国立感染症研究所

動物細胞培養に関する用語など

 

我々の研究紹介で使われるような培養細胞に関する用語を、WHO文書を参考にしながら説明する。引用したWHO文書の名称は以下のとおりであり、ネットで公開されている。(ここでリンクしたPDFが"WHO TRS_978Annex 3”であることは"WHO TRS_978全体文書"により把握できる)。

”(WHO TRS_978) Annex 3 Recommendations for the evaluation of animal cell cultures as substrates for the manufacture of biological medicinal products and for the characterization of cell banks: Replacement of Annex 1 of WHO Technical Report Series, No. 878WHO技術報告シリーズ978号添付文書3 生物学的医薬品の製造に使用する動物細胞培養の評価と細胞バンクの特性解析への推奨:WHO技術報告シリーズ878号添付文書1交替版)

このWHO文書はワクチン等の生物学的医薬品生産に使用する細胞を対象にしているので、個々の研究現場で使っている用語とニュアンスが少々異なるかもしれない。しかし、WHOガイドラインはその道の専門家たちが協議して作成した世界標準であることを考えると、なるべくWHOの提示した定義に従った用語の使い方をするのが混乱を防ぐためにも適切と考える。ほぼ同等の国際文書として日米EU医薬品規制調和国際会議(International Conference on Harmonisation of Technical Requirements for Registration of Pharmaceuticals for Human Use; ICH)の定めたICH Q5Dがある(ICH Q5Dの和訳に相当する文書も公開されている)。

筆者(私自身)の過去の言動と本稿で主張していることとのあいだに少々齟齬もあるのだが、今後は気を付けるのでその点は御寛恕を賜りたい。

なお、昆虫細胞も動物細胞であり、WHO文書での動物細胞基材animal cell substrateの範疇であるが、本稿では特に断りのない限り、哺乳動物由来の培養細胞に関しての記述と考えていただきたい。引用するWHO文書そのものは国際標準であるが、以下に記載した和訳および「筆者のコメント」の内容は一研究者である私個人の解釈であり、私の所属する機関の公式見解ではありません。

また、細胞株を体細胞遺伝学的な実験の材料に使用する場合、本稿文末の追加コメントも参考にしてほしい。

 

以下、用語は英語名のアルファベット順で羅列した。

 

 Adventitious agent: contaminating microorganisms of the cell culture or source materials including bacteria, fungi, mycoplasmas/spiroplasmas, mycobacteria, Rickettsia, protozoa, parasites, transmissible spongiform encephalopathy (TSE) agents, and viruses that have been unintentionally introduced into the manufacturing process of a biological product.

The source of these contaminants may be the legacy of the cell line, the raw materials used in the culture medium to propagate the cells (in banking, in production, or in their legacy), the environment, personnel, equipment or elsewhere.

 外来性感染性因子:細胞培養やその原材料に混在している微生物類。生物学的医薬品の生産過程において意図せずに入り込んでしまう細菌類(マイコプラズマ・スピロプラズマ、マイコバクテリア、リケッチアも含まれる)、真菌、原虫、寄生虫、ウイルス、さらには、(感染性の実態がタンパク質プリオンである)伝達性海綿状脳症TSE因子をも包括して意味する。これら混在物の元は、生産細胞株そのものに由来する場合、(細胞バンク化の過程、医薬生産過程において)当該細胞を増やす培地に使用した素材に由来する場合、環境、取扱者、器具、その他に由来する場合がありえる。

 筆者コメント:元の英文では、bacteriamycoplasmas/spiroplasmas, mycobacteria, Rickettsiaを別物のように記載しているが、生物分類上これらは全て原核生物prokaryotesすなわち細菌bacteria(その中でも真正細菌eubacteria)の仲間である。また、生物医薬に混在する寄生虫parasitesはもっぱら原虫タイプの単細胞寄生虫であり、目視できるような多細胞動物寄生虫の混在は考えにくく、ここも原虫性寄生虫protozoan parasitesと言い直したいところである。なお、以前は外来性感染性微生物adventitious microbesという呼び方をしていたが、TSEの原因はタンパク質性感染因子プリオンによることが発見されたので、adventitious agentsという呼び方に変更された。この用語変更は科学的にも納得できるのであるが、上記英文ではTSE agentが細菌やウイルスと同列のmicroorganismsとして読めてしまう。これらの事情を鑑みて、この項目での和訳は直訳ではない旨をご留意いただきたい。また、英文中のin their legacyを明確には訳せなかったが文脈から考えるに「当該細胞履歴の全過程において」というような意味であると思う。

 

 Biotherapeutic: for the purpose of this document, a biotherapeutic is a biological medicinal product with the indication of treating human diseases.

