1)感染症対策としての観点

 

(1)急性肝炎対策

 

 予防接種は医療従事者、流行地への旅行者、成人の水平感染など個人防衛が期待できる。さらに、ハイリスク群のワクチネーションにて、ハイリスク集団の流行を抑えることによって感受性者への感染拡大を予防する。 

 

(2)HBVキャリア対策

 

 WHO5歳児のHBVキャリア率2%以下を到達目標とし、その手段としてB型肝炎ワクチン接種を勧奨しており1)、これを「ユニバーサルワクチネーション」と呼ぶ。既に、多くの国や地域ですべての児(新生児、学童)にワクチンを接種するユニバーサルワクチネーションが導入されている。ワクチン接種によって抗体を獲得し、HBVキャリア化しやすい小児期をHBV抵抗性に保持することが目的である。

 ユニバーサルワクチネーションの効果は接種対象となる小児のHBV感染を防ぐだけでなく、小児から大人への感染を防ぐ効果も期待できる。アメリカではユニバーサルワクチネーションを導入した結果、ユニバーサルワクチネーション対象年齢以外の急性B型肝炎数も減少した28)

 

                       

 

 

 一方、「セレクティブワクチネーション」はHBVキャリア母から生まれる児を対象とした感染防止プログラムである9, 11, 16)。妊婦検査、B型肝炎ワクチン及びHBIGを併用した処置を行う。日本では母子感染防止事業として1986年から実施され、1995年度からは健康保険の給付対象となっている。その結果、HBs抗原陽性率は減少した。HBs抗原陽性率は、静岡県では、1986年小学生0.02%、中学生0.53%、高校生0.99%から、1997年それぞれ0.050.090.32%まで減少し10)、岩手県では、0.75%から0.13%まで減少させることに成功した15)

 

 このプログラムを完全に実施できれば、9497%の高率でキャリア化を防ぐことができるが16)、胎内感染、妊婦検査の漏れ、処置の煩雑さや不徹底、産婦人科と小児科の連携(新生児は産婦人科で診るがそれ以降は小児科に移るため、予防処置が引き継がれないことがある)などプログラムの不完全実施、さらに家族内の水平感染、など難しい面もある11, 16)。また、対象児は感染を免れHBV抵抗性となるが、その他の児はHBV感受性のままである。

 

 図8に国別急性B型肝炎報告数の年次推移を示した28,30)。患者が多かった米国、イタリアはユニバーサルワクチネーション導入後、急性患者数が減少している。一方、もとから患者数が少なかった国はセレクティブワクチネーションを選択する傾向があるが、ノルウェーのように、ハイリスク集団からHBV感受性者に性感染を通して流行が広がるケースもある。

 

 

 

 

 日本は急性B型肝炎の把握が十分に行われておらず、ワクチン政策導入後の効果判定が難しいと予想される。現状把握の疫学調査やワクチン被接種者の意識調査、ワクチン政策の効果判定方法・指標の確立が望ましい。

 

2)公共経済学的な観点


 公共経済学的な観点からB型肝炎ワクチンを論じた報告は少ないが、各国により事情は異なると考えられる。HBVのキャリア率、HBV感染によって引き起こされる疾患、特に肝硬変や肝がんによる死亡数、ワクチンのコストなどが重要な要素となる。米国の場合、80万人から140万人のHBVキャリアが存在すると推定され、年間2,000から3,000人がHBV感染に関連する原因で死亡している31)1982年からハイリスク群に対するワクチン接種とキャリアの妊婦からの垂直感染予防が実施され、1991年より全出生児に対してワクチン接種開始、1995年から1112歳児に接種開始、1999年から19歳以下に全員接種開始、2005年からは出生後24時間以内に全員接種開始、2006年からハイリスク群の成人も全員接種が開始された。ハイリスク群以外の20歳以上の成人についてはワクチン接種が自己負担である。その効果として図8のように急性肝炎症例数が減少しているが、経済的な効果についてはまだ報告されていない。

 日本と同じくセレクティブワクチネーションが行われているアイルランドの成績では人口10万対8.4人の急性肝炎があり、HBVを含む6種類の混合ワクチンを用いるとすれば、ユニバーサルワクチネーションのほうが、差し引き費用が少ないと結論している32

  日本の本格的な費用対効果分析のためには適切なデータが必要であり、今後の調査が望ましい。

 

3)各国の状況

 

 地域別ユニバーサルワクチネーション導入の状況(2008年)を図7に示した29。WHO加盟地域の92%がB型肝炎ワクチンを定期接種に組み込み、3回接種実施率は71%に達する。セレクティブワクチネーションは、日本、イギリス、北欧などの数カ国にとどまる。特に西太平洋地域においては出生後24時間以内接種及び3回接種を2008年において加盟37の国及び地域中26カ国が達成した。西太平洋地域における5歳児のHBs抗原陽性率はワクチン接種前の約9.2%から2007年には1.7%まで減少したと推定されている31

 

