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マスギャザリングイベント(東京2020大会)と感染症対策

(IASR Vol. 43 p153-154: 2022年7月号)

 
マスギャザリングと公衆衛生対策

 世界保健機関(WHO)は「マスギャザリング」を「特定の場所に特定の目的を持ってある一定期間, 人々が集積することで特徴づけられるイベントで, その国やコミュニティの計画や対応リソースに負担をかける可能性があるもの」と定義する。意図せず, 偶発的に人が集まるイベントとは異なり, 計画的に行われるマスギャザリングでは, イベントへの参加者の安全確保はもちろんのこと, 開催により地域へ負の影響を与えることがないように, 計画的に準備し, 十分なリソースを確保することが求められる。

 過去のマスギャザリングでは, 参加者に対する安全確保の観点から医療提供体制の準備が重視されてきたが, 近年は開催地の医療・公衆衛生への影響も重視されている。特に, さまざまな場所から人が多数集まり, 普段は接触機会が無い人々との密な接触機会が一定時間生じ, そして, またそれぞれの生活の場に戻る, というマスギャザリングの性質は, その地域には無い感染症が持ち込まれたり, クラスターを形成したり, 感染症が地理的に拡散する起点となり得る。イスラム教徒の大巡礼(Hajj)に関連した髄膜炎菌感染症の流行は事例としてしばしば取り上げられる。スポーツ関連の大会では, 大会に関連した麻疹やインフルエンザ, ノロウイルス感染症アウトブレイクの報告が知られている。

日本における国際的マスギャザリングと事前準備

 日本は, この20年の間にさまざまな国際的なマスギャザリング(各国首脳等が参集する注目度の高いイベントを含む)を経験してきた()。

 このような国際的なマスギャザリングにおいては, 感染症の急激な増加やバイオテロも含めた健康危機事案の早期探知を目的として, 強化サーベイランスが実施されてきた。強化サーベイランスとは, 通常実施されているサーベイランスの報告頻度や感度を上げたり, 通常運用されていないサーベイランスを追加的に実施したりして, 通常よりも検出感度を上げ, 早期に異常事態を探知することを目的としたサーベイランスをいう。これまでも国内で国際的なマスギャザリングを開催する際, 通常の感染症発生動向調査事業によるサーベイランスに加えて, 報告体制の強化や, メディア情報等を含めたあらゆる情報源を用いたサーベイランスが実施されてきた。近年では, 2019年のG20大阪サミットとラグビーワールドカップ2019日本大会で強化サーベイランスを実施した例がある。

 国内における国際的なマスギャザリングに関連した感染症の発生事例としては, 2015年に山口県で開催された世界スカウトジャンボリーにおいて, 帰国後に参加者から髄膜炎菌感染症の発生が報告された例がある(IASR 36: 178-179, 2015)。大会主催者と参加団体, 地方自治体, 関係国が迅速に連携し, 注意喚起と情報共有を行い対応が進められた。また, 2019年には, 海外からラグビーワールドカップ2019日本大会の観戦に来日していた男性が日本国内で髄膜炎菌感染症を発症した事例があった。

COVID-19と東京2020大会

 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(東京2020大会)は, 2013年9月に東京での開催が決定された。世界的に非常に注目度が高いイベントであり, 14万人以上の大会関係者(アスリートを除く)の来日が見込まれ, さらに観客等が加われば, 短期間に海外から多数の渡航者が見込まれた。また, 事前キャンプ等で, 大会開催地のみならず, 全国各地に渡航者の増加が想定された。さまざまな公衆衛生リスクが想定される中で, 特に国内に常在しない感染症の発生がリスクの1つとして挙げられた。そのため, 各国の感染症発生状況, 来日者数, 発生によるインパクト等を踏まえたリスク評価を行い(本号3ページ), 疾病ごとの対策の重み付けを行いつつ, サーベイランス体制の強化やワクチン接種等の対策が推進されてきた。2019年8月には, 「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けた感染症対策に関する推進計画」が策定された。サーベイランス体制の強化は, 国レベルでも(本号3ページ), 自治体レベルでも(本号4ページ)行われてきた。また, 麻疹・風疹や髄膜炎菌に対するワクチン接種が, 大会運営者等, 訪日外国人と接する機会の多い業務に従事する者に対して進められてきた(本号6ページ)。