 バイオ治療薬:この文書で意図するところでは、バイオ治療薬とは人疾病用として掲載されている生物学的医薬製品のことである。

 筆者コメント:人疾病治療用に使われる血液製剤、抗毒素血清、抗体医薬などの生物学的医薬品の包括的名称(ワクチンは、生物学的医薬品ではあるが、予防薬であり治療薬ではないのでbiotherpeuticには入らないと思われる。ただし、BCGには、小児結核予防を目的とするワクチン製剤のほかに、膀胱がん治療用製剤もあり、後者のBCGbiotherapeuticの一つと考えうる)。

 

 Cell bank: a collection of appropriate containers whose contents are of uniform composition, stored under defined conditions. Each container represents an aliquot of a single pool of cells.

 細胞バンク:均一な組成の内容物として適切な容器に納めた(細胞の)収集であり、一定の条件下で保管されるもの。それぞれの容器(の内容物)は細胞の単一プールの一部分とみなす。

筆者コメント:上で定義した意味から派生した用語がマスター細胞バンクmaster cell bankやワーキング細胞バンクworking cell bankである。一方、数多くの種類の細胞をバンク化して保存管理し、必要に応じて配付する機関も「細胞バンク、Cell bank」と呼ばれ、こちらの意味での代表的な細胞バンクには、米国のAmerican Type Cell Collection ATCC)、日本であれば医薬基盤研究所の日本がん研究資源バンク(Japanese Cancer Research Bank; JCRB)や理化学研究所のバイオリソースセンターなどがある。

 

 Cell culture: the process by which cells are grown in vitro under defined and controlled conditions, where the cells are no longer organized into tissues.

 細胞培養:一定のかつコントロールされた条件で細胞を培養皿の中で生育させる過程。この過程で細胞が組織にもどることはもはやない。

筆者コメント:ラテン語in vitroの原義は「in glass、ガラスの中で」であり、生体内から取り出して人工容器に移しておこなう実験生物学の操作を一般にin vitroの操作という。ここでは「培養皿の中で」と意訳した。現在もっぱら使用されている細胞培養容器はプラスチック製ではあるが---

 

 Cell line: type of cell population with defined characteristics that originates by serial subculture of a primary cell population that can be banked. Cloning and subcloning steps may be used to generate a cell line. The term “cell line” implies that cultures from it consist of lineages of some of the cells originally present in the primary culture.

 細胞株:一次細胞培養の継代に由来して得られ、一定の特性を有する細胞集団であり、細胞バンク化されるもの。細胞株を生み出す途上で、細胞のクローニングもしくはサブクローニング(一度クローニング操作して得た細胞集団に対してさらなる細胞クローニングをおこなうこと)をしてもよい。「細胞株」という用語には、細胞株の培養というものが一次培養にもともと存在した細胞のいくつかの系統から成り立っているというふくみがある(この点は本稿末の追加情報も参照)

筆者コメント:細胞株には、不死化して無限に倍加する能力をもった連続継代性細胞株だけでなく、寿命のある二倍体細胞株、さらには分化能を維持した幹細胞株も含まれる。細胞株として重要なポイントは「一定の特性を有する細胞集団であり、細胞バンク化されている」ということである。細胞の基本的な特性解析が済んでいないものや、均一の細胞集団として凍結保存されていないものは、細胞株とはいえない。

 

 Cell seed: a quantity of well-characterized cells that are frozen and stored under defined conditions, such as in the vapor or liquid phase of liquid nitrogen, in aliquots of uniform composition derived from a single tissue or cell, one or more of which would be used for the production of a master cell bank. Cell seed is also referred to as a pre-MCB or seed stock.

