するものではなく, 感染後に上昇する抗体を捉える間接的な検出法である。そのため, 早期発見を目指しているものの, 潜伏期間の長さと採血時期との兼ね合いで, 感染初期には検出できない可能性を認識する必要がある。一方, 近年は画像診断の進歩が著しく, 健康診断や医療機関外来等において画像情報から先にエキノコックス症が疑われ, 血清診断に回ってくる症例も増えている。よって, 日常生活や仕事上, 感染リスクが高いと思われる場合には, 数年おきに検診を受けることが望ましい。なお, 血清診断や画像診断はエキノコックス症を疑う上で有力な判断材料となるが, 最終的な確定診断には術後の組織病理学的診断や遺伝子診断を行うこととなる。