 現在、世界中で20億人のHBV感染者がいると推定されている1)。そのうち持続感染者は約35千万人に上り、多くは出生時の母子感染によるHBVキャリア化が原因である。HBVキャリア率は世界各地で異なる。HBVキャリア率(実質的にはHBs抗原陽性率)8%以上の高頻度地域、28%の中頻度地域、2%以下の低頻度地域に分類される。ユニバーサルワクチネーション(すべての児にB型肝炎ワクチンを接種してHBVキャリア化防止を目的としたワクチン政策)導入以前の世界各地のHBs抗原陽性率を図6に示した26)。図3、表4に示したように、現在の日本のHBs抗原陽性率は2%以下と推定される。しかしながら、WHO2008年のデータ 27)では日本は中~高頻度国に位置づけられている。これはデータのアップデート等が不十分であることが原因であると推察される。
 

                       

 

 

 我が国におけるHBV感染者の疫学に関する情報をHBV感染者の病態別(HBVキャリア、B型急性肝炎、劇症肝炎、肝硬変、肝癌)に報告する。

 

1)HBVキャリア

 WHO5歳児のHBVキャリア率(実用的にはHBs抗原陽性率など)をB型肝炎の疫学状況の指標とし、これが2%以下である場合、その地域のB型肝炎はコントロールされているとみなしている1)

 日本ではこれまで小児のHBs抗原陽性率の調査は自治体単位で実施されてきた。1997年の静岡県の調査報告では、小学生のHBs抗原陽性率が1986年の0.2%から1997年の0.05%に減少した10)。中学生、高校生でも減少が見られた。我が国は1997年の段階でWHOが提唱するB型肝炎対策の目標「5歳児のHBVキャリア率2%以下」を達成していることが推察される。また、岩手県においてHBV母子感染の予防事業実施前・後に出生した年齢集団(19781999年度出生群)を対象にした解析を行ったところ、事業開始前に出生した集団におけるHBVキャリア率は0.75%であったのに対し、事業開始後は0.04%と極めて低率であることが判明した15)

しかしながら、これらのデータは

  1. l母子感染防止事業がよく機能していた県において得られた成果である。
  2. l1995年度から母子感染防止事業が、「公費負担によるHBe抗原陽性の母親から出生する児(ハイリスク群)に重点を絞った事業」から「保険医療によるHBs抗原陽性のすべての母親から出生する児(ハイリスク群とローリスク群の両者)を対象とした医療」へと変更された。保険医療による予防は医師であればどこでも誰でも行うことができ、かつ届け出の必要も無いことなどからHBV母子感染予防の実態把握が難しくなった16)

などの理由から、現在のHBVキャリア率を検討するには注意深く取り扱う必要がある。

 

 16歳以上のHBs抗原陽性率は、日本赤十字社の初回献血者データが参考になる17)。初回献血者の生年別HBs抗原陽性率の推移を図3に示した。年々初回献血者のHBs抗原陽性率は減少している。200610月から20079月にかけての初回献血者のうち、1620歳と全体(1669)HBs抗原陽性率はそれぞれ0.042%0.229%であった。

 

                       

 

 妊婦のHBs抗原陽性率が0.3%という報告がある18)。妊婦の年齢層を2030代と仮定した場合、これに対応する日赤の2030代の初回献血者HBs抗原陽性率は0.2%であり、妊婦のデータがやや高いが、ほぼ同様の陽性率と考えられる。献血者の場合、あらかじめ分かっているHBs抗原陽性者や肝炎患者、手術や輸血歴がある者は献血対象者から外されるため、HBs抗原率がやや低めとなっている可能性はあるが、初回献血者のHBs抗原陽性率は各年齢層のHBs抗原陽性率をほぼ反映していると考えられる。

 

2)B型急性肝炎

 B型肝炎は1987年に感染症サーベイランス事業の対象疾患に加えられ、全国約500カ所の病院定点から月単位の報告により、発生動向調査が開始された。その後19994月の感染症法施行により、4類感染症の「急性ウイルス性肝炎」の一部として全数把握疾患となり、さらに2003115日の感染症の改正では5類感染症の「ウイルス性肝炎(A型肝炎及びE型肝炎を除く)」に分類され、全数把握サーベイランスが継続されている。医師は、B型肝炎患者及び死亡者(ウイルス性肝炎の臨床的特徴を有し、血清IgM HBc抗体が検出された者。明らかな無症候性キャリアの急性増悪例は含まない。)を診断した場合には、7日以内に都道府県知事(実際には保健所)に届け出ることとされている。しかし、実際には届け出例は少数にとどまっており、日本における急性B型肝炎の実態把握は困難な状況である。

 感染症法の下で届け出られた急性B型肝炎の年間報告数は1999年(412月)の510例から減少傾向にあり、20032006年は200250例で推移していたが、2007年以降は200例を下回っている19)(表3

 

 

    感染症発生動向調査201015日現在 

 