 細胞シード:十分に特性解析されたかなりの分量の細胞が、単一の組織もしくは細胞に由来する均一の組成をもったものとして、気相もしくは液相の液体窒素下といった一定の条件下で凍結保存されているもの。細胞シードの一部を用いてマスター細胞バンクが生産されることになる。そのため、細胞シードは前マスター細胞バンクまたはシードストックとも呼ばれる。

筆者コメント:引用したWHO文書が医薬品生産をするための動物細胞基材に関するガイドライン的文書であるため、細胞シードや細胞バンクの説明も、生物学的医薬品製造の場で使用されることを念頭に記述されている。しかし、そこで意図している細胞管理の方策は研究現場でもおおいに参考になるであろう。医薬品細胞基材としての細胞バンクに関しては、厚労省から発出された文書生物薬品(バイオテクノロジー応用医薬品/生物起源由来医薬品)製造用細胞基剤の由来、調製及び特性解析」についてに詳しい。

 

 Cell substrate: cells used to manufacture a biological product.

 細胞基材:(ワクチンや抗体医薬などの)生物学的産物を製造するために使われる細胞

 

 Continuous cell line (CCL): a cell line with an apparently unlimited capacity for population doubling. It is often referred to as “immortal” and was in the past referred to as “established”.

 連続継代性細胞株(無限細胞株):見かけ上、無限に倍加する能力をもった細胞株。しばしば、不死化細胞と呼ばれ、以前は樹立細胞とも呼ばれた。

筆者コメント:一次培養に供した細胞群のごく一部の細胞が、継代培養しているあいだにおそらく複数の遺伝子変異を起こし、無限に分裂する能力を得て不死化する。不死化することで適宜継代さえすれば無限に培養増殖できるようになった細胞の特性を解析し、細胞バンク化したものが連続継代性細胞株である。取り扱いに大変便利な材料であるので、生命科学研究全般や医薬品生産に用いられる動物培養細胞の多くは連続継代性細胞株である。連続継代性細胞株の細胞は多くの場合に染色体が不安定であり、正常細胞とは異なる核型(異数性、aneuploidy)をしめす。なお、Vero細胞のように造腫瘍性のない連続継代性細胞株も存在する。

 

 Diploid cell line (DCL): a cell line with a finite in vitro lifespan in which the chromosomes are paired (euploid) and are structurally identical to those of the species from which they were derived.

 二倍体細胞株:培養皿中で限られた寿命を持った細胞株。染色体は、正常な対(euploid: 正倍数体)であり、その細胞が由来する生物種の染色体構造に一致している(哺乳動物の正常な体細胞であれば二倍体を意味している)。

筆者コメント:動物正常組織からの一次培養細胞も二倍体の細胞であることから、特性解析を施したうえでバンク化した細胞株となっている点が一次培養細胞と二倍体細胞株とを区別する重要なポイントである。比較的広く使われている二倍体細胞株のヒト胎児肺由来WI-38細胞やMRC-5細胞は約50回の細胞分裂をすると分裂増殖が止まってやがて死滅する。老化の研究だけでなく、ワクチン生産細胞基材としても使用されている。

 

 Endogenous virus: a virus whose genome is present in an integrated form in a cell substrate. Endogenous viruses are present in the genome of the original animal from which the cells were derived. They may or may not encode an intact or infectious virus.

 内在性ウイルス:細胞基材のゲノム中に挿入された形で存在するウイルス。当該培養細胞が由来する元の動物のゲノム中に内在性ウイルスは存在している。内在性ウイルスは無傷もしくは感染性のウイルスをコードしていることもあればしていない場合もある。

 筆者コメント:上述した外来性感染性因子adventitious agentは、いわば外部からのコンタミネーションであり、混在を防ぐ手段がありうる。一方、細胞基材に内在するウイルスを除去することは技術的に不可能であった(急速に発展しつつあるゲノム編集技術により、不可能ではなくなりつつあるが)。そして、内在性ウイルスでも生物学的医薬の品質管理上は無視できない意味を持つ。様々な種類のウイルスの中でもレトロウイルスは、その生活環のなかで宿主細胞ゲノムに挿入されるようにプログラムされおり、全ての動物細胞ゲノム中にレトロウイルス様の配列が存在している。これは、生物進化の間で一度はレトロウイルスに感染したことのある歴史を反映しているのであろう。そして、配偶子(卵子、精子)を通じて次世代個体のゲノムに挿入されるに至っているレトロウイルス配列を内在性レトロウイルスと呼ぶ。我々は、Vero細胞ゲノムには数多くのサル内在性D型レトロウイルス配列が存在していることを見出しており、この情報はワクチンの品質管理に役立つと考えている(Sakuma et al 2018 Sci Rep)。

 

 End-of-production cells (EOPCs): cells harvested at or beyond the end of a production (EOP) run. In some cases, production cells are expanded under pilot-plant scale or commercial-scale conditions.