 しかし, 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックにより, 東京2020大会は開催が当初の予定から1年延期された。オリンピック大会は2021年7月23日~8月8日の日程で33競技339種目, パラリンピック大会は同年8月24日~9月5日の日程で22競技539種目が全43会場で行われることになった。COVID-19から参加者や観客の安全を守るとともに, 国内流行へのインパクトを最小限にとどめ, 地域の安全を確保することが公衆衛生対策の最大の課題となった。東京2020大会におけるCOVID-19対策は, 「東京オリンピック・パラリンピック競技大会における新型コロナウイルス感染症対策調整会議(調整会議)」によって検討が行われた。調整会議は, 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会関係府省庁連絡会議の下に設置され, 内閣官房副長官が議長を務め, 東京都, 組織委員会, 日本政府(関係府省庁), 公益財団法人日本オリンピック委員会, 公益財団法人日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会のほか, 感染症専門家がアドバイザーとして参加し, 7回の会議が行われた。2020年12月の第6回会議の時点でまとめられた「中間整理」に基づき, 参加者の出入国措置のあり方や移動の方法, 会場等における感染症対策や「プレイブック」の作成による対策のルールの周知徹底・遵守の確保, 競技運営のあり方, COVID-19患者発生時の迅速な対応体制の構築など, 変異株の出現などにより状況が目まぐるしく変化する中で, 主催者と国, 地方自治体が連携して対策が構築されてきた。

 プレイブック:組織委員会と国際オリンピック委員会・国際パラリンピック委員会が作成した, 東京2020大会において参加者が遵守すべきCOVID-19対策上のルールを取りまとめたもの。

 感染症対策強化のため, 東京2020組織委員会は, 感染症対策センター(Infectious Disease Control Centre: IDCC)を設置し(本号7ページ), 公衆衛生サーベイランス, アスリート等の健康モニタリングとその支援, そしてアスリート等および大会関係者の陽性者発生時の情報共有および連絡・調整等の対応を担った。東京都は, 都内保健所の東京2020大会に関連するCOVID-19対応支援を行うために, 東京2020保健衛生拠点を設置した。

 国立感染症研究所(感染研)では, サーベイランスと対策支援体制の強化のため, 緊急時対応センター(Emergency Operations Center: EOC)を初めて運用し, 部門横断的な対応体制を強化した(本号9ページ)。東京2020オリンピック直後の感染研による暫定集計では, 「アスリート等」と「大会関係者」の定義に合致したCOVID-19症例は計453例で, 属性別ではアスリート等が80例(18%), 大会関係者が373例(82%)であった。居住地別では, 海外からの渡航者が147例(32%), 国内居住者は306例(68%)であった(https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/10581-covid19-54.html)。大部分が海外からの渡航者であるアスリート等のCOVID-19症例の届出数については, 入国者数ピークの3~5日後にピークとなった一方, 大会関係者からは継続的に症例の報告があり, 東京都を含めた国内での感染拡大状況を反映したものと考えられた。東京2020パラリンピック期間では, 選手村に出入りするスタッフは4日に1回から毎日検査に, その他東京2020オリンピック期間は7日に1回の区分であったスタッフは4日に1回にするなど, 検査対象の関係者すべてが毎日または4日に1回の検査を行い, 検査実施頻度を高めるなどの対策強化が行われた。

 本号では, 東京2020大会に関連したCOVID-19症例を探知した事例を報告している。強化サーベイランスにより広域発生を探知した事例では, 迅速な関係自治体間の情報共有につながった(本号11ページ)。選手団等の滞在施設で探知された集積事例は, 定期のスクリーニング検査で早期探知され, 疫学調査に加えて, ウイルスゲノムのハプロタイプネットワーク解析結果から, 施設内での選手団間の感染伝播は否定された事例であった(本号12ページ)。COVID-19の発生が一定頻度見込まれる中で, 強化サーベイランスによる早期の症例探知と重層的な感染対策により, 大規模な感染連鎖を抑止し得たと考えられる事例であった。また, COVID-19発生以前に最大の懸案事項であった輸入感染症について, 東京2020大会期間中の発生状況を報告する(本号14ページ)。

 健康危機に対する対処能力の底上げが世界的に求められる中, COVID-19パンデミック下で計画された“マスギャザリング”の準備過程は, その重要な機会と捉えられており, 東京2020大会を通して得られた経験と教訓が, 今後広く共有され活かされることが強く望まれる。

 *正式名称および用語の定義は本号の<特集関連資料>を参照ください

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