 一方、国立病院急性肝炎共同研究班では1976年以降、参加施設に入院した急性ウイルス肝炎を全例登録しており、年次推移を推定するためには貴重な情報源となっている。この報告によれば、最近10年間では急性B型肝炎は増加傾向を示している(表4) 20)。このデータから試算すると、日本全国で急性B型肝炎による新規の推定入院患者は1,800人程度と推測される。 この矛盾からも急性B型肝炎調査の難しさが伺える。

 

(国立病院機構肝疾患ネットワーク参加30施設調査)20)

  

       

 20032008年の6年間の発生動向調査報告数(1,300 例)について見ると、都道府県別では、報告の多い上位10位は、東京都(212例)、大阪府(145例)、兵庫県(100例)、神奈川県(76例)、広島県(70例)、福岡県(62例)、岡山県(53例)、愛知県(49例)、宮城県(44例)、京都府(34例)であり、一方、福井県(1例)、鳥取県(2例)、香川県、熊本県、沖縄県(各3例)などで非常に少ない。[K5] 性別では男性が多い(男性/女性=2.9/1)が、10代後半の年齢群では女性がやや多い(図4。男女別に年齢分布をみると、男性は20代後半及び30代前半をピークに、20代から50代まで分布する。一方女性では20代にピークがあり、10代後半から50代まで分布する(図4

 感染経路では、男女ともに性的接触が多く61%を占め、その他が6%、不明33%であった(図4。性的接触の占める割合は、199943%から、200767%、200866%と増加が見られている(図5

 

 

感染症発生動向調査201015日現在 

 

 

  

 

 

 また、その他としては、家族や知人からの感染、輸血・血液製剤、血液透析、針治療、刺青などが推定又は確定として報告されている。2002年には佐賀県の保育所において25名の集団感染が報告された。HBV無症候性キャリアの職員からの感染などが疑われたが特定されなかった21)。また、2009年に、家族からの感染例として、祖父→その孫→さらにその父親への感染事例が報告された。孫の発症を機にHBVキャリアと判明した祖父は2年前の検診ではHBVキャリアであることは指摘されていなかった22)

 

3)B劇症肝炎

 感染症法上の届出は原則診断時に限られていることから、届出後の劇症化については捕捉できていない。劇症肝炎の全国調査は、厚生労働省「難治性の肝疾患に関する研究班」によって全国の主要600程度の医療施設を対象に継続的に行われている。これによれば、年間100例程度の劇症肝炎症例が集積されており、B型肝炎ウイルスによるものは40%以上を占め最も多い原因となっている23) 

 

4)B型肝炎・肝硬変・肝がん

 人口動態統計によるB型肝炎を死因とする死亡数は、20002004年には年間800台であったが、2005年に700台となり、20062008年は600台となっている(20002008年の順に、885823829856836786689686641)。肝硬変による死亡者数は9,000人前後で推移している(20002008年の順に、9,8409,5389,2209,2209,1509,3879,0648,9548,928、)。肝がんによる死亡者数は1959年〜1975年には、年間1万人前後であったが、1976年〜1995年の間に、3万台まで急増した。その後微増し、20062008年は33,000台となっている(20002008年の順に、33,98134,31134,63734,08934,51034,26833,66233,59933,665)

 B型肝炎と肝硬変・肝がんの関連を見ると、1999~2008年に報告された肝硬変のうち、B型肝炎が成因となったのは約13% 24)、2002~2003年の調査で、肝がん患者のHBs抗原陽性率は15.5% 25)であった 。 

 

. 予防法1, 9, 11)

 

 予防法は感染経路の封じ込めが中心であり、そのために啓発活動を行っている。主要な感染経路であった血液は、輸血用血液のスクリーニングにより輸血による感染は激減している。その他の感染経路からのHBV感染予防のため、HBV感染の可能性が高いハイリスク群に対してはワクチン接種が勧められており、母子感染防止に対しては国の事業としてワクチンと抗HBs人免疫グロブリン投与が行われている。以下に、主要な予防法を示す。

 

1)     B型肝炎ワクチン:3回接種。目的(感染予防、母子感染防止処置)に応じて用法が異なる(詳細後述)。

2)     HBs人免疫グロブリン(HBIG):能動免疫ではなく受動免疫であるためワクチンより予防効果は早く認められるが持続期間は短い。HBs抗原陽性血液の汚染事故後のB型肝炎発症予防、新生児のB型肝炎予防 (原則として、B型肝炎ワクチンとの併用)に適用される。

3)     啓発活動(感染リスク、ワクチン接種、血液の処置、血液の付着する危険性のあるカミソリ等の共有禁止など)

4)     母子感染防止事業・対策:1986年より開始。1995年度からは健康保険の給付対象となる。予防処置の脱落等実態の把握が困難である。

5)     輸血・血液製剤用血液のスクリーニング:1972年より開始。B型肝炎は感染から発症までの潜伏期が30180日(平均6090日)と長いためウインドウ・ピリオドのすり抜け対策が進められてきた12

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