 エンド・オブ・プロダクション細胞(EOPC):生産のための培養の終了時点もしくはそれを越えた時点で回収した細胞。いくつかの場合、パイロットプラント(予備的な中間スケール)もしくは実生産スケールの条件において生産細胞の培養を延長することがある。

 筆者コメント:あえて訳せば生産終了時細胞とでもなろう。生物学的医薬の品質管理をする上で、EOPCは重要な意味を持つ。生産途上の細胞に何か問題が起きていないかどうかをチェックしたければ、EOPCを調べるのがよい。外来性感染性因子adventitious agentの管理に関しても、医薬製品そのものだけでなくEOPCも並行してチェックすることは、問題発生時に原因を的確に判断して素早く対応することにつながるであろう。

 

 Extended cell bank (ECB): cells cultured from the MCB or WCB and propagated to the proposed in vitro cell age used for production or beyond.

 エクステンディッド細胞バンク:マスター細胞バンクもしくはワーキング細胞バンクから培養し、医薬生産のために設定したin vitro年齢までもしくはそれを越して増殖させた細胞。

 筆者コメント:あえて訳せば延長培養細胞バンクとでもなろう。上記でいうin vitro年齢とは細胞の継代数もしくは集団倍化回数を意味している。生物学的医薬に使用する細胞は承認申請の段階でin vitro年齢の上限値を予め設定している。マスター細胞バンクもしくはワーキング細胞バンクからin vitro年齢までもしくはそれを越えて増殖させた均一の細胞集団は、その年齢まで増やすことになる細胞の品質を検討するために必要なサンプルとなる。これに似た考え方は培養細胞を用いた研究にも応用可能であり、特に性質の変わりやすい細胞株を用いた研究ならば「自分の研究対象とする細胞現象はin vitro年齢どこまでならば再現できるのか」という予備検討は不可欠である。さらにこの検討の過程でECB相当のストックを保管しておけば、同じ細胞株系列を用いて新しい研究課題を始める場合、新課題においても保管ECBの持つin vitro年齢までWCBを増やして使うことができるか否かをすぐに検討できるであろう。

 なお、細胞を維持増殖させるための培養条件で増やして得るのがECBであり、実生産から回収された細胞は上述したEOPCである(例えば、ウイルスワクチン生産の場合、ウイルス感染させずに規定in vitro年齢まで培養したのがECB)。

 

 Immortalized: having an apparently unlimited capacity for population doubling.

 不死化:見かけ上、無限の集団倍加能力をもつこと

 

 Master cell bank (MCB): a quantity of well-characterized cells of animal or other origin, derived from a cell seed at a specific population doubling level or passage level, dispensed into multiple containers, cryopreserved and stored frozen under defined conditions, such as the vapor or liquid phase of liquid nitrogen in aliquots of uniform composition. The MCB is prepared from a single homogeneously mixed pool of cells. In some cases, such as genetically engineered cells, the MCB may be prepared from a selected cell clone established under defined conditions. Frequently, however, the MCB is not clonal. It is considered best practice for the MCB to be used to derive working cell banks.

 マスター細胞バンク:動物または他の起源に由来する十分に特性解析されたかなりの分量の細胞であり、細胞シードから特定の集団倍加レベルまたは継代レベルにあるもの。複数の容器に分注され、単一の組織もしくは細胞に由来する均一の組成をもったものとして、気相もしくは液相の液体窒素下といった一定の条件下で凍結保存される。マスター細胞バンクは、内容物が均一化するように十分撹拌された単一の細胞プールから作製する。遺伝子操作を加えた細胞のときのように、場合によっては、一定の条件下で選択された細胞クローンからマスター細胞バンクを作製することもある。ただし、マスター細胞バンクはしばしば単一クローンの細胞から成り立っていない。マスター細胞バンクはワーキング細胞バンク作製の目的に使うのが最善と考えられる。

 

 Oncogenicity: the capacity of an acellular agent – such as a chemical, virus, viral nucleic acid, viral gene(s) or subcellular element(s) – to cause normal cells of an animal to form tumors.

 発癌性:動物の正常細胞に腫瘍形成能をもたらす原因となる化学物質、ウイルス、ウイルス核酸、ウイルス遺伝子や細胞因子など、生きた細胞自体ではない(無細胞の;acellular)ものの性質。

筆者コメント:以下で述べる造腫瘍性tumorigenecityと混同しないこと。

 

 Passage: the process of transferring of cells, with or without dilution, from one culture vessel to another in order to propagate them.

 継代:細胞を増殖させるために一つの細胞培養容器から他の容器へと細胞を移す過程。その際、細胞の希釈を伴う場合も、伴わない場合もある。

筆者コメント:増殖する細胞株を維持培養するための継代では、一般的に希釈を伴う。細胞株の特性を保つためには、継代のしかたを希釈倍率などのさまざまな条件も含めてその細胞株に対してはなるべく一定にしたほうがよい。

 

 Population doubling: a twofold increase in cell number

 集団倍加:細胞数が2倍にふえること

 

 Primary culture: a culture started from cells, tissues or organs taken directly from one or more organisms. A primary culture may be regarded as such until it is successfully subcultured for the first time. It then becomes a cell line if it can continue to be subcultured at least several times.

 一次培養:生体から直接取り出した細胞、組織もしくは臓器から開始した培養。一回目の継代培養に成功するまでは一次培養と見なされるであろうが、その後、少なくとも数世代の継代培養ができれば細胞株と見なされるようになる。

筆者コメント:高等動物の正常細胞は培養皿に移しても分裂できないか、分裂回数が限られている。また、がん組織を利用した一次培養でもほとんどの細胞は長期間培養できない。そこで、一次培養を用いた実験は、細胞が死滅するまでの限られた時間の中で行うことになる。継代可能な培養細胞が得られない神経細胞などの研究では頻繁に使用されている。また、多量の細胞を必要とする場合、連続継代性細胞株にして増やすよりも動物臓器からの一次培養細胞として集めるほうが低コストで済むため、ワクチン生産細胞基材としても今でも使われている。ただし、細胞の品質管理や動物倫理の観点から、医薬品細胞基材としての一次培養細胞の使用は縮小傾向にある。

一次培養に供した細胞のごく一部が不死化することがあり、それが上述の連続継代性細胞株となる。また、不死化はしていないが継代可能な二倍体細胞株が分離されることもある。

 

 Residual cellular DNA (rcDNA): cell substrate DNA present in the final product.

 残存細胞DNA rcDNA):最終医薬製品に残存する細胞基材由来DNA

筆者コメント:生物学的医薬生産で培養している途上でいくらかの細胞は細胞死を起こしたりして破壊されるので、細胞基材由来のDNAが最終医薬製品に混在することがある。DNAはたとえ微量でも免疫系に影響する可能性や、細胞分裂促進因子をコードしている断片であれば発癌性oncogenicityを発揮する可能性もある。よって、生物学的医薬製品の残存細胞DNAは多くの場合承認書中で規定したレベル以下になるように品質管理されている。本ページで紹介しているWHO文書(TRS_978; Annex 3, 87ページ)によると、非経口の製剤一回投与量当たりper parenteral dose10 ngまでのrcDNAなら許容できるとされている。

 

 Stem cell line: a continuous cell line generated from stem cells rather than from normal or diseased differentiated tissue.

 幹細胞株:正常の組織や病気の分化組織からではなく幹細胞から樹立された連続継代性細胞株

筆者コメント:幹細胞とは分化能を維持しつつ分裂増殖できる細胞群である。全ての種類の細胞への分化能をもつ胚性幹細胞(embryonic stem cells; ES cells)や、血液系細胞への分化だけ可能な血液幹細胞のように限られた細胞種への分化能のみをもつ幹細胞があり、それらの細胞株も複数樹立されている。発生分化の研究で頻用されており、さらには、損傷した臓器を補う細胞治療への応用も期待されている。誘導多機能性幹細胞(induced pluripotent stem cells; iPS cells)を細胞株と呼んでよいのかは細胞の状態にもよると思われ、多機能性と無限増殖能を維持している状態で基本的な特性解析も成されており、細胞バンク化もされていれば幹細胞株の一つとみなしてよいと私は思う。現状では、幹細胞株は、古典的な連続継代性細胞株に比べて適切な培養が難しく、高コストである。

 

Transmissible spongiform encephalopathy: the transmissible spongiform encephalopathies (TSEs) are a group of fatal neurodegenerative diseases which include classical and variant Creutzfeldt–Jakob disease (CJD), Gerstmann–Sträussler–Scheinker syndrome (GSS), fatal familial insomnia (FFI) and Kuru in humans, bovine spongiform encephalopathy (BSE) in cattle, chronic wasting disease (CWD) in mule, deer and elk, and scrapie in sheep and goats.

 伝達性海綿状脳症: 伝達性海綿状脳症群(TSEs)は、致死性神経変性疾患の一つのグループであり、以下のような疾病が含まれる:ヒトにおける定型型および変異型のクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)、ゲルストマン・シュトロイスラー・シャインカー症候群(GSS)、致死性家族性不眠症(FFI)、およびクールー病、牛海綿状脳症(BSE)、ミュール、鹿及びエルクにおける慢性消耗性疾患(CWD)、そして、ヒツジやヤギでのスクレイピー病。

 筆者コメント:培養細胞に使用される血清にTSE因子が混在していると、その血清を用いて培養した細胞から生産された医薬品の安全性が脅かされる。そのため、生物学的医薬品においてTSEが混在しないように素材(特にウシ血清)の品質に注意を払っている。

 

 Tumorigenicity: the capacity of a cell population inoculated into an animal model to produce a tumor by proliferation at the site of inoculation and/or at a distant site by metastasis.

 造腫瘍性:(免疫不全マウスのような)モデル動物に接種したときに、接種した部位もしくは転移によって離れた部位に腫瘍を作らせる細胞集団の能力。

筆者コメント:正常細胞を造腫瘍性のある細胞へと変化させる能力が先述した発癌性oncogenicityであり、生きた細胞自体の動物への腫瘍形成能力が造腫瘍性tumorigenicityである。医薬品生産に使用した細胞基材が生き残ったまま人に接種されることは現実的にはありえないが、造腫瘍性のない細胞に比べて造腫瘍性のある細胞のゲノムDNAには高い確率で発癌遺伝子oncogeneが存在するであろうという考えから、医薬品生産の細胞基材には連続継代性細胞株のなかでも造腫瘍性のないものが好まれる。Vero細胞がワクチン生産細胞基材として汎用されている理由の一つに(一定の継代数の範囲内では)造腫瘍性のないことが挙げられる。

 

Working cell bank (WCB): a quantity of well-characterized cells of animal or other origin, derived from the MCB at a specific population doubling level or passage level, dispensed into multiple containers, cryopreserved and stored frozen under defined conditions, such as in the vapor or liquid phase of liquid nitrogen, in aliquots of uniform composition. The WCB is prepared from a single homogeneously mixed pool of cells. One or more of the WCB containers is used for each production culture.

 ワーキング細胞バンク:動物または他の起源の十分に特性解析された細胞で、マスター細胞バンク由来の特定の集団倍加レベルまたは継代レベルにあるもの。複数の容器に分注され、単一の組織もしくは細胞に由来する均一の組成をもったものとして、気相もしくは液相の液体窒素下といった一定の条件下で凍結保存される。内容物が均一化するように十分撹拌された単一の細胞プールから作製する。ワーキング細胞バンクの容器の一つまたはそれ以上を用いて、医薬品生産用としての各培養を実施する。

筆者コメント:あえて和訳すると作業用細胞銀行になってしまうが、ワーキング細胞バンク(もしくはワーキングセルバンク)と呼ぶのが日本でも一般的である。細胞シードの項目でも述べたように、引用文書は医薬品生産に使用する培養細胞を対象にしているが、細胞バンクシステムを研究レベルで適用させるのであれば、マスター細胞バンクの一つの凍結チューブから一定の集団倍加数(もしくは継代数)で増やして集めた均一の細胞プールを先ず調製し、そこから数多くのチューブに分注したワーキング細胞バンクを作製して、日々の実験作業にはワーキング細胞バンクの凍結チューブを起こして一定の集団倍加数の中で使用する、という意味となろう。継代中に特性が変化しやすい細胞を使用する実験においては、一定の集団倍加数のなかで実験を遂行するように注意をしないと再現性のある結果が得られないことが多いので、バンクシステムで細胞を管理する必要がある。

 

追加コメント

 微生物研究の分野では、株(lineよりもstrainと記載されることが多い)といえば、一度は細胞がクローニングされて遺伝学的にも単一な細胞集団を意味することが多い。その概念が動物培養細胞の研究分野へも持ちこまれたのであるが、動物培養細胞の場合、「株」と名がついていても遺伝学的に単一な細胞集団とはいえない場合が多いので注意が必要である。

正常細胞が不死化する頻度はきわめて低いが、それでも培養皿中にまいた不死化前の細胞集団のなかで「多くともたった一つ」が不死化にいたると決まっているわけではない。したがって、組織培養から継代を繰り返して不死化細胞を分離していく過程の中で細胞クローニングのステップを経ずにいると、培養皿中の継代を繰り返す途上でそれぞれ独立に発生した複数の不死化細胞の混ざりを「細胞株」としてしまっている可能性を排除できない。また、哺乳動物細胞の不死化細胞は、染色体が不安定であるため、もともとは単一の不死化細胞に由来していても、研究者の手に入った時にはさまざまなゲノム構造をもつ細胞の混合集団となってしまっていることも多い。

遺伝学的な意味で混合した細胞集団でも、知りたい特性が集団平均の解析値で十分なのであればまだよい。しかし、それでは困ることもある。培養細胞を用いて突然変異株を得ようとするような体細胞遺伝学的アプローチを行うときには、細胞のクローニング操作を施して遺伝学的になるべく単一の集団に揃えたものを親株parental lineとして設定することを推奨する。

実験的に誘発した突然変異によって性状の変化した亜株を分離する実験において、クローン化した細胞を親株として設定せずに実験を進めてしまうと、「親株」とみなしていた細胞集団中にもともとかなりの頻度で存在していた多様体を分離したに過ぎないことがしばしば起きる。かような場合、その後の解析実験において何をその亜株の親株とみなすべきか迷うことになる。分離前の不均一な集団を名目上の親株とせざるを得なくなるであろうが、これには問題がある。遺伝学的解析においては、「親株」にはない遺伝子上の変化が「変異株」に存在することを前提に話を進めるのだが、細胞集団中にもともと存在していた多様体を分離したに過ぎない場合、「変異株」特異的であるべき遺伝子上の変化一定の割合で「親株」にも存在することになる。それで全く解析ができなくなるということではないが、親株と変異株との間の比較ではなく、母集団と分離サンプルとの間での比較をする状況になってしまう。体細胞遺伝学手法を導入する場合、実験の目的や方向性にもよるが、まず親株をクローン化するという一手間をかけることを私は勧める

 

(感染研・細胞化学部 花田賢太郎:2015619日、2017929一部修文)

2018523:用語を複数追加、前文での注意書き追加)

2019830:WHO TRS_978全体文書へのリンクを追加; 911一部修文

2019年1227:追加コメントの修文と追記

感染研・品質保証・管理部 花田賢太郎:2022年2月28日一部修文

 

花田の研究テーマなど

I. 私の志向する生化学、細胞生物学、そして体細胞遺伝学

II. スフィンゴ脂質について

III. 哺乳動物細胞におけるセラミド輸送に関する研究

IV. 動物培養細胞に関する用語など(このページ)

V. Vero細胞の物語 ~その樹立からゲノム構造の決定、そして未来へ~

 

花田研究業績

 

その他の記事

1.生命、細胞、生体膜

2. スフィンゴ脂質およびセラミドの命名事始め(外部サイトへリンク)

3. セラミド研究史概略(外部サイトへリンク